中国の世界観 一部再掲 | コリンヤーガーの哲学の別荘

コリンヤーガーの哲学の別荘

30年温めてきた哲学を世に問う、哲学と音楽と語学に関する勝手な独り言。

 2017年の正月1日にわたしはこのブログで『暦と世 中国の存在論』 という記事を書いた。(2017年1月1日の記事) その改訂版

 

グレゴリウス暦による 1月1日     コリン ヤーガー

 

 さて、元旦がなぜこの日になったのかを調べてもよく分かりません。グレゴリウス暦の原型は、シリウス暦(シリウス  は、おおいぬ座α星)だから、4000年前のエジプトですでに今の位置、すなわち約365.25日(この端数0.25が4年経つと閏(うるう)1日)の中の、公転軌道中のある位置を、一年の初めとした。おそらく農業に関わることです。

 シリウスは、AとBと言う主星と、伴星からなっている「双子」星(実視連星)であることが確認されたのは1844年でドイツ人のフリードリヒ・ヴィルヘルム・ベッセルが観測により証明したとされます。が、古代エジプト人は、このシリウスが二つの星から成ることを知っており神として「オシス」「イシス」と呼んでいて、望遠鏡もないのにどうしてこの事実が分かったのか不思議です。このエジプト人は、農業のために、ナイル川の氾濫時期が知りたかった。1年を360日と考える背景は、どうもイシスとオシスの関係、つまり双子の伴星の公転周期に関係あるらしいが、よく分からない。

 グラハム ハンコックの『神々の何とか』 (もう題名も忘れてしまった。)の中で、大ピラミッドの中にあるある部屋の天井に煙突のような「穴」があって、そこからに1年のうち2度「シリウス」が見えるように設計されていて、それが暦を作ることに利用された、と書いていた。彼はあまり信用できないのだけども、あながち真実に近いものがあるとわたしは思っている。

 

 さて、日本では、「一週間」とかいうサイクルは、明治以降で、今日は何日?や今何時?干支つまり、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥を使っていた。テレビで時代劇を見れば「牛(うま)の刻」とか言っているのをご存知かと思います。

この干支に、十干、甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸を合わせて、なおかつ「陰陽五行」説を加えれば、古代中国の世界観の基本体系、すなわち「存在論」の根幹になります。

 

 一週間を、西欧では、太陽系に連携させる神の名である。

 

SUN         太陽

MOON        月

TUESDAY         火星  Mars      (マース)

WEDENESDAY  水星  Mercury  (マーキュリー)

THURSDAY        木星  Jupiter   (ジュピター)

FRIDAY             金星  Venus   (ビーナス)

SATURDAY        土星  Saturn   (サターン)

 

中国文化圏では、「陰陽五行」説

日=陽

月=陰

 

 「火」と「水」と「木」と「金」「土」は、元素であり、ギリシアの「空気」「火」「水」「土」の四大元素に対応する思想です。世の中の存在を抽象化すれば、これらのものにすべて還元できると言う「存在論」を示しています。

 干支が、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の12であるのは、公転軌道という円環に関連しており、今日の時計の配置が意識されていて、つまり「時間論」で、なおかつその円盤を地上に描くときに、方位に関連させて、つまり「空間論」となり、世界解釈に利用している。

さらに、「干支」、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥を「十干」、甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸と絡ませることで「人生論」にする。古代の中国人の平均的な寿命である「60歳」を一周する序数として60年=還暦という思考に至りました。

 「十干」、甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸は、1 2 3 4と言う数学的な「基数詞」ではなくて、英語の Farst つまり「序数詞」で 順番に意味がある。

 

 これで、時間も方位も説明できる。

 

 上の図で、12と10だから。外側は六角形。内部は五角形。

干支の12と。干支10の並びはひとつ飛ばしだが奇数の7である「陰陽五行」は二つ連続にして14の偶数にすることで、干支、十干と整合性をつける。

一番外に基数詞を持ってきて、この世の具体性を、数学の抽象性に包み込んで宇宙に納める。

 

