今から数年前、ある心理学の大会でゲシュタルト療法学会の当時学会長だった百武さんの講演があった。

 

少し話があったあと、実際ワークをしようということになった。その時に私が体験したワークの感想である。(そのときの体験談より)

 

 

 

 (合宿で百武さんと)

 

 はじめに私と百武先生が椅子に座り、もう1つの空椅子を私の前に置かれ自分の状況を話した。その時に、私の左手が払うような動きをしているのを指摘されて、気がつかないうちに今の状況を拒否している感情が自分の身体に出ているのを感じた。それから、空椅子に自分自身が座っていると仮定して、自分と自分自身の会話が始まった。空椅子にいる自分自身へ私が話す言葉の強さに百武先生が「その言葉は誰が言っていたの?」と聞かれて、誰も浮かばず自分自身が思ったから出た言葉だと答えた。その後両親や祖母など他者が出てくる羽目になったときには、自分自身との話し合いだと思っていたので(えらいことになった)と、驚きと不安とで戸惑った。

 

そこからのワークはあまり正確な記憶はない。イメージとしては、私と先生と他者が座る椅子があり、それらがドームに覆われて外のドーム上にもう1人の自分自身がいてそれをみていた。ドームの中の勝手に動き話し感情を出している自分に、(泣いている時間長いとワーク時間がもったいないよ。泣きすぎるとみんな引くよ)(みんなワークの時間が長くて困っているよ)などと思いながら、何をしでかすかわからない自分の行動を、ドームに入れず止められないためただ見ている、という感覚だった。頭(思考)と身体(感じること)が分離し、思考を使って自分で蓋をしていた感情が出てきてしまったのかなと感じた。

 

ワークの中で、自分が祖母になったり自分と自分自身になったりする様子は、何かが私に憑依しているかのような感じで、ドームの上から見ている自分(思考)は、(これが演技だったら主演女優賞もんやな)なんてことを考えていた。しかし身体は勝手に動いてしまう。例えば号泣している場面では、先生に「子どもみたいな泣き方をしてるってわかる?」と聞かれ「わかる」と答えたが、身体が勝手に泣いていたという感覚だった。

 

両親の椅子が置かれたとき、先生を睨んで自分の口をハンカチと手でしっかりと押さえつけているのに途中で気付いた。そして、それを何も指摘されないのを疑問に思っていた。両親に何も言えなかったことや口を押さえていたこと、先生を睨んでいたことがなぜなのかワーク中はわからなかった。はじめは母が怒りを出すのを見たくなかったからなのかと思った。しかし、母が愚痴や不満を言わず苦しんだ私へ謝るだろうと気付いたから、話せなかったのだと思った。母が私に謝ることで自分(たぶん幼児決断)が崩れるのに耐えられなくて、溢れてくる感情が出ないように必死に口を塞ぎ先生に助けを求めていたのだと、あとで気付いた。私にはきっと未完了な感情があるのだろうが、まだそれを表現できなかった。

 

自分では気がつかなかったが、途中身体が緊張して息を止めたり息が浅くなっていたらしく、実際幼いころの祖母との対決時は身体が緊張していたのではないかとの指摘を受けた。そして、身体のどこかが緊張するとその時に感じた幼い頃のしんどさや我慢したことがよみがえってくるとアドバイスを受けた。最後に先生から身体が硬く緊張している部分を確認するように言われ、身体の緊張と呼吸の関係を確認された。そして、身体と記憶は連動しており、身体が緊張しているときにはそれを自覚し、ゆっくりとした呼吸を行うことや緊張をゆっくり鎮めることが「今、ここ」の現実に戻ることだと教わった。

 

帰宅時にふと口に出た言葉が、これは祖母の言葉だと気付いた。そして私のなかに祖母がいることを自覚した。祖母が私に命令し、できない私を叱り、休んでいる私の中に同じ祖母をみて嫌悪し、(そりゃ自分で自分を攻撃するから辛いわね)と腑に落ちた。そして帰宅後は急に疲労感が襲い横になったのだが、2時間後起きたときには両肩を押さえつけられたような重みで両腕が上がらなくなった。この痛みは何かと考えていると、巨漢であった祖母が私の両肩に両足をかけて立っている姿が浮かんだ。今まで自分の中に祖母の影響を受けている部分があると気付いていなかった私が、祖母の存在に気付いたことにより私の中から祖母を出さないように抵抗がおきているのか、はたまた偶然なのか不思議な感覚だった。。。

 

 

 

この出会いの翌日にはゲシュタルト療法の門を叩いた。今まで心理学を勉強して、自分の問題等わかってきたつもりだったのに、無意識に追いやってきた自分の問題にパーンと円柱が差し込まれ、自分の未完了な問題が吹き出しそうになった。まさに「なんじゃこれ!?」の出会いだった。