先日、アトリエhonokawaのyoshimiさんとお出かけ♪田岡空海さんのアトリエ『TAOスタジオ』にて田岡さんとマコトさんと合流後、徳島県にある『白草社』さんまでドライブ🚙💨
お食事の前に、白人神社(しらひとじんじゃ)/巌境神明神社(いわさかしんめいじんじゃ)さんへ参拝に行きました。
白人神社は1596から1614年(慶長年間)の初め、稲田修理亮によって再興されたといわれ、阿波藩の家老であり脇城主(後に淡路城代となる)であった稲田家の信奉が厚かった神社です。
稲田氏は代々鎧・刀・画などの寄進をたびたび行っていますが、当神社玄関にある「白人大明神」と刻まれた額も稲田主税助植春の奉納したもので、彗雲鉄啀の書になるものです。そのほか同神社に保存されている箙(えびら)は木製で、蜻蛉の形の彫り物を施し、全国的にも類例が少ないといわれています。
稲田氏は代々鎧・刀・画などの寄進をたびたび行っていますが、当神社玄関にある「白人大明神」と刻まれた額も稲田主税助植春の奉納したもので、彗雲鉄啀の書になるものです。そのほか同神社に保存されている箙(えびら)は木製で、蜻蛉の形の彫り物を施し、全国的にも類例が少ないといわれています。
保元の乱後讃岐におられた崇徳上皇をたずねてきた源為朝が阿讃国境の相栗峠で弓を引いたところ、その矢が白人神社に落ちたと伝えられ、それ以来、弓は神社宝物となり、旧正月十四日御的射が行われています。
(美馬市観光情報より引用)
御拝殿
白人神社さんでは、兎が神さまの遣いとされているそうです。
御本殿
神馬像
巌境神明神社さんへ続く階段
穴吹川に隣接する丘陵尾根先端部に設けられた石垣による異形の祠。南北約7メートル、東西約22メートルの石垣による長方形の囲状を呈する。南辺に3ヵ所の入口、北辺に5ヵ所の祠が設けられる。築造年代の詳細は不明だが、石積技法や「白人大明神由来書」の記述から、少なくとも現在の姿については近世以降のものである。成立年代は比較的新しいが、神社遺構として他に類例がなく、貴重な資料である。
「白人大明神由来書」(1779年)によると、白人神社より約1町(109メートル)上の段の明神山という古社床といわれる所で、寛保年間(1741年から1743年)に芝刈の際に以下の石垣が発見されたという。記された内容は、長さ八間余(約15メートル)横幅四間余(約7.5メートル)、東南方向に入口2ヵ所、内側は長さ六間(約11メートル)幅約一間(1.8メートル)とあり、現状とは異なる。また、昭和30年頃、財宝(源為朝)を捜索して大規模に掘削。特に東方では約15メートルほど掘り下げたといわれ、これにより崩壊寸前になったため、昭和57年一部修復している。
所在地:美馬市穴吹町口山字宮内
昭和62年3月11日 美馬市指定史跡
(美馬市観光情報より引用)
今夜も寒暖差に気をつけて
暖かくして穏やかな夜を過ごしてくださいね🌠
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