前回は片方だけが頑張っても
効果はないのかも?って
話をしました。
父はアルコール依存症でした
とは言ったものの
現在は回復中と言った方が正しいですね
今は20年以上飲んでいません
何かにつけては飲む事を正当化し
昼間から飲んでいる父の姿は
だらしがなく、みっともない
姿でした
そんな父に何を言われても私には
「うるせー、アル中のくせに」
としか思いませんでした
母も辛そうでした
いつもピリピリして
イライラしてました
そんな母を見ていると
「なんで離婚しないのか?」と不思議
でした
母に甘えてばかりいる父の姿に
私は「お父さん」なんて
呼べなくなりました
父に対し「お前」「あんた」「あいつ」
とか言う私に
「お父さんに向かってお前とはなんだ」
って怒った事がありました
それを言われても
「お前は今の自分の姿を
わかってて言ってるのか?」と思い
余計に父を嫌いになっていきました
そんなある日
父は体が黄色くなり
麺類すら食べられなくなり受診
医者に「○ぬ日当てれるよ」って
言われてからピタッと辞めたそうです
これが父の
「底つき」体験です。
私の受刑生活中の出来事でした。
父の思考
お酒をやめたのは凄いと思います
出所してから父に会うと
父は穏やかになっていました
「お父さん」って呼べるくらいの
レベルに回復していました
しかし思考の癖はそのままなのです
もしかしたら父は本当の意味での
「底つき」はしていなかったのかも
しれません
いまだに時々、母を理不尽に怒り
人の言う事なんて対して聞かず
酒の飲まないだけで頑固は
そのまま
父を見て感じたことは
「私、刑務所行ってよかった」
と感じました
私の場合、本当の意味での底つきを味わい
本当の意味で自分を見つめ直す
きっかけとなったからです
父は私の非行を理由に
飲んでいた時もあります
もしかしたらそんな父の姿を
見ていたからこそ更生に繋がった
のもあるのかと考えたりもします
信頼していた精神科医
当時、親に頼まれて行く事になり
「1万円くれたらいってあげる!」
必死になっている母ににそんな
舐め腐った交換条件を出し
1万円を貰って行った病院
信頼できる精神科医と出会えました
初めて大人で信頼できる人が出来た
否定しない
話を聞いてくれる
怒らない
受け入れてくれる
本当に心が開ける先生でした
でもその先生が移動する事になり
先生との別れをきっかけに
余計に荒れたのかもしれない
そんな話をカウンセリングを
受けている依存症子さんにしたところ
「その先生がずっといたら
刑務所に行く事はなかったですか?」
との質問に
「はい、なかったです」と
ハッキリ答えたけれど、、
その日以来ずっと考えていました
先生が居ても居なくても刑務所に
行っていたと思う
当時の友達関係や環境に耽溺し
何処かで居心地が悪いと
思いながらも
居心地が良い自分もいた
やりたい事をやりたい自分も居た
やらずにいられない自分も居た
まだまだガキなのに
一人で何でも出来る気持ち
になっていて
夜の世界
○くざの世界
薬の世界
色んな世界をとことん経験をし
痛い目にあってとことん傷つくまで
例え先生に止められたとしても
自分を止める事は出来なかったと
考えました
自分自身が「あぁーもうこんなのやだ」
って思うまで、私はやっていたと
思いました
実際にそうだったからです
蓮の花
私の体には蓮の花のtattooがあります
泥水の中でも美しい花を咲かせる
また枯れてまた泥水から美しい花を
咲かせる
どんな過酷な状況でも美しくありたい
そんな願いから体に刻みました
この体に刻んだ意味が無駄に
ならない様にこれからも
自分と向き合っていこうと
考えています
彼への手紙
ブログのコピー3枚同封
「わたしは○(彼)に対して
コントロールしようとしていた部分が
あった事、そして私にはあなたを
変えることが出来ない事を
気付かされました。
私も今は本やブログで気付かされた事
沢山あります。
そこにいるのは決して無駄では無く
遠回りの様ですが、そうは思わず
そこにいる間に「更生とは何か」と
考え、本来の○○(彼)を
取り戻せることを願っています」
というような内容を添えて
送りました。
私には本当に彼を変えることは
出来ず、きっかけ作りと
ただただ見守るしか
出来ない事を正直に伝えました。
まだ反省の上辺と本音の狭間にいる
彼と一緒に居ると、私の弱さから
また彼を甘やかすと
自分で想像出来る事から
本当に「私自身」をしっかり
させなくてはいけないと言う考えに
たどり着きました
依存症、共依存
思考の歪み彼の逮捕
本当に学ばせてもらえた事を
感謝しています
