LP、CDの周辺 続編 | コリンヤーガーの哲学の別荘

コリンヤーガーの哲学の別荘

30年温めてきた哲学を世に問う、哲学と音楽と語学に関する勝手な独り言。

1. ミリオンセラー

 

 100万を超える売り上げを達成する「書籍」や「CD」に対してこう呼ばれる。

 

 引用

 

 日本において、第二次世界大戦後で最多の発行部数を持つ一般書籍(辞典・受験参考書等を除く)は『窓ぎわのトットちゃん』(黒柳徹子)で、単行本・文庫本を合わせて750万部以上を発行。辞典・受験参考書を含めると、『広辞苑』(新村出)や『新明解国語辞典』(山田忠雄)、『試験にでる英単語』(森一郎)など、1000万部を超える発行部数を記録する書籍もいくつか存在する。

 また、日本の明治時代以降で初のミリオンセラーは、『学問のすすめ』(福澤諭吉)、『西国立志編』(サミュエル・スマイルズの『セルフ・ヘルプ(自助論)』の中村正直訳)で、共に明治時代初期に100万部以上売れたといわれる。

 

 中略

 

 日本において、オリコンの統計(1968年開始)]でのシングルのミリオンセラー第1号は『帰って来たヨッパライ』(ザ・フォーク・クルセダーズ)、またCD作品のミリオンセラー第1号は『Diamonds』(プリンセス プリンセス)である。また最大の売上を誇るシングルは『およげ!たいやきくん』(子門真人)で、457万枚を売り上げた(CDとしての最大売上は2019年時点で『世界に一つだけの花』(SMAP)の313.2万枚である)。

 初動セールス(発売から最初の1週間の売上)だけでミリオンを達成した作品は2018年3月現在29作品であり、第1号は『名もなき詩』(Mr.Children)、最大売上は『さよならクロール』(AKB48)の初動176.3万枚である。

 なお、戦後初(オリコンの統計開始以前)のミリオンセラーは、春日八郎の『お富さん』とする説や、村田英雄の『王将』とする説などがある。

 2018年3月現在では様々な要因からCD作品のセールスは減少し、各ジャンルで最後にミリオンセラーを記録した作品は、ロックバンドではGLAYの『とまどい/SPECIAL THANKS』(2000年8月23日発売、同年10月16日付で記録)、女性ソロでは中島みゆきの『地上の星/ヘッドライト・テールライト』(2000年7月19日発売、2003年3月24日付で記録)、男性ソロでは秋川雅史の『千の風になって』(2006年5月24日発売、2007年8月24日付で記録)、さらに最後のダブルミリオンセラー作品では、SMAPの『世界に一つだけの花』(2003年3月5日発売、同年3月24日付でミリオンセラー記録を後にトリプルミリオン記録達成した)となっている。

 2010年以降で、ミリオンセラーを記録したアーティストはAKB48・EXILE・乃木坂46・欅坂46のみである。

 

Wikipedia 「ミリオンセラー」より

 

 ミリオンセラーを100万の売り上げとすると、1000円単価の商品が10億円を売り上げるということである。これは、製造原価から100倍近い利益を上げているのではないか?

 

 この事情が、クラッシクLP、CDでは違う。クラッシック界では、たとえば、イ・ムジチ合奏団によるヴィヴァルディの『四季』のような例外的なものを除いて、ミリオンセラーはほぼ皆無である。もともと、あるCDの新譜に期待しているのは、限定されたクラッシックファンであって、あるCDの新譜をクラッシクファンの人々がこぞって買い求めるというようないわゆる「流行」という現象を生み出さない。

 

 たとえば、

 

 ① あるピアニストに対するファンというのは、クラッシックファンの全体の数%からせいぜい10%に過ぎない。

 

