おー茶ード(お茶をドうド←敢て)

ホールの音響、照明、構造、歴史、建築・設計者・・・とても興味があります。

勿論歌唱の高さは今からでも想像できます。

 

さくらホール下 元大和田小学校の玄関口(再録)

話しでは 先の桜の木は 元のそのままの位置とのこと。

昭和30年に 見た プラネタリウム現物展示(再録)

頑張ってくれました。さくらホール展示

 

国道246の下から 東急デパート方向

何れも 自撮り 3~4年 前です。

何れも 澁谷(シ→ブ⤴ヤ⤵)と言う事で 勘弁下さいね。

落ち会うど  落 合 度 落ち逢うよ❣

 

 

オーチャード どんな姿を 見せてくれるか 楽しみですね

 

さくらホール に 「蘇州夜曲」や「湖畔の宿」?が 響きました。  凄い👍👍👍

🙇 駄文コーナー

 

☆澁谷と 春の小川  

出典・・・東京堂出版 稲垣栄洋 「赤とんぼはなぜ竿の先にとまるのか?」

春の小川

作詞 高野辰之

作曲 岡野貞一

春の小川は  さらさら行くよ

岸のすみれや れんげの花に

すがたやさしく 色うつくしく

咲けよ咲けよと ささやきながら

・・・・・・・・

澁谷の地名の由来は諸説あるが、一説には「しぼんだ谷あい」に由来すると言われる。

作詞者高野は渋谷区代々木3丁目付近に住んで居た。

そして代々木から渋谷へと流れる小川の岸を歩きながら、この詩を作ったと言われている。

この川の源流は新宿区代々木にあった山内一豊の屋敷の中にあったという。

川は流れて、代々木公園の脇に来ると「春の小川記念碑」が立てられている。

このあと澁谷区西原を源流とする宇田川と渋谷駅の東側で合流する。

この西原は吉永小百合さんの出身地。西原小学校6年の時ラジオドラマ「赤胴鈴之助」でデビュー(昭和32年)。このラジオは聞きましたが印象深いのは山東昭子さん(15才)の語り口でした。吉永さんが出ていたのですねえ番組に。吉永さんとはある時楽屋でサインを貰いました。

これも懐かしい思い出です。文京会館でしたがまた書きたいものです。

それと岸田首相が澁谷区生まれとのこと。

川はそのあと渋谷駅に行く、そこに「忠犬ハチ公」の銅像が有る。

 

夕焼け小焼け   同本から

作詞 中村雨紅

作曲 草川信

・・・・・・・・・・(かの雨虹さんの作詞)

夕焼けは 分かるけど 小焼けって なんだろう

昔のギャグ

「昔 俺が夕焼けだったころ 弟は小焼けだった」笑い泣き

これは よく聞き 笑ったものでした。

夕焼けは・・・太陽が西の空に沈むときに、空が焼けたように真っ赤に染まる。これが夕焼けである。

そして、暫くすると、沈んだ太陽に照らされて空がもう一度、赤くなる。

これが「小焼け」なのである。

面白い本ですが

気になると思うので 題名・・「赤とんぼは・・・・ 何故か」 答え

竿の先に 止まるのは 

赤とんぼは変温動物なので 気温が低いと飛ぶことが出来ない。

その為 秋になって気温が低くなると、時々太陽の光を浴びて体温を上げる。

トンボは 飛んでは止まり 止まっては再び 飛び立つのである。

さらに 面白いのは

カラスである

カラスで 郊外に住み居るものは 餌を求めて 都心に来るそうな

その際 都心に長距離通勤する電車

中には 始発電車の屋根に乗って 通勤する ちゃっかり者がいると言う。

鳥運賃を作るぞ!! 

 

ふるさと

作詞 高野辰之

作曲 岡野貞一

兔追いし・・・・・うさぎ

何のために 兔を追いかけた?

