前回は「社会にいる事の難しさ」に

ついて書きました。


私は「糸の切れた凧」でした


私の母もカウンセラーに

「○○ちゃん(私)は糸の切れた凧

なのよ。そう思って」と

言われていたそうです


今思えば17歳の頃から

そんな感じでした


誰の言う事も聞かず

思うがままに自由に生きていました


「瞬間湯沸かし器」


そう言われていたくらいすぐ

怒ったりしていました



二度とここには来ない様に


これは私が当時23歳だった時


実刑判決を受けた際に裁判官に

言われた言葉です。


この言葉を裁判官に言われた時


泣きながら「はい」とだけ答え

たのを今でも覚えています。


当時甘ったれだった

私は当然の結果でした


裁判官に言われた言葉は


どこか特別な言葉に感じられ


「もうここには来ない」と


誓った瞬間でもありました。


※執行猶予3年を1年と乗り越えず

「覚醒剤取締法違反」にて逮捕され

刑務所へと収監されました。



刑務所生活


初めてで不安でたまらなかった受刑生活


でも「自分」と言う存在を

自分自身で感じられた場所でもありました


社会にいる時は常に誰かの意見に

振り回され、否定され、誰かを嫉み

孤独感や寂しさがありました


まともに仕事をした事がなかったので

規則正しい生活は慣れるまで辛かったけど


今では「基礎正しい」習慣が身につきました


そして刑務所はちょっとの事では

仕事を休めません


そのおかげで「仕事」に対しても

休まず行くという習慣が身につきました


小さく当たり前の事ですが自分にとったら

「大きな成功体験」でした


◆"'見ざる・聞かざる・言わざる""


これは「受刑生活」で1番

気をつけていた事でした


・余計な事を言わない


・余計な事を聞いても言いふらさない


・余計な事を見ても見ないふり

 または見た事を言わない


これらを気をつけた事で

なんとなく「忍耐力」が身につきました


工場担当の存在


私がいた刑務所では工場担当を

「先生」と呼んでました

とても優しく時に厳しい先生でした。


受刑生活1年過ぎたあたり


作業中、トイレに行く際に先生から

ボディーチェックを受けた時


「○○?なんでここにきたんや。」と

首を傾げながら聞かれました


先生は私が覚醒剤をやり

刑務所に来た事が不思議だった様です


私は「自分の弱さからです」と答えました


社会に居る時は自分に自信がなく

周りに振り回されていた為


刑務所生活で「自分らしさ」を

取り戻せた事が沢山あったから

自分の弱点にも気づけた


なのでこの先生からの問いかけで


「更生する」と言う気持ちが更に

強まっていきました


・そして仲良くしていた受刑仲間


「本当の仲間」の意味を教えてくれ


自分の弱い所も含めて

私と言う存在を受け入れてくれた


そんな仲間でした。


この事から捕まる前に一緒にいた人達や

置かれていた環境、そして自分の考え等が

間違えていたと考えさせられました


◆わたしの刑期は2年10ヶ月


もしこの期間が短かったり


欲しい本や欲しい物が

買えていたり


刑務所での仲間に恵まれなかったり


工場担当の言葉や

裁判官の言葉がなかったら


"自分の間違いに気づけなかった

かもしれない"


親が間違った支援をしなかった以外に


色々ときっかけとなる出来事が

あった事を思い出しました。


不自由な受刑生活だったからこそ

助かった部分は沢山ありました


喜んでくれると思った


受刑生活の中で親が身元引き受け人に

なってくれなかった事


手紙や面会があまりなかった事


そんな中でも出所したら

明るく喜んでくれると思ってました


期待を寄せていた甘い自分がいました



「もしもしお母さん?○○だよ。

帰ってきたよ!」と公衆電話から

かけて言った時


喜びもせず暗い感じで

「ああ、そうなんだ」と。


とてもショックでした

悲しかったです


でもこの言葉や冷たい態度がなかったら

私は「自立・自律・回復・気づき」は

出来ていなかったと思います。


そのくらい甘えた考えを

もっていましたし


「出所するのがゴールではない

プラススタートでもない」


本当にそう思います


あの時、電話で優しくされていたら

また甘えていたかもしれません


2年ちょっと刑務所に居て

出所したら終わりだと思っていました


でも現実はそんなに甘くはない


沢山苦労かけた代償は何年だろうが

刑期を務めたから解消する訳ではなく


社会に居てどれだけ回復していくかを


行動を持って示していかないといけないと

考えさせられました。


そして今も行動で示す事を

心がけています


出所して15年経ちますが今でも

親には「信頼回復」を

目指して日々気をつけています


何年も経っているからもう大丈夫では

なくて、常に「初心」の様な気持ちで

いる事が自分を律する材料となっています



短気は損気

これは18歳から通っている

精神科の先生にずーーーっとずっと

言われ続けていた言葉です


「短気は損気」と言われていた時は

なんのことだかわからなかったし

そこまで深く考えませんでした


でも受刑生活を通して理解出来てきた

事を思い出しました


心が乱れていたり嫌な事があったり

した時にこの短気は損気を自分に

言い聞かせたりします


受刑生活での23歳〜25歳の期間

とても勿体ない時間だったと悔やんだ

事もあります


世間一般ではそのくらいの年頃だと

友達と遊んだり、仕事をしてお金を

稼いで貯金したりと楽しい時間真っ只中

という時に自分はそれが出来なかった


普通の子の様に普通に出来なかった


でもその無駄な時間があったからこそ

今の自分が居ると思える様になったのは


回復過程は人によって様々ですが


色んな人から言われた言葉を

思い出したり当てはめたりしながら


私のマイナススタートをスタート

していったからだとおもっています


この"色んな気づき"がなかったら

私は今も刑務所に居たかもしれません


だから今、受刑生活を送っている彼が

私からの頻繁な手紙や面会がない事で


不自由な生活が「彼の肥やし」に

なる事を私は願っています。



流れに逆らわない事を意識したりもします


今日も読んで頂きありがとうございました😊