 ② あるピアニストの新しい「CD」をそのピアニストのファンがこぞって買う、ということもない。そのピアニストの「ショパンシリーズ」が進行中という場合、「ワルツ集」「前奏曲集」がすでに発売されていて、その両方を持っている場合、そのファンが今回発売された「夜想曲集」を買わない、ということがある。すでに他のピアニストの「夜想曲」を持っていて、もう一種類「夜想曲集」のコレクションを増やすかどうか判断するのは購入者の意思によるのである。『およげたいやきくん』のがミリオンセラーであるのは、その作品が、たった1曲のシングルレコードに対する大衆の爆発的かつ一過性の「支持」である。しかしクラッシックの場合、あるピアニストのファンだからといって、そのピアニストのCDを全部購入していては、莫大なお金とそれを聴く時間が必要になる。

 イタリアのピアニスト、マリオツォ・ポリーニにはおそらく50枚以上のCD(アナログ時代のものも含めて)の録音があるが、これを全部収集するには10万円以上必要になる。だが、クラッシック愛好家はポリーニ以外のピアニストのCDも手に入れたい。

 

 ③ 作曲家と演奏者が原則分離されているのがクラッシクの世界で、同じ作品でも数々のCDがあって、何を選択するかは購入者の「自由」である。たとえば、ブラームスなどドイツ系の作品はポリーニで聴きたいが、フランス系のドヴュッシーならフランスのピアニストで聴いてみたい、ということがあるのである。

 

 よって、クラッシック界は、「ミリオンセラー」はまず登場しない。聴く側の主体性が多様であるためである。

 クラッシク界では1枚のCDを企画するに当たって、1万枚売れれば「御の字」(製造原価割れにならない)である。

 わたしは、ウィーン・アルバンベルク弦楽四重奏団による、バルトークの弦楽四重奏曲全集というCDを持っている。わたしのような熱狂的なクラッシック愛好家ではないが「普通のクラッシク愛好家」というのが多数存在していて、その中には「バルトークの音楽は難しくて理解できない」という人はたくさんいて、よってバルトークのCDの売り上げは、遠くベートーベンのCDのそれに及ばない。このバルトークの弦楽四重奏のCDが、全世界で1セット3000円で1万枚売り上げたとして、3000千万円で、演奏者、録音技術者、録音場所の賃料、CDのジャケット製作料などの製造原価をなんとかクリアしていそうである。

 クラッシクのLP、CDの業界とはこのように需要と供給を超えたところに成り立っていて、そこには「商業至上主義」の論理が第1ではない「不可思議」な論理が働いている。

 わたしは良く知らないが、ジャズ界もこれと同じ現象ががあるのではないかと勝手に想像している。

 

2.不人気作品の録音

 

 クラッシック音楽のうち、オペラや歌曲のような「歌詞付」の作品は別として、器楽においては「国境」はない。言語を持たない音楽は、言語の枠組みを超えて音楽という共通の形式を媒介するから、ベートーベンの交響曲の理解にドイツ語の知識は必要とされない。音楽そのものが共通言語であるから、クラッシクのCD界の市場は常に世界に開かれている。よって上記のバルトークのCDも、バルトークの出身地東欧ではよく売れたりする。

 『およげたいやきくん』がいくら日本でミリオンセラーになったとしても、その歌が全世界の国々でミリオンセラーにならない。それは「歌」(歌詞)の壁があり、歌詞に込められた文化の違いに壁があるからであり、日本人が共通に持っている「たいやき」のイメージを持っていない海外の人に音楽だけで「たいやき」のイメージをわきお超すことはできないのである。

 

 ところで、バルトークとはいわないまでも、日本人ならシューベルトはみな知っている。わたしはメロス弦楽四重奏団のシューベルトの弦楽四重奏曲全集(CD6枚組)というのを所有していて、よく聴くのである。シューベルトの弦楽四重奏曲は番号付だけで15曲あるが、よく演奏されるのは、12番断章と13番「ロザムンデ」14番「死と乙女」で、そのほかの作品はめったに聴くことができない。だからこういう「全集」の中でめったに演奏されないシューベルトの初期の弦楽四重奏曲を「全集」ではない単一作品の「CD」として発売しても、そのCDはおそらく「原価割れ」であって、商業主義からは全く逸脱している。