素晴らしい

 

こういう世界観は中国文化に学ぶべき点が多いと考えるべきです。

 

 わたしは、毎年1月1日は、「年のはじめ」にちなんで、「暦」つまりカレンダーに関する本を読む(今年で27年目)。別に日本や中国に関するものだけでなく、シリウス暦、シュメール暦、イスラム暦、マヤ暦、太陰暦、太陽暦など

 珍しいのでは、静岡県三島大社の「三島暦」で、これは源頼朝が幕府を開いたさい、本来朝廷の元に一元管理されていた「暦」の決定権を奪うために、朝廷の命ずる元号に従わず、三島大社に作らせた対抗「暦」で、後にこの野心を頼朝自身が引っ込めている。

 

 以前のわたしの記事では、「干支」「十干」「還暦」「序数詞」「基数詞」「方位」についての関連性を指摘して、最後に次の図を掲載しました。 今日は、その続編として記事を書きます。

 

① 殷王朝の系譜

 司馬遷の史記の『殷本紀』などにより、この中国最古の王朝の系図は知られている。しかし、上記系図の右と中央に関しては、神話の可能性が高く、実在を証明するのは難しい。これに対して一番左に関しては、逆に実在の可能性が高い。

 

 そして、赤矢印をつけたところに注目していただきたい。

 この文字はすべて十干すなわち、甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の一文字である。

 しかし、十干は「序数」であり、順番に意味がある、英語の first、と同じで「甲」は一番目なのである。ところがこの「殷 先王前期」の王の継承順と十干の順とは一致しない。この問題については、次の説明が有力と考えられる。

 なお、○は新王朝の開祖なので家を示す区別がない。日本で言うと8代将軍徳川吉宗の意義とは、本家から紀伊徳川家への王朝交代である。

 

引用

 

 殷王朝は諸氏氏族連合政権というが、それ自体政権護持の便法であって、筆者は、王位継承権は王家男系の分派独立の「甲」より「癸」にいたる十家が存在し、その十分家の合議制による同一世代での適任者選出の、王位継承法だと思っている。

 

『干支の漢字学』  水上静雄 著  大修館書店  50頁

 

 要するに十干の各文字は、連合政権の「王位継承権」をもつ十家の区別のための表記で、太甲であれば「甲」の文字で表される家出身ということであろう。

 

 ただ、そうすると殷王朝時代に、すでに十干の「順番」の意味が付されていたかどうかについては必ずしも明らかではない。

 だが私が注目したいのは、中国の度重なる王朝の交代にもかかわらず、文化、文学、学問の「連続性」「継承性」である。もし、殷代以降に十干の順番が付されたとしても、原型を殷の歴代王の名前から拝借して来ていること自体がすばらしい。これは文字の登場(甲骨文字)と発展の早さに基礎づけられていると思う。書き残すことなしに、伝承だけでこういうことは起こらないと考えます。

 

② 地政学的な要素を結びつける。

 

 

 わたしは以前の記事で次のように述べました。

 

引用

 

 干支が、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の12であるのは、公転軌道、自転周期という円環に関連しており、今日の時計の配置が意識されていて、つまり「時間論」で、なおかつその円盤を地上に描くときに、方位に関連させて、つまり「空間論」となり、世界解釈に利用している。

 

当ブログ 『暦と世界 中国の存在論』 本年1月1日記事より

 

 すなわち干支の「子」の方向を北に合わせれば、現代の時計のような配置になるということです。

 元旦の記事はここまでにとめましたが、上の図で干支の内側にある文字を見ると3段枠の中段は

 

「斉」「呉越」「燕」「宋」「鄭」「楚」「周」「秦」「魏」「趙」「魯」「衛」

 

 

 

 

