前回は彼が「自死」してしまった事について書きました。


彼の居ない生活が2か月が過ぎました。最初、彼の「死」が受け入れられず後悔や寂しさで押しつぶされそうでした。



仕事中に涙が流れ、彼に関連する人や物事を避けて、自分が崩れない様に必死でした。



周りの人との距離を感じ、自分だけが取り残された空間にいる感覚が今も少しだけあり、世の中から置いてきぼりにされているように感じます。



だからと言ってアルコールで紛らわしたり、精神薬をむやみに飲んで誤魔化そうとは思いません。



依存症家族(パートナー)としての苦しみ



彼は覚醒剤、アルコールを再使用してしまい首を吊って自殺してしまいました。



彼の遺体が警察の検視から帰ってきたのは、2週間後の令和7年1月9日です。



検視では最初、アルコールや睡眠薬が検出できましたが、薬物反応がでませんでした。

更に検査を進めるために、遺体を別の場所に移動したので余計に時間がかかりました。



遺体の損傷は激しく、腐敗していたため「彼」だということを特定することにも時間がかかりました。(見た目が変わってしまっていた)



幸いにも刺青や、警察にある指紋データーが「彼と一致」したので本人確認ができました。

この時は「前科があって良かった」って強く思いました。



しかし本人確認が出来ても、腐敗している遺体を見ることはやめておいた方がいい。と刑事に言われたので会いたい気持ちを抑えて我慢することにしました。



最後に手を握ったり「おつかれさま。辛かったね。ごめんね。」などと声をかけ、顔を見て別れを告げる事もできないまま、火葬をすることになりました。



私は色んなことが受け入れられない中、仕事や育児をしなければならない。



子供の前で泣くことも出来ず、お風呂にはいりながら泣きました。

仕事に向かう車の中や仕事中にも泣きました。



火葬の日の話です。

彼が1番慕っていた先輩の奥さんから「なんでこんなふうになる前に◯◯(私)は別れてあげなかったの?」と言われました。



この言葉は私が直接言われたわけではなく、彼が働いていた会社の社長に言った言葉です。



もちろん社長は、今まできちんと接してきたことなどを説明してくれました。先輩の奥さんは理解してくれたようですが、どこまで理解しているかは不明です。



私はこの言葉に深く傷付きました。

依存症に対して無知な人は危ないと思いました。

こうした何気ない言葉で依存症者やその周りが傷付いていくことも体験出来ました。



仮に私が彼と別れていたら、彼は今も働いて元気に社会で過ごしていたでしょうか。



別れていたら私も彼も、それぞれ幸せになっていたでしょうか。



別れていたら彼はお酒も飲まず、覚醒剤に手を出すこともなく更生するために前を向いて社会で頑張れていたでしょうか。



私の答えはNO!です。



依存症はとても奥が深く複雑です。

依存症という言葉に甘える人はいると思いますが、中には依存症だと受け入れることが出来ずに回復を逃してしまう人もいます。



そして依存症に知識がない人が周りにいたら、依存症は悪化します。



依存症に対して無知であるために、一般論で物事を言ってしまい相手を傷つけてしまう事になることを知らない人が多いと思います。



彼が自死してしまったのは凄く悲しいですし、後悔も沢山あります。



でも悲しんでも後悔しても彼は帰ってきません。



愛する人が死んだのに不謹慎かもしれませんが、私は彼の自死を学びに変えることにしました。



その上で依存症を甘く見ていたらいけない。と皆さんに強くお伝えしたいです。

依存症はただの甘えや意志の弱さでもありません。



何かをすれば治る病気でもないので、厄介です。



そして依存症者が更生して前を向くには、個人差はあります。

何度も何度も手を差し伸べてもダメな場合があることが身をもって体験できました。



今回の件は、自分には降りかかってこないと思っていた出来事だっただけに、まさかあの彼が死ぬとは想像もしていなかったです。



彼の自殺から学んだ事や依存症経験者、依存症者のパートナーとしての思いや考えをこれからもブログに書いていきます。