 しかしどうしてそういうCDを生産するかというと、メロスカルテット(四重奏団)のメンバーがシューベルトの音楽を深く研究したいと望み、彼らが弦楽四重奏楽団として世界から認められよう(すでに認められているが)と努力を重ねたいから不人気作品にも挑戦する。演奏家はCDが売れるかどうかにそもそも興味はないわけで、シューベルトのあまり振り向かれない弦楽四重奏曲へ取り組み、みずからの再生芸術家としての技量を高めようとする。そのような演奏家としての研究熱心と鍛錬の結果として、人気作であるシューベルトの「死と乙女」の「素晴らしい」録音に結実する。ここが演奏家とレコード制作会社のギブアンドテイクであって、不採算の不人気作品の録音を人気作品の利益でまかなうわけである。演奏家の使命として果される、偉大な作曲家の作品を後世に伝え広める努力に背を向けている限り、レコード制作会社として「世界の一流」にはならない。

 それはレベールとしての意地とプライドである。

 

3.演奏時間

 

 以前わたしはブログにSPからLPへの移行が、「長時間の作品」の録音を促進したと指摘した。1分間に約78回転するSPに対して、LPはその半分以下の約33回転で、これによりLP録音のレコードはAB(裏表)両面で60分ぐらいの演奏が一枚のレコードに収録できるようになった。交響曲を例にとれば、モーツァルトやハイドンの交響曲は最長30分ぐらいで、一枚に2曲収録可能で、ベートーべ゛ンからブラームスまでのロマン派交響曲は一曲45分まで、チャイコフスキーやドボォルザークもこれに準じて45分程度で収まる。つまり一枚で収まる。例外はベートーベンの第9交響曲で約70分必要である。

 これは4楽章制と各楽章の基本たるソナタ、2部、ロンド形式が、必然的に導く音楽の進行と時間の関係があって、基本は、4小節ひとまとめのひとつのテーマという「長さ」にある。小学生のころに学ぶ「文部省唱歌」のほとんどが、4小節単位で進む(「夏が来れば思い出す、静かな尾瀬、遠い空」で4小節である)、A A´B A という4小節×4の16小節で一曲という構造を持っていて、たとえばメトロノーム一拍=90だと、約40秒で一曲を歌うことができ、歌詞が三番まであって、120秒(一分半)である。ところがこの120秒を仮に第1楽章の全体のソナタ形式の第1主題として提示して、仮に第2主題にも同じ時間をかけて、展開部で第1主題と第2主題を用いて別世界を描き、再現部を持ってきて、序奏とコーダでだいたい7分~10分である。ソナタ形式の第1楽章は長くなる傾向があって、他の楽章は5分程度である。(つまりハイドンの交響曲が約30分ということには形式上の根拠がある)

 実際の楽譜はこんな単純なものではないが、文部省唱歌の二部形式とは基本中の基本で、古典においては、この基本の上に音楽が構成されていることは明らかである。

 

 こういう演奏時間に関する必然は、音楽の内発的な発展であって、録音技術とはそもそも関係がない。エジソンが蓄音機を発明した時、交響曲の演奏時間についてはなんら注意を払っていなかったのであり、録音時間に興味があったのは「音楽界」の方である。ベートーベンの交響曲第5番を録音するには、最低3枚のSPレコードに分割する必要があって、こういう録音技術の限界は1950年代後半にLPが登場し、ステレオ録音が確立するに及んで一変する。

 

 ワーグナーの楽劇「ニーベルンクの指輪』を全曲聴くには約15時間掛かる。1951年のバイロイト音楽祭で、ハンス・クナッパーツプッシュが『指輪』を指揮した録音が、当時のLPで12枚組だったと記憶するが、もし仮にSPで発売するとなると約30枚組となる。だからSPの録音技術はオペラなどの長時間作品にはむかなかった。仮に30枚組の『指輪』を製作しても、それを誰が買うかという問題を考えれば、長時間作品がSPのレコード作成会社にとって、不採算必死で「商売」にならない。