「ふるさとの」楽譜は ト長調から 一音低いへ長調に 移調された。

今の子は高い音が出せなくなっているという。

思いっ切り 大きな声を出して 遊べなくなったからという。コロナの前から・・・

せめて 唱歌「ふるさと」はいつまでも 歌い継がれていって欲しい。と言っている。

 

・・・という訳で オーチャード で お茶を ドード コーヒープリン

 

☆東京も 泣いている

前川清は 苦しそうに歌う。

しかし 気になる歌も多い。

「東京砂漠」「恋唄」だ。「そして、神戸」もある。他いくつも有るが・・・・

最初の二つは 別の事を言っているが、東京砂漠の

空が哭いてる・・・強い言葉で 泣くとことという。

オミクロンは 今必死に止めたいものです。さらに ウィルス研究は

コロナの 下火?(オミクロン以外)

の研究 から オミクロン退治に入って欲しい気がします。要はウイルス対ウイルスの問題です。

その戦の中身を 研究して欲しい気がします。

絶対 勝てます。大丈夫ブーグーOK

 

☆その後の ジェニファ・ジョーンズ 朗報

やっとハッピーが判りました。

「灰色の服を着た男」クレゴリーペックと ハッピーに終わりました。

一応ですが・・・

ホッ・・・・👍👍👍×👏👏👏

 

☆辻井伸行コーナー(特別番組BS民放の解説文)

耳に音楽が入ると、凄い音楽コピーが働くそうです、それは即再現可能なもの。多分楽譜と

メロデイ双方が辻井君の頭に入っていくのではないでしょうか。

2才から始まったようで、31才からは更に超絶技巧にも挑戦でしょう。

恐らく藤井聡太君のフィルターに 似ている気がいたします。

 

☆故郷コーナー・・・茨城県庁舎 綺麗に写りました。

今週の元気がチャージできて何よりです。

大(おお)先生も100歳まで、或いはそれ以上現役でしょうね。当然生徒さんは

見習って、実践されて101歳以上迄現役が夢ではありませんね。

人生には、掛け替えのない出会いが有るようですね。

自分にも友人にもありました。先生から見れば、教師冥利に尽きると言う事でしょうか。

 

☆動物コーナー

つい最近まで、カメムシの室内での天下が今は、姿が見えなくなりました。

ボランティァ活動ぼつぼつ 進めて下さい。一般の我々も出来る事を探します。

名古屋日帰り気を付けて、にぎにぎしく どうぞグーパーグーパーグーパー富士山

☆ ブログ600号 おめでとうございます。

 

☆名古屋公演 お疲れさまでした。時間が無かったですね。

久しぶりで 皆さまテンションが上がったようですね。

・・・・・名古屋のお話 有難うございました・・・・・・👍👍👍×5木曾 倍

茨城県古河市に次いで 出ました。

どういうことか

御器所ごきそ です。私どもの名古屋支店の一つ(交差点東30m)が有りそこに通勤していたわけです。

名古屋市では東寄りでしたが トヨタ方面も担当していました。(日進も、ただ日進町でした)

私共の頃は地下鉄が 通じていなくて 大変な通勤をしていました。

西春から名駅そして 地下鉄 今池 そして 市電で 御器所へ 時間が掛かり

閉口しましたよ。いまは 西春から直通があると思います。その頃は夢でした。

昭和区や御器所小の話が出来るといいですね。市電はもう無かったのでしょうか。

こよなく懐かしい場所です。

この御器所 昔は 名古屋でも大切な場所だったようですね。ウイキさんによれば

平清盛 源頼朝 徳川家康の名前まで 出て来る重要地区のようです。(要ご照覧)

次回名古屋公演が有れば 散策し ブログ 下さい。写真も可・・・

「東海の蟹」とたわむるかに座

これは この支店の 宴会で 聞いたものです。

 

ではでは 澁谷へ参りましょう   フクオカ 小父モリタ