前回は年末年始に、彼と過ごして感じた事について書きました。
アルコールや薬物がない世界は見え方や考え方を変えていきます。
そして不思議と顔つきや性格、行動も変わります。
私は痛い目を何度も何度も経験しないとわからなかった
とにかく私は、自分が思った事に対して納得が行くまで「誰が何を言おうと」納得もしなかった様に感じます。
明らかに痛い目に遭うとわかっていても痛い目に遭うまで、理解しませんでした。
次こそは...と何度も繰り返していました。
◆中絶について
私は1回目の中絶で何も学ばずに何回も繰り返してやっと気付きました。
(私の中絶回数は6回です)
だからと言って、中絶をする事に全く何も感じなかった訳ではありません。
もちろん育てられないのは自分でも分かっていたし、まだ遊んでいたかった。
本当に無責任でした。
だからと言って中絶は凄く悲しかったし、直ぐに妊娠してしまう自分に対して恥ずかしい・だらしないと思い、辛くなった時期があります。
親にも合わす顔がないと思っていましたが、自分の感情が先にきてしまっていました。
そして、「一つの命をダメにしてしまった」「殺したのと同じだ」と自分を責めた事もあります。
色んな感情が交差していました。
しかし自分のスッポリ穴が空いた所を埋めようと
幸せを求め、寂しさを紛らわし、一時の感情で何でもやってきてしまったのは自分です。
繰り返した中絶から学び、中絶を無かったことにしない様にこれからの自分の人生の何かの役に立てばと考えています。
◆精神薬の過剰摂取について
オーバードーズも1回目で気づかずに何回も繰り返してきました。
私は3日間昏睡状態になりやっと気づきました。
その時に『私は死ねないんだ』と感じ、頑張って生きる事を選びました。
頭では薬を大量に飲んでも何も変わらないのは十分にわかってはいました。
しかしあの時の私は今が辛いからやる!と言った様に一瞬の感情で行動していました。
(とにかく少しでも楽になりたかった)
私は刑務所に行くまで、感情のコントロールの仕方がわかりませんでした。
自分だけが辛い目にあっている
自分だけが辛い人生
私は「なんて不幸な人生なんだ」
私は大切にされない人間なんだ
こんな事を常に感じて1人で苦しんでいました。
そしてオーバードーズをする理由の一つに
『親を困らす為』にやっていた事があります。
自分を助けてくれない辛さや、行き場のない感情を親のせいにしていた時があります。
何度もオーバードーズを繰り返しても、誰かのせいにしても良くならない私の心と生活。
本当にあの時は身の置き場がない辛さに
日々、悶々としていました。
◆エスカレートしていく薬物
オーバードーズを繰り返しても何も変わらない現状に、刺激を求めていた私はコカインに手を出し始めます。
覚醒剤がある事も知ってしましたし、手に入る状況ではありましたが覚醒剤は尿検査や注射痕でバレやすいから敢えてコカインを選んでいました。
そしてコカインの入手が困難になり始めてから覚醒剤に手を出しました。
私の中では『覚醒剤をやったらおしまい』と思っていましたが、その覚醒剤にも手を出し始めた時、怖い物がなくなった無敵状態でした。
そんな生活も長くは続かず
結局私は刑務所に行く羽目になりました。
結局、私は窮地に追い込まれ逃げ道がなくなって初めて気づくタイプです。
どんなに周りが愛を持って支え、手を差し伸べていても私には響かなかった。
むしろ、敵に思えていました。
しかし、刑務所に行って我に返った私が
改めて感じた事は身近な敵が味方だったと言う事に気付きました。
服役中に1回も手紙をくれなかった姉。
私は『見捨てられた』と本当に思っていました。
あれから15年の時が過ぎた今
改めて姉に質問してみました。
私『なぜ、あの時手紙をくれなかったか教えて』
姉『甘やかしたらダメだと思ったし
○○(私)に幸せになってもらいたいと常に考えていたんだ。○○(私)なら絶対に大丈夫!と信じていたから、甘やかさなかった』
姉は私を見捨てた訳ではなかったのです。
よくライオンは自分の子を崖から落とすと言いますよね。
この検索結果のピンクの線を引いてある部分。
この部分の事を、母や姉を含む家族全員で
実行に移したのだと思います!
「きっと◯◯(私)なら大丈夫!」
そう信じてくれたからこそ、今の私がいます。
もし、あの時甘やかされていたらまた繰り返していたと思います。
次回は3月23日の更新にしまーす!