 

 LPの登場はそれを可能とした。

 

 ブルックナーやマーラーの多くの交響曲は、前述の「交響曲1曲45分」の限界を超えていて、最低でも60分、長いものでは90分は必要で、LPの2枚組みなら十分収まった。よってオペラとともにLPの登場によってブルックナーやマーラーの音楽の人気が加速した。

 

 LP時代に最初のブルックナーの交響曲全集(オイゲン・ヨッフム指揮 ベルリンフィルハーモニー/バイエルン放送交響楽団)はグラモフォン(独)によって達成される。これはひとつの金字塔で、ブルックナーの母国としてのドイツの意地が成させたのではないか? この全集が果たして商業ベースに乗っていたかどうかは別として、第1、第2、第6交響曲のようなほとんど知られていなかった作品を提供して、後のブルックナーのブームの先駆をなしていて、このあと各レコード制作会社はこぞってブルッククナー作品の録音を増やしていく。ここにも商業主義的な一攫千金という即時的な利益に左右されない、クラッシクレコード制作会社の戦略が浮上する。大衆の中にクラッシク音楽の選択肢としてブルックナーを提示することで新たな「市場」を開拓するのである。

 

ヨッフム指揮 ベルリンフィルハーモニー管弦楽団

ブルックナー 交響曲第1番 ハ短調

 

 マーラーに関しては、何といってもブルーノ・ワルターの最晩年のステレオ録音(米CBS)によって、聴き手に「マーラー」という選択肢が示されて、市場拡大の格好の作曲家であった。

 

 だがそのためには長期の録音計画が必要だった。というのもマーラーの作品には、ベートーベン以来の交響曲には稀であったソロ歌手と合唱、そして時に少年合唱が必要で、こういう作品のためにはオーケストラ以外に、合唱団のトレーニングが必要で、オペラや歌曲リサイタルに忙しい第一線で活躍する歌手との総稽古も必要となる。当時のレコード制作会社が単発企画でこのような録音を敢行するのは、いくら商業第一主義ではないといっても経費が掛かりすぎる。だから現実のコンサートスケジュールに合わせて録音を実施するという方法をとった。よって1960年代に進行した3つのマーラーの交響曲全集の企画(英デッカ、米CBS、独グラモフォン)は、10年ぐらいかけて完成されている。

 

 特にマーラーの交響曲第8番『一千人の交響曲』の録音には、実際にはオーケストラ120+合唱300ぐらいで、千人は不可能に近いのだが、これだけの人数が参加する演奏の実現は簡単ではない。

 

 わたしは大阪フィルハーモニー第200回記念定期公演で、小林研一郎の指揮で大阪フェスティバルホール(改修前)で『一千人の交響曲』を聴いた。演奏そのものへのコメントは避けるけれど、たとえば曲中で合唱団が出だしで揃わないことが数回あったりした。大人の合唱団の方が緊張していて、むしろ少年合唱団の方が指揮者をしっかり見ていて素晴らしい反応を見せていた。作品の欠点とはいわないが、合唱が消えて、オーケストラだけに移行すると、フォルテッシモの大音響の場面にもかかわらず、全体の音量が急に小さくなった記憶があり、この音量の突然の落差は聴いていてあまり心地のよいものではなかった。マーラーに「舞台裏」と指示された第2ブラスバンドは、フェスティバールホールの客席の最上段に配置されていて、終曲のフィナーレで活躍するのだが、その音がいきなり背後から現れていて、演奏のテンポにはフィットしていたものの、マーラーの狙った「エコー」効果ではなくて、いきなり金管の音量が耳に入ってきて、「舞台裏」という距離感は感じなかった。舞台から4列目という前方のわたしの座席の位置も影響していると思うが、この作品をひとつの音楽として聴かせる「困難さ」を痛感した。

