私は数々の裏切りを家族にしてきました
私の変わりゆく姿や
何をしても響かない私に
「いなくなってくれ」と
何回思ったかわからないと
思います
高いお金を出して私選弁護士をつけたり
カードの支払い何十万も支払ってくれたり
数々のお金にまつわる迷惑を
解決してくれました
大した働かないの娘に
タバコを買ってくれたり
病院代やガソリン代もくれたり
ご飯も作ってくれたり
バイト先に持っていくお弁当も
作ってくれてました。
でも、薬をやっていたので
食べれませんでした
私は罪悪感でいっぱいでした
それでも薬をやりつづけ
眠れない薬をやり
夜は寝る眠剤を飲んで
自分の体をめちゃくちゃにして
痩せていきました。
眠剤を沢山飲んで自殺未遂した時も
救急車を呼んでくれたり
自力で病院に連れて行ってくれたり
でも私は目を覚ますと点滴を抜いて
勝手に病院からタクシーで
帰った事もあります
その後もまたオーバードーズを
繰り返します
その度に病院に連れて行って
くれました
こんなに沢山尽くしてくれてるのに
裏切り行為はやめれませんでした
ある日、朝
ガサ入れがきました。
数人の刑事が私を逮捕しに
きました。
その時の両親を今でも忘れません
刑事に座布団を出し挨拶をし
お茶を出して謝っていました
そんな姿を見て胸が痛くなりました。
頭では本当に
「もうしない」
「本当に辛い」
「お母さんごめんね」
って思っていました
しかし親に甘えてばかりの私は
反省はしつつも、頭の片隅には
また助けてくれると思っていました
かなり甘えがあったのです
何回も書いていますが刑務所で
親が私を甘やかしていたら
今の私はいません
捕まってから親からの
差し入れ金なんてなかったのですが
受刑中にメガネが壊れたときに
お金をダメ元でお願いしました
そしたらお金を送ってきてくれました
お金を送ってくれると
思わなかったので凄く嬉しかったです
なんせテープで止めて補修してたので
それ以外は自分が逮捕された時の所持金や
報奨金(刑務作業のお金)で受刑中は
やりくりしていました
2年ちょっと受刑生活を送っていて
自分で買った本は3冊
その本は
・手紙
・だから、あなたも生きぬいて
・プラトニック・セックス
上履きは2年くらいは官物でした
下着も官物(人が着たやつ)
私物も、購入して交互に
身につけていました
シャンプー・リンスは節約の為
髪の毛はショートカットにした時も
あります
タオルも官物
チリ紙も官物支給
(1日25枚まで)トイレ含む
幸い受刑生活中、○理はずっと止まって
いたのでそこは救いでした
刑務所はお金がなくても
極端な話生活出来ます
限られた生活をしていたからこそ
気づけた事がありました
小さな幸せを感じることが出来る
様になりました
彼からの手紙
彼は今までした事がなかった
官物のシャツやパンツを着ていると
書いてありました
今まで長年、刑務所で虚勢を張っていた
彼にしたら大きな進歩かもしれません
自分を変えようと小さい事から
変えていってる様です
でも私にしたら当たり前の事です
刑務所で贅沢はしなくていい
もっと惨めな思いをして欲しい
と思っています
手紙には
「今までは甘えた部分が
ありました。人は簡単に変われないけど
自分の悪い所を必ず直します。
変わろうと言う強い気持ちで
変わってみせます。
聖書読み進んでますか?
平安の祈りの言葉を知ってますか?
あの言葉は落ち着きますよね。
次は絶対に居なくなりません。
必ず幸せにします。
待っていてください」と
手紙に書いてありました
私はこの言葉を鵜呑みにしていません
返事も書いていません
何故なら本当に人は簡単に
変われないからです
刑務所という狭い世界で上手くやれていても
社会の冷たさや色んな雑念が混ざった時に
どうやって交わして生活していくか
自分で身につけなきゃいけない
その身につけた方法を社会で
実行していかなきゃいけない
それは決して簡単ではないと
私自身わかっているからです
刑務所にいる時に色々アピールされたり
良い事を手紙に書いてきても
私は手放しで喜んではいられません
けど心で常にエールは送ってます
クリスチャン
母はクリスチャンに
なっていました
私が受刑生活を送っている間に
私の母はアラノンに通ったり
教会に行ったりしていたそうです
母は私を赦す為
そして自分を見つめ直すために
クリスチャンになったのだと
思います
母は相当辛かったと思います
旦那がアルコール依存症
旦那の弟は統合失調症
姑と同居
母の父もアルコール依存症
そして娘は数々の逮捕に薬物依存症
神に頼り祈るしかなかったんだと
思います
その辛い苦しい出口の見えない
環境からどうにか脱出したくて
必死だったと思います
もしあの時私がずっと甘えてばかり
だったら今の関係はないと思ってます
片方だけが頑張るだけでは
成り立たないです
母も耐え、私も耐え
それが今、結果として現れたんだと
思っています
すぐには、結果は出ませんが
母が「蒔いた種」は
今、こうして実がなってるのかなぁ
と私なりに考えました
そして母の様に私が「蒔いている種」が
いつか実に成る事を心から
願っています
あくまでも
母と私・彼と私の話です。
私は母にされた事を彼に試しています。
何回も刑務所に行っている彼が
どこまで回復するかを…
後2ヶ月もしたら帰ってきます。
それまで刑務所という自省の場に
いる間に厳しく
接していきたいと思っています
※刑務所にいると社会にいた時には
響かない物事が純粋に響く時があります
考える時間も沢山あります
それをフルに活用したいと考えています
