【八百比丘尼】伝説 | 【香川 丸亀】もあいさんちのブログ 

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数年前からこの道を通る度に目にし、気になっていた田んぼの中にぽつんと建っている石の塔。
昨日は仕事で三豊市の方に行っていた帰り道、まだ明るかったので立ち寄ってみました。
「石の塔」香川県の有形文化財指定の看板があり、その看板に書かれた矢印が指す方向へ細い畦道を歩いていくと石の塔の前に到着しました。
正式名称は「勝造寺層塔」といい、総高7,1m、塔身は凝灰岩の切り石を十三層に積み重ねたもので他に類例がなく「異形十三重塔」とも呼称されています。
石碑には1378(永和四)年の建立。その300年後に丸亀藩主・京極高豊が修復したと刻まれていました。
誰が何のためにこちらの石塔を造ったのかは書かれておらず不明です。

建立については、弘法大師空海が一晩で作り上げたという説や、永和4年は南北朝時代の戦乱の死者を祀った塔との逸話があります。石の塔正面には梵字が刻まれているのが、かすかに見えます。

そして、もう一説には“八百比丘尼の塔”と呼ばれるお話。

八百比丘尼とは、人魚の肉を食べて不老不死を得たという若狭(福井県)の娘の事(800 年もの間生き続けたといわれる)何年経っても美しいまま(17~18歳の若々しい姿だったという)やがて知る人もいなくなった娘は、比丘尼(尼僧)となって日本各地を巡る旅に出て、ここ高瀬町に辿りついた時この石の塔を建立し、また次の地へ旅立ったと言われています。
“八百比丘尼の伝説”は全国各地に残されています。800歳まで生きた八百比丘尼は何を思いながら各地を回ったのでしょう。
何年も前から道を通る度に見るだけ、行きたい行きたい気持ちばかりで、ずーと気になっていた“石の塔”にやっと行くことができました。
のどかな田園の中にぽつんと建つ石の塔は不思議な雰囲気で包まれてました。