 こういう作品は、むしろ「録音」による「テープの加工」を経て各声部の修正「ミキシング」を加えないと演奏が成り立たないのではないかと思った。

 

 LPによる録音の革命は、しかしその限界も露呈していた。マーラーの第8交響曲を「何時、どのタイミングで、どこで、どの演奏家で敢行するか」ということに関しては、レコード制作会社としては失敗は許されない重要な課題で、しかも演奏者を「録音」の都合に強制して集合させることは「至難の業」であった。

 

 ところが、この新しい市場の「マーラーブーム」は、ライヴァルのレコード制作会社との熾烈な市場争奪戦でもあって、マーラーを聴きたい世界の人々は、一枚のマーラーを誰の指揮で聴くかの選択をしていて、よって将来の市場の主導権を握るためには、赤字覚悟で、レベールの威信にかけて「マーラー全集」を成し遂げなければならなかったのである。

 

 60年代に進行していたマーラー交響曲全集には、前述の3種が有名だが、他にもマーラーに並々ならぬ興味を示していたジョン・バルビローリとか、ヴァーツラフ・ノイマン、エーリッヒ・ラインスドルフなどの指揮者がいて、そういう指揮者のLPも発売されていて、3社の市場独占とは簡単にいかない。

 60年代のマーラー全集の録音は、バーンスタイン(米CBS) ショルティ(英デッカ) クーベリック(独グラモフォン)の3種で進められた。彼ら指揮者にはそけぞれの理由でマーラー全集への執着があったが、それはマーラーのグローバル性に求められる。

 バーンスタインについては、彼がマーラーと同じくユダヤ系の作曲家であるということで、大量のユダヤ人を移民として抱えてきたアメリカでは、マーラーは早くから受け入れられており、マーラー自身がニューヨークメトロポリタンの指揮者であったこともからも、ヨーロッパに比べて「反ユダヤ」の意識は薄かった。むしろLPの創世記に彗星のごとく現れた指揮者バーンスタインのアメリカでの人気は、レコード制作会社としては商売としてはこれを利用することが絶好の機会である。

 ユダヤ系のバーンスタインがこだわったのはマーラーとショスタコーヴィチだが、作曲家としてこの二人のスコアを読むことは重要であったと思われる。

 ショルティ(英デッカ) もユダヤ系でハンガリー出身。マーラーとの共通項は「東欧」である。このマーラー全集の特徴は何といっても「録音技術」の高さで、バーンスタインやクーベリックのものと違って、アナログ時代の録音だが、デジタルに近い透明度のあるサウンドである。特に交響曲第8番『一千人の交響曲』はわたしが大阪フィルで感じたような「違和感」はない。

 

ショルティ指揮 シカゴ交響楽団

マーラー 交響曲第8番 変ホ長調 『一千人の交響曲』

 

 クーベリック(独グラモフォン)は、チェコ出身でマーラーと同郷であることと、バーンスタイン同様作曲家でもあったことである。同時に戦前はナチスの影響でユダヤ系であるマーラーの演奏はドイツ圏では敬遠されていて、アメリカやイギリスに比べてマーラーの受容は遅れをとっていた。(一説にフルトヴェングラーのマーラーの録音が少ない原因とされる) しかしウィーン国立(王立)歌劇場の総監督だったマーラーは純然たるドイツの音楽であるというグラモフォンの意地もあったに違いない。

 こうして1970年ごろには、3つのマーラー全集が完結した(実はもうひとつ、この後すぐに、ベルナルト・ハイティンクが全集を完成(蘭フィリップス)していて、しかしこちらは日本では全集形式でしか発売されず、購入が大変躊躇されたが、マーラー直伝ともいえるメンゲルベルクのアムステルダムコンセルトへボウの演奏とあって、わたしには羨望の的であったが、2万円を超える全集には手が出なかった)が、これもまた商売抜きの3(4)大レベールの面子を掛けた録音事業であったといえる。というのも、以前にもブログに書いたけれど、わたしが中学生だったころ、マーラーのLPといのは、圧倒的に、第1、第4、『大地の歌』に偏っていて、特に第3、第7、第8のレコードは数種類しかないという散々な状況で、第7交響曲にいたっては、上記の3大全集のほかにはクレンペラーの録音しかなかった。だからわたしが中学3年のクーベリックの第7交響曲のLPを手に入れたころ、多くのクラッシック愛好家にとって、マーラーの7番など「謎の交響曲」であった。(少なくとも日本では)

