地震が起きてから、妹のことばかり考えている。
妹夫婦は八代で地域医療を支えている。
震災後、道が遮断され自宅にも帰れず、
何日も病院に泊まり込んで働いている。
病院内はめちゃくちゃだが、
医療ができない他院の透析患者も
受け入れないといけないらしい。
看護師も被災して足りない。
自宅にも帰っていない。
私は妹にいろいろ届けたい。
少しでも代わってあげたい。
助けたい。
でも交通機関は止まり、
道も渋滞。
今は行けばかえって現場の負担になる。
だから行けない。
頭では「それが正しい」と分かっている。
だけど、納得できない。
ずっとずっと妹のことを考えてる。
楽しみにしていた旅行もキャンセルした。
思い切って申し込んだ研修も、
キャンセルするかもと伝えた。
「妹が頑張ってるのに、楽しんでていいのか⁈」
という思いが頭から離れない。
でも後になって思った。
熊本の旅館をキャンセルすることは、
被災地のためにならない、と。
でも、頭では分かることと、
心がついていくことは違う。
妹とは、どっちかというと仲が悪かった。
最近は連絡も途絶えてた。
腹が立つこともたくさんあった。
それでも、地震が起きて、
「妹が壊れないでほしい」
と思った。
私は看護師であり、心理師。
だから、
「私が行かなくていいの?」
「役に立つだろう私が、何もしなくていいの?」
と思った。
この苦しさは、コロナ禍でも経験した。
呼吸器の専門看護師。
新型インフルの対応の経験もある。
看護師不足のなか、即戦力になれる。
でも、そんな風に思う人ほど、
「今は行かない」という判断が、
「何もしない」という罪悪感に
変換してしまう。
災害医療では、このような葛藤は
決して珍しいものではないそうだ。
私は被災地にいるわけではないのに、
心はずっと現場にいた。
妹のことを考えるたびに、
神経まで一緒に緊張しているような感覚だった。
*災害心理では、このような反応を
「間接被災(Secondary Exposure)」というそうです。
また、「助けたいのに助けられない」という無力感や、
「自分だけ安全な場所にいる」ことへの罪悪感も、
ごく自然な反応なのだと知った。
妹は責任感が強く、助けを求めない。
今はアドレナリンがガッと出て、
動き続けられるだろう。
でも私は知ってる。
人は極限状態では驚くほど動けるが、
その緊張が切れた時、
一気に心や身体が崩れてしまうことがあることを。
最近、胸に刺さった言葉がある。
「人の危険を感じる力が強い人ほど、
自分の限界には鈍くなりやすい。」
私はクライエントの変化には気づける。
様子が違うスタッフにも気づける。
妹が、この先危ないかもしれないことにも気づいてる。
でも、自分のことになると分からない。
「まだ大丈夫。」
「私がやらなきゃ。」
そうやって、何度も限界まで頑張ってきた。
振り返ると、
私はずっと「誰かを支える」生き方をしてきた。
それは私の大切な仕事であり、生きがいでもある。
でも災害のような非常事態になると、
その生き方が一気に強く動き出す。
「助けたい」ではなく、
「助けなければ」に。
そのことに、今回改めて気づいた。
ここからは、私と同じように
自分を責めてしまう支援者へのエール。
医療、福祉、教育、心理…など、
誰かを支える仕事をしてる人なら、
一度は経験する苦しみかもしれない。
苦しいのは弱いからではなく、
それだけ真剣に人を支える人生を歩んできたから。
人の危険に気づけるあなたは、
自分の限界には気づきにくいかもしれない。
だから、自分の心と身体を守ることも、
大切な支援の一つ。
この文章は、未来の私や、
今も「私が行かなきゃ」
「私がやらなきゃ」と、
自分を責めながら頑張っている、
すべての支援者へ伝えたい。