春秋時代の中国の群雄の位置に符合する。

 ただし、呉越だけは見当違いの東北にあるが、これは周王朝が各国のアイデンティティーとして残ってた時代において、周室を敢えて、現実の場所から太陽の南中の方向に移動させ(上の地図で大きな青○の部分)下のように

 

 

 中国全土の円環を扇型に置き換えれば、なんとなく「呉越」の位置もそんなにおかしくない。

 

 とにかく、現実を図化するときに、自然の形態としての方位や時間、暦と、人間が織り成す権力や戦争の単位としての分立国家を「ひとつの中国」で収めてしまう意志は、大変な目的意識を古代の中国人が共有していたということにおいて、感嘆させられることです。

 こういう思考の基では、特定の抜きん出た「一神教」という宗教はいらない。中国にありとあらゆる世界の宗教が集まるのは、それらの教義より確固とした「中華」(世界の中心で華のように咲くとい意味)という世界観(「中華思想」)が「優勢」で、個人がどんな宗教に染まろうと、中国のアィデンティティーさえ捨てなければ、権力は干渉しない、というか「宗教」より「先人の学」が優先されていて、宗教など冷たくあしらわれていたということです。

 

③ 思想としての十干、干支。

 

 前にも述べたが、陰陽五行説は、

 

 ① 陰==月=弟

 ② 陽=光=太陽=兄

 ③ 火

 ④ 水

 ⑤ 木

 ⑥ 金

 ⑦ 土

 

 であり、「火」「水」「木」「金」「土」 か、すい、もく、ごん、ど と発音する。

 これはギリシアの四大元素「火」「空気」「水」「土」に対応する中国の「元素」です。

 中国では世界は、「陰」「光」「火」「水」「木」「金」「土」で構成されているとされていた。占いも含めて、これらを秩序立てて並べる必要がある。

 

 

①  一年は、太陰暦により、360日で 5等分さ、各72日プラス土用

  18日と分けられている。

② その5等分のそれぞれの「二期」に区分され「陽」と「陰」が交互

  に現れる。

③ そこに干支が配置される。

④ 五行は元素だから、「陰」にも「陽」にも現れる。

⑤ ④を受けて5行は、「陰」「陽」にそれぞれ対置して

 たとえば、「甲」は、陽にあって、「きのと」「きのえ」の「きのえ」であって、「陽」を性格づけられた「兄」としての「え」で、「と」は「弟」であり、陰の象徴である。

 

 ここら辺は、訓読み部分では日本文化なのだが、ここまで中国の先進性を1500年ぐらい最も生かし引き継いでいるのは「日本人」である。

 中国文化は偉大だが、その利用価値を一番知っていたのは、中国人ではなく、日本人であったのです。模倣のようだが、中国王朝の顔色を見なくても、海に隔てられて自律しているからかえって中国文化の合理性、偉大性を見て取れたのです。はっきり行って「いいとこ取り」なのです。

 

 余談、

 

 森友学園の理事長よ。あなたがいくら中国が嫌いであっても、われわれ日本人が言語を表記する独自の「文字」をついに発明することができず、「あ」さえも「安」の崩しなのである。日本語の字は中国からの借り物なのです。

 現代中国の「膨張主義」に抗議せねばならないのは理解する。が、古代中国文明なくして「日本という文化」はここまで到達することはなかった。

 

 現代中国への批判は結構だけれど、恩恵を受けてきた「過去」をそれで否定することはできない。

 そういう他者への理解を努力するわたしたち大人と違って、身近な「おとな」を正しいと思って育つ子供たちは、理解できないジレンマを経験をすることになる。中国を悪魔のごとき存在だと幼稚園児から刷り込まれた人間が、大人になって、今よりもいっそうグローバル化するであろう将来の日本で、外国人とうまく付き合えるようになると考えているのですか?  コンビニのアルバイトが「中国人」であっても、言葉の壁を乗り越えて「日本人」と共に仕事をする自立性において、すでに日本社会が成り立っている今日、国籍、民族を隔てる教えなど許されはしない。