 しかしちょうどそのころ、NHKFMで、ミヒャエル・ギーレンとか、エーリヒ・ベルゲルとか、若杉弘(当時ケルン放送交響楽団の常任指揮者で1980年にわたしは東京文化会館の来日公演のマーラーの5番をコンサートで聴いている)などの指揮によるライブが放送されたり、カラヤンやアバードなどのビック・ネームの録音がLPに登場したし、ジェームズレヴァイン(RCA)やクラウス・テンシュテット(EMI)のLPが矢継ぎ早に発売されて、「マーラーブーム(第2次)到来」と盛んにいわれた。

 

レヴァイン指揮 フィラデルフィア管弦楽団

マーラー 交響曲第5番 嬰ハ短調

 

 わたしの中学生当時のLPのカタログ(海外分も含めた分厚い「総カタログ」が市販されていた)で一度数えたことがあったが、ベートーベンの第5交響曲の録音というのは80種類ぐらいあって、様々な演奏で聴くことができる環境が整っていて、聴き手はもっと新しいものを求めていた。ベートーベンやモーツァルトは十分に聴き手の選択肢が示されていた。

 ここで、3大全集のおかげで、もはやマーラーの第7交響曲は「謎の交響曲」ではなくなり、大衆は別の演奏も聴きたくなる。

 3大レベールの先駆的な挑戦は結果的に「市場」を拡大したのであり、60年代に不採算覚悟の企画に向けられた努力は、1980年代には「マーラーをできない指揮者は指揮者にあらず」という言葉さえ飛び出してきて、今日では、マーラーはレコード生産の重要な一角を占めている。

 

 こうした長期の視点に立った努力は、一過性を追及する「ミリオンセラー」をあえて望まないが、長期的に見て、短期的に不採算な企画を敢行するクラッシックレコード界の「芸術」へのあくなき「追及」があったということである。

 

4.廉価盤

 

 ところで、わたしが中学生のころ、LP一枚の価格は、レギュラー盤で2500円前後であった。だから録音時間を考えても、ベートーベンの第5交響曲をA面とするとB面には第1、第2、第8交響曲を収録することができる。もっとも、30分でベートーベンの第5交響曲を収録するためには、第1楽章のリピート(第1主題の繰り返し)を省略しなければならなかった。一枚のレコードに2500円を払う購入者にとってみれば、一枚で2曲聴けるのはありがたい話であったのだが、日本の発売元もそうした工夫をしていて、たとえば、ベートーベンの交響曲第3番は録音時間にして約50分で、LPの収録限界には少し余裕があるから、同じLPにたとえばベートーベンの「エグモント序曲」(約10分)をカプリングして発売していた。

 ところで「レギュラー盤」とは、「新譜」とほぼ同義で、いわゆる「リリース」盤のことで、新登場の最新録音を示している。だから待ってましたとばかりに買い求めるコレクターの熱がそれを買わせる。が、3年もたつとそのLPは売り上げは減少する。そういう状況で、いかに「新譜」ではないレコードを買ってもらうかをレコードの販権をもつ日本のレコード会社は考えるわけである。

 よって、5年前に一枚2500円で売っていた、かつての「レギュラー」盤を2枚一組で3000円、4000円で発売する。要するに価格ダンピングだが、すでにレギュラー盤で原価を回収しているから、レギュラー盤の特権(付加価値)を追い求めるより、一枚における利益率にこだわらず、商業的な販売量に活路を見出すのである。

 

 字数が限られてきたので、中途半端だが今日はこの辺で終わらせてもらいます。

 

 つづく