超訳、ニーチェの言葉 より その5 | コリンヤーガーの哲学の別荘

コリンヤーガーの哲学の別荘

30年温めてきた哲学を世に問う、哲学と音楽と語学に関する勝手な独り言。

118  お喋りな人は隠している

 

自分についてお喋りをしてやまない人は、結局は自分の本性、本心、正体について隠し事をしている。

 

特に、嘘をついている人は、ふだんよりお喋りが多くなる。それはたくさんの瑣末(さまつ)な情報を与えることで相手の注意と意識を他にそらし、発覚を恐れている隠し事へ視線を向けさせないためなのだ。

 

『超訳 ニーチェの言葉』  白取晴彦 訳 株式会社ディスカヴァートゥエンティワン  118

 

問われていることに、事実が何であるかを語るだけでよいのである。その結果その件について「有罪」「無罪」、道義的責任の「ある」「なし」を決めるのは、犯罪であれば「司法」、道義的責任であれば「世間」であるが、そういう議論にならず、核心の周辺をぐるぐる回って「しゃべる」類いはニーチェには見透かされていることなのです。

 

もう一つ、およそ「長」がつく組織の責任者は、自分が知らない「部下」がやったことにも責任を持つから「長」であって、「自分は知らぬ」は通用しない。

 

元東京都知事とか〇〇学園の理事長と言うのがそうだとあえて言わない。

 

ただ歴史をまだ1ページも学んでいない幼稚園児に、安保法制賛成の立場や隣国への憎しみを植え付けることだけは許せない。中国や韓国に良いイメージをわたしも持ってない。

しかし彼ら幼稚園児もやがて社会に出て行く。現実には安保法制反対の日本人もいるし、現実の日本社会には中国人も韓国人も北朝鮮を支持する人もおり、仕事の場面ではそんなことは関係なく協力し合う関係がそこらじゅうにある。

その現実を前にしたとき、そのような教育は決して日本社会をよりよいものにはしないばかりか、いびつな関係を増長する。

日本国憲法は「思想、心情、信仰」の自由を保障していて、社会制度も、選挙制度もすべてこの精神の下に作られている。よって〇〇学園の理事長の個人的思想を非難することはしない。が、子どもたちの将来について、貴方が考えるほど「取るに足らない」影響しか与えていないと言うのは事実に反する。

これは余計な詮索なのでわたしの想像だが、この理事長が本当に知られたくない事実とは、実は思想的なことではなく、自分の法人がどうにもならないまですでに経営的に「破綻」していて、それでも何とか「法的」には生き延びていて、彼の「右派」的発言が本心としての彼の「思想」なのだろうけど、実は「保守派」政治家の「政治力」に期待して、そこを梃子に立て直す為により前面に出てきているとすれば、それは「子どもたちを犠牲にして生き延びようとする言語道断な行為」で教育者を語る資格はないということだ。

 

おわり