言語哲学論 副題ー認識論 本論  その6 | コリンヤーガーの哲学の別荘

コリンヤーガーの哲学の別荘

30年温めてきた哲学を世に問う、哲学と音楽と語学に関する勝手な独り言。

少し間隔があきました。

 

引用

 

これから報告する成果は。こうした方針に一貫して従おうとする意識的な試みから得られたものである。本書の形式ばらない述べ方のためにこの事実が不明確になってしまう恐れがあるので、ここどこの点を強調しておくことは重要である。

具体的には、言語構造に関する3つのモデルを考察し、それらの限界を明確にしていきたい。① ある種の極めて単純なコミュニケーション理論に基づく言語モデルや、② 「直接構成素分析」( immediate  consitituent  analysis ) として現在広く知られるものの大部分を組み込んだより強力なモデルが、文法記述のためには全く適正さを欠いていることが分かるだろう。これらのモデルを考察し適用することによって、言語構造に関するいくつかの事実に光が当たり、また言語理論におけるいくつもの欠陥が浮き彫りにされる。特に、能動-受動関係のような文同士のの関係を説明することが出来ないという血管である。( ③ については次回 )

 

『統辞構造論』 ノーム チョムスキー著 「まえがき」 福井直樹 辻子美保子 訳 岩波文庫 7頁

 

ここで ① に関しては、当ブログ『用語の基礎 言語学3』で示した「句構造規則の表現方法」を思い浮かべてもらえばよい。(当ブログ 『用語の基礎 言語学』シリーズは、本稿の為の基本のおさらいで連動しています。)

問題は

② 「直接構成素分析」( immediate consitituent  analysis ) 

③ 「変換」( trasformaitional )モデル

2つである。

 

まず②「直接構成素」分析について説明すべきであろうと思います。

その前提として「構造体」と「構成(要)素」概念を抑えておきましょう。

 

引用

 

5.1  構造体

 

記述主義における統語論は、大まかにいえば、派生(当ブログ『用語の基礎 言語学1』参照)および屈折(当ブログ『用語の基礎 言語学2』参照)によって形成される構造体( construction ) を、さまざまな種類の、より大きな構造体に配列する諸原理である、と定義される。ここでいう構造体とは、語あるいは形態素の集合で意味を有するものを指す。たとえば、「こうしてぼくは王子さまと知りあいになりました。」 で 「こうして」/「ぼく」/「王子さまと知りあいになりました」などは「構造体」であるが、「こうしてぼく」/「あいなになりました」などは構造体とはいえない。なぜなら、語・形態素の集合体ではあるが「意味のあるもの」と言うことができないからである。 

 

『言語学入門』  田中晴美 家村睦夫 五十嵐康男 倉又浩一 中村 完 樋口時弘 共著  大修館書店  102頁

 

単に「ぼく」であれば、主語の意味内容を示すのみで「構造体」だが、「こうしてぼくは」の「こうして」は「このようにして」=like this という接続詞で「こうして」の意味内容は直前の文章が開示されなければ不明と言うことになる。よって直後の名詞と結びついた「構造体」とはみなされない。直前の説明を指し示すと言う意味で「構造体」である。

 

引用

 

The  woman  who  was  talking  with  him  began  to  cry. で the  / woman  / who  was  talking  with  him  / the  woman

 ....began  to  cry 

などは構造体であるが、

woman  who  /  with  him  began  

などは構造体ではない。

 

『前掲』 102頁

 

the  が構造体として認められるのは、この語が 冠詞( article )     a  に対比して、具体性を帯びた who  was  talking  with  him という内容を指していると言うことである。一方 a も「一つの」「ある」「~~一般」( a  dog = 犬一般。犬というもの ) 

 

 

I  wanted  to  be  a  Beethoven.

a  Beethoven  (一人のベートーベン)

訳 私はベートーベンのような人になりたかった。

 

 よってひとつの英文を意味のある「構造体」に区分するという一見誰にでもできそうなように思える分析は、じつは文法のかなり正確な知識がないとできない。

 

引用

 

5.2  構成要素

 

構造体を構成する要素を構成要素( constituent ) と呼ぶ。構成要素の最も小さいものは、一般に語(あるいは形態素)と考えてよい。語が集まって、いわゆる語群をなしている場合には、有意味である限り構造体であるが、その語群がさらに大きな構造体の一部であれば、その語自体がまた構成要素である。前例における「王子さまと知りあいになりました」や、  who  was  talking  with  him  は、それぞれ、より大きな構造体の一部であるから、構成要素である。

 

『前掲』 102~103頁

 

構成要素は、より小さい構成要素に分解されうる。(ひとつ大きな)構造体を構成している構成要素を「直接構成要素」( immediate  constituent 略称 IC) という。

 

チョムスキーの言う 

「直接構成素分析」( immediate consitituent  analysis )

とは、構造体の構成要素を階層的に分析することです。

 

このモデルについて、チョムスキーは、「能動-受動関係のような分同士の関係を説明できない」と言っている。

つまりこのモデルの限界を示すことで、文法の一般化に伴う課題を浮き彫りにすると言うことを表明している。その能動-受動関係に関するこのモデルの限界についてはこの『統辞構造論』の本論で語られるであろうから、ここでは説明しない。

だが、私の考えを少し紹介すると、動詞を中心として、人物ないし主語、述語としての「主体」を与えられる名詞句のどちらから事態を描き、どちらを「主語」として記述するかが、能動( active )  受動 ( passive )の文法的意義であるにしても、主語と述語をつなぐ動詞句、および第三者の介入(SVOO,SVOC)に、主語を中心としても、述語を中心としても、あえてどちらも文章の中心点としてとみなさず、媒介による両者への分離として、言語の構造を捉えれば、実は主語と述語は常に交換可能なのである。と言う見方である。

 

さらに読み進めます。