前回は逮捕された彼ばかりが
悪いと思っていた事について書きました。
そして私はプラスのエネルギーを
持ち続ける努力をしている事についても
書きました。
実習生から振り返る
私の職場に実習生さんが来ます。
介護福祉士や看護師になる為に
介護現場に実習にきて学びます。
実習生の年代は主に20代ですが
私が20代の頃はこの子達の様に
『学ぶ姿勢』がなかった。
そう考えたら本当に実習生に対して
【尊敬】の気持ちで一杯になります。
「学びたい」と言う姿勢が見てわかり
「何としてでも習得する!」という意欲が
伝わります。
彼女ら(彼ら)には率先力があり必ず
『目標』がある。
自分の人生設計を必ず描いてる事に
驚かされています。
私が彼女らの歳の頃は
眠剤や覚醒剤に溺れ、世の中の大人が
全員【敵】に見えていました。
そして
常に他人の目を気にしていました。
自分の人生を粗末にする事も気にならずに
満たされない心を埋める為なら何でも
していました。
お金が欲しいから売春。
お金が欲しいから水商売・風俗。
そして数回にも及ぶ中絶。
辛いから眠剤で現実逃避。
辛いから覚醒剤で現実逃避。
目先の辛さを簡単な方法で和らげて
いました。
でも結局、私に残ったのは心の傷と
消えない過去でした。
実習生との関わりの中で仕事を教える
のはもちろんですが、私が1番重要として
いる事があります。
実習生は純粋な心で学びにきています。
そこを崩したくないので
『明るく』接する事と
決して偉そうな態度は取らない事を気をつけて
います。
時には雑談をし、『実習』への緊張を
少しでも取り除けていけたらと思い
接しています。
今考えると理解ある人でした。
私は介護福祉士になる前は
『看護助手』として看護師のお手伝いを
していました。
そして私は看護師になりたい!
と思っていた時期がありました。
私が初めて『医療』の世界に
足を踏み入れたのは
3人目を産んだばかりの時でした。
シングルマザーとして直ぐに働かなきゃ
いけなかったので、考えた末に
面接に行ったのがF病院。
私はそこで『急性期病棟』で働かせて
もらいました。
人工呼吸器を付けている患者さん。
若くして植物状態になってしまった
シングルマザーの患者さん。
糖尿病で足を切断し、透析をしている
患者さん。
とにかく色んな人がいました。
いつ亡くなってもおかしくない患者さんや
急に容態が変わる患者さんがいるのもあって
看護師は余裕もなく疲れ切っていたのが
記憶に残っています。
そして性格もキツイ人が多かった様に
思います。
私がそこで働いている時は
まだ腕に入れ墨がありました。
テーピングとリストバンドで入れ墨を
隠した状態で働いていました。
いつもリストバンドをしている私に
職場の人は「腕、どうしたの?」と
結構聞いてきました。
私は『腕が痛くて辛いんですよね。
まだ子供も小さいので抱っこも多くて』と
聞かれる度に答えていました。
その時、指にも入れ墨が入っていましたから
指にもカットバンやテーピングを
巻いていました。
外されることもない、テーピングや
リストバンドは普通の人からしたら
不自然ですよね。
そして『まだ治らないの?』と
不思議になりますし、気にもなりますよね。
私自身も頭では理解していても
何回も聞かれると段々と嫌になって
きていました。
それと同時に『隠し通すのは
限界があるかもしれない』とも思いました。
そこで悩みに悩み【入れ墨除去】をする事を
決意しました。
レーザー除去も考えましたがレーザー除去
だと時間がかかるので
一気に除去したい私は、皮膚を切除する
方法にしました。
ネット引用。↓↓
除去方法が書かれています。
薄く皮膚を切り取り、入れ墨を除去する
方法です。
除去手術自体は麻酔もするので痛くもなく
直ぐに終わりました。
しかし術後は濡らしたり汚染したり
する事を避けなければなりませんでした。
看護助手として働いていた私は術後は
患者さんをお風呂に入れたりする業務には
入れないので、傷が治るまではお風呂以外の
仕事にしてもらう為に、看護師長に正直に
伝える事にしました。
とは言っても
「それを伝えたらクビになるかもしれない。」
「でも新たに入れ墨を入れた訳ではないし除去したのだから大丈夫かな?」
など、色々と悩みましたが
「それでもクビになったら仕方ない!」
と腹を括りました。
会社に出勤して、師長の所に行き話を
する時間を設けてもらいました。
師長『話って何?なんかあった?』
私 『入れ墨を除去したので、お風呂の業務
は入れません。傷が治るまではお風呂以外で
お願いします』
師長『うーん!わかった。
随分やんちゃしたのね!』
これだけでした。
あんなに悩んでクビまで考えたのに
あっさりした返答に安堵の気持ちで
一杯でした。
入れ墨除去を伝えても師長は怒ったり
しなかったし、責めたりもしなかった。
今考えたら、その時も私のターニング
ポイントだったかもしれません。
今も母は苦しんでいるかもしれない
母は私の事やアルコール依存症の旦那の事や
共依存家族の関係に苦しみ、脱却し続ける為に
自分で行動を起こしました。
しかし、肝心のアルコール依存症当事者である
父はお酒をやめただけで
なぜアルコールに自分は依存したのか迄は
いまだに考えれていないと思います。
依存症当事者が『何故そうなったか』と考えたり
しないと、本当の意味での回復は難しい
のではないかと両親を見て感じました。
お父さんは
今も尚、周りが見えず一歩先を見て物事を
考える事が苦手。
そして母に甘えている。
自分だけが大変で忙しい。
そこはお酒をやめても根本は変わっていません。
なので両親を見ていると
パートナーがいるなら
回復は2人がしていかなないと
いけないなぁ〜って思えた良い見本と
なりました。
とは言え、私は非行や犯罪を繰り返し
両親を傷つけています。
私が彼に対して時々『不安や心配』に
陥るのと同じで
両親も傷が、まだ癒えていないと考えたら
これからも「更生」を示し続ける必要がある!
と思っています。
「○○したから、もう終わり」ではなくて
常に『更生』を示し続ける事で相手に安心感を
与えるだけではなく自分の為にもなる事を
この頃、頭で整理して考えられる様になりました。
今日も読んで頂きありがとうございました😊
ハーレークィーンは焦る癖があり
おっちょこちょいで、直ぐに慌てる癖が
あります。それが、試験に出ない様に
問題を良く読む事を気をつけて勉強して
いる所です。


