前回は娘の不登校や彼の回復過程について書きました。人は必ずしも皆んなと同じではない事を自分も含めて、娘を見ていて学ばせてもらっています。
親としては学校に毎日通って欲しいけど、それは世の中が作り上げた普通に近づいて欲しいと私が思っているからかもしれません。
二女について
☟こちらのブログに少し書いています。
二女は以前のブログでは特別支援学校に通うかもしれないという話をしたかと思いますが、特別支援学校には行かずに毎日登校出来ています。
5月に心理検査を受けましたが、発達障害は見受けられず「適応障害」という診断でした。
子供でも適応障害ってあるんだな〜と
勉強になりました。
今までの登校スタイルは玄関まで私が一緒に行き、先生に引き渡すって形で登校していましたが
今は校門からきちんと行けてます。
なぜ、二女にやる気スイッチが入ったからはわかりませんが
子供は急に成長するのかもしれません。
親がアタフタ考えているよりも子供の方が考えているかもしれません
後、驚く事に自分から『少年団』に入りたいと少年団のコーチに直接言っていました。
(親は知らず笑)
あれだけ学校も嫌がっていた子が、少年団?
ってびっくりしましたが嬉しかったです。
改めて子供が勝手に育つとはこういう事かと学ばされました。
少年団には放課後、帰宅してから準備して歩いて行ってます。
しつこい様ですが、あれだけ登校に悪戦苦闘していた子がです。
本当嬉しいです。
出所後の厳しさ
身近な話をしたいと思います。
彼の周りは刑務所3回以上は当たり前の人達ばかりです。彼らの中には、身元引き受け人がいないなどは当たり前です。
度重なる刑務所生活
その度に『次こそは!』と更生を誓い出所してくるはずです。
しかし身元引き受け人はいない
保護施設にも断られる
刑務所内で一緒だった人を頼りに、お世話になるが居づらくなる
お金はあっても審査が通らず部屋が借りれない
若い方ならどんな仕事でも出来ますが、もし60歳を過ぎていて体が弱かったら?
長い受刑生活で筋力も落ちます。そうしたら仕事は限られてきますね。
今回彼の知り合いは5年の服役を経て社会へ出てきました。(これからMさんとします)
しかし、お金はあっても住む場所も決まらず仕事も見つからずに途方に暮れていました。
Mさんは最初、刑務所で知り合った人の部屋で生活していましたが居づらくなり、申し訳ない気持ちから奢ったりする様になりました。しかし、そんな生活も嫌になり、昼間は外で過ごし、仕事探しや観察所に相談に行ったりしていました。夜はネットカフェに寝泊まりして、先の見えない生活をしていました。
そんな生活を1か月半続けていたそうです。
『もう無理だ…』
Mさんは、先の見えない生活に疲れていました。
結果的に私の彼は、Mさんを地元に呼び地元の仲間などに部屋を手配してもらい、Mさんの名義で1Rの部屋を借りました。
そして生活保護申請も済ませました。
Mさんは関東の方です。
改めて更生の難しさがわかりました。
出所したは良いけど、住む場所もないから途方にくれる。
更生の一歩を踏み出したくても踏み出せない。
確かに悪い事して、刑務所に行った本人が悪い。
しかし『更生』のスタートを切りづらい社会の仕組みを目の当たりにした私は、自分が恵まれていた事をつくづく実感しました。
身元引き受け人がいる人や保護施設が受け入れてくれる人、彼女(彼氏)、家族が待っていて協力してくれる人がいる事がどれだけ恵まれているのか、、、
刑務所に入れるだけが刑罰ではなくて
刑罰➕治療をセットにするなどして
刑務所内での『更生プログラム』にもっと
力を入れて欲しいと思いました。
さて、願書を出しました
間違いなく本命の生物基礎に印をつけました。
何回も指差し確認をしました。
11月4日・5日と2日間に分けて受けます。
今回は試験の前後に時間が余ったりするので勉強したり出来ます。
バスも予約したし、ホテルも予約したし
多分大丈夫。
今は過去問を解いたりしています。
明日は前科者座談会に参加します
前科者の方、タイミングが合えば参加してみませんか?
私は最近、前科者座談会を目標に1か月頑張って生活してます。同じ境遇の方とお話しする事って結構、パワーになります。