昔の話ですが、歌は永遠です。

プッチーニのこの曲は 粗筋を考えると さみしいものがある。(4作品とも)

岡村喬生(故)さんが「蝶々夫人」の話の筋に疑問を持ったようで、自分の思いをヨーロッパの劇場で表したようだ。

それはプッチーニ劇場ですかね。何をどう変えたのか知りたいものです。日本の表現、イメージ等でしょうかね。

しかし 音楽として引きつけるものがある。4大 オペラになるのか よくできている。

「星は光りぬ」はメロディーがいい。男として伝えたい、残したい気持ちを上手に

表している。本当は演題の内容がどうなのかであろうが素人は歌が良いと思うのが先である。

 

しかし、歌がこれほど難しいと練習して感じたことも少ない。というほど歌っているわけでは無いのですが。どこかこの話を聞いて欲しいと思っているのでしょうね。

 

メロデイーにあるのだろう。

自分で希望した曲だった。指導は男性のテノール歌手、ピアノ女性の先生である。

1行1行なかなか、小節が進まない。

エル チェー バンレ ステッレが e lucevan le stelle 何故進まないのだ。(歌の冒頭部分)
(山形の花笠音頭で言いました、モミジの天・・・~どう。先のブログ山形、参照。どこか勉強の

足りないところがどちらも有るのだろう)

これは 最後まで駄目だった。(パバロッテイやドミンゴ、モナコもユーチューブで聞いた。

今は出て来ないが、おとなしめの男性の歌手が良かった。ひょっとして目が不自由かも知れない。)

練習後は 街の中ホール壇上で発表する。観客は僅か仲間内程度。

 

練習期間は数カ月あった。

途中で ピアノの先生が 音(ね)を上げた。

「弾くんですか。」

イヤ不味い、何とか一生のお願いですから、下手でいいから最後まで行きたい。

心で願っていた。

通じたのか テノールの先生は 諦めなかった、ピアノをリードしてくれた。

一方私は 車の中で ずっとCDを聞いていた。来る日も来る日も。

発表会、後で聞くと ソプラノ歌手も応援に来てくれていたようだ。勿論私ではなく、先生の

応援だったが。

この発表会で感じたもう一つの 喜びは 会場のさざ波だった。これはベテランの方は

大したことではないと思う。即ち独唱で演奏に入る時、座席の人並みが聞くために少し動くことです。

集中して聴こうとする観客席のざわつきは、とても嬉しく興奮するものがあると思う。

私はほんの少しだけあって、とてもうれしかった。べテランの方はご経験が一杯あるとおもう。

勿論振袖姿の時(中野)の動揺、拍手は凄いと思う。

さて「星はひかりぬ」である。練習段階で最初から最後まで 通しで1人だけで歌ったことは殆ど無かった。あとで思うと、車のテープだけが頼りだった。

もともと先生は疑問に思っているようだ。それは、皆本番でこれだけ歌えるのに、何故練習で出てこないのか。そう言われていた。私でなく生徒一般であろう。(あくまで私のケースではない)

それは緊張感からなのか、或いは練習の成果か、何等かのパワーかはわからない。

そして、本番。78点か。一応最後まで歌えた。感謝感謝、生涯の歌の一つになりました。

今ブログを書いていて分かりました。エル チェーレ とレを入れていた気がしました。テノールの先生は 何度も何度も エルチェー、エルチェーと繰り返していました。最初音程が違うとばかり思っていましたが、多分チェ―レ バン・・・・と歌っていたのでしょう。今頃気が付くのも変ですが・・・

テノールの先生の事は1生忘れないでしょう。但し一生たって何年でしょう。しかし、中身は濃し。

ここまで、この長い話に耳を傾けていただき、ありがとうございました。

同僚の男性が後の打ち上げ食事会で言いました。

「星はひかりぬ」この歌、3日前までは歌えていなかった。

 

フクオカ モリタ 2021.2.13(ここから暦年でいきましょう)

 

私のブログでは無理ですが、ブログから小説を作れるよう(ただし健全な話し相手会社を探すのはかなり難しい。)です。

がかなり危険はあるようですね。

 

12日 地震の体験の話が(牛久の方、友人が住んでいた町に同じ)有りました。その前に 新月の話がとても参考です。

深いですね、確かに月も 最大のロマンです。 手帳が有るなんて初めて知りました。その他 願い事の話👍👍👍👍👍👍

さて

思い出したくない 話と思いますが

私も 博多で 経験しましたよ。福岡西方沖地震です。2005.3.20AM10:53

天神という中心街が有ります。よりによってこの時間帯に最も危険な場所でしかもビルの8階に

行ったのです。もう駄目だと思いました。地震に遭いに行った様なものなのです。揺れは収まりません。そしてビルがゆっくり斜めに倒れるのを想像します。何故か自分は下敷きにならないのです。ビルに乗っかっているのです。甘い考えに浸るのですね。

此の時皆さんの東北の厳しい経験の後でした。これ以上話してもメリットはありません、

しかし、これだけは伝えたいのです。

それは、あれだけ厳しい津波を経験したにも関わらず、浸透しないということです。

130万以上の都市で、大地震のあと津波の心配をする人が街に皆無なのです。

皆ビルから出て空を眺めているのです。私は一人テレビを探しました。無いのです。誰も情報を得ようとしていないのです。携帯(スマホはない?)などでも調べていないようでした。(しかし今考えると電話帳で気象庁とかNHKに日曜日でも電話したら良かったのですね)

電気店が有りました、そそくさとテレビを店頭から奥へしまっているのです。出して放映するよう話しました。震源は近く、浅かったようですが、津波はなしでした。結局市役所の入り口のテレビで分かりました。(日曜日で役所は休み、守衛室です)被災も日曜日でかなり助かったようです。

結果的に津波は逃れましたが、経験のない事はいかに怖いかを示しています。これは批判でも何でもなく、事実と対策を今後確りしたいのです。

後で福岡で人に話をしますと、経験が全くないから無理ないといっていました。

それは判りますが、何でも研究、経験なくとも想像力を出したいものです。そしていつでも努力は報われます。

さて小鳥も 忙しくなるようです。負けずにガンバっぺでいきましょう。