先日、思いつきで京都に行ってきた。その時、時間があったので電車で京都精華大前まで行き、そこからてくてく歩いた。

私が向かったのは「頼光橋」である。ここは妖怪ハンター源頼光が「鬼童丸(きどうまる)」を斬り捨てた場所とされる。

「鬼童丸」は、日本三大悪妖怪の一体「酒呑童子(しゅてんどうじ)」の息子である。

源頼光による酒呑童子討伐後、酒呑童子に捕らわれていた女子供たちは故郷へと帰されたが、その中の1人、伊予掾経友の弟、経成の奥方は精神に異常をきたしていたため、故郷に帰ることができず、現在の京都府福知山市雲原で子供を産んだ。

その子供は生まれながらにして歯が生え揃っていた。7,8才の頃には石を投げて鹿や猪を仕留めて食べたという。

その後、比叡山の稚児となったが、稚児法師を殺し、経論を焼き捨てるなどの悪行が災いし、比叡山を追い出された。

山中の洞窟に移り住み、天狗と結託して盗賊となったが、源頼光の弟、頼信に捕らわれてしまう。

九州での任務を終えた源頼光一行が頼信の家によると、厠に「鬼童丸」が捕らわれていた。

頼光は、これでは不用心だから鎖でしっかり縛っておくように、と頼信に言って「鬼童丸」を鎖で縛らせた。

「鬼童丸」にとって源頼光は父の仇である。頼光が頼信の家に泊まったことを知ると、鎖をやすやすと引きちぎり、天井から寝床を覗き頼光の様子を窺った。

「鬼童丸」の気配に気づいた頼光は、天井に鼬よりも大きく貂よりも小さいものの足音がする、と渡辺綱を呼び、明日は鞍馬に参詣する、と大声で告げた。

「鬼童丸」は先回りして、市原野で牛を殺して腹を裂いて体内に隠れ、源頼光が通るのを待った。

ようやく現れた頼光一行だったが、全く動かない牛(又は死んでいるのにわずかに動いた牛の死骸)を不審に思った渡辺綱は、弓矢で牛の死骸を射った。

弓矢が牛に命中すると、牛の中から「鬼童丸」が飛び出し、頼光に斬りかかった。が、頼光は一刀のもとに斬り捨てた。

首を斬られても「鬼童丸」はすぐに倒れず、刀で頼光の鞍の前鍔を突き、頭は胸懸に食らいついた。

頼光が「鬼童丸」を斬り捨てた場所が、現在の「頼光橋」とされている。

「鬼童丸」の話は、鎌倉時代の説話集「古今著聞集」や軍記物語「前太平記」などに書かれている。「鬼童」「鬼同丸」と表記されることもある。

曲亭馬琴の「四天王剿盗異録」では、山中の洞窟で盗賊、袴垂保輔に会って術比べをしている。

「高名武者譚」では、卜部季武が市原野を通り、赤裸の大男が道端に寝ているのを見向きもせず通り過ぎた、という話が書かれている。この大男が「鬼童丸」だったという。

歌舞伎の「御贔屓竹馬友達」「当稲俄姿絵」などにも登場する。

絵では、歌川芳艶の「両賊深山妖術競之図」、歌川国芳の「和漢準源氏市原野鬼童丸」、月岡芳年の「袴垂保輔鬼童丸術競図」、鳥山石燕の「画図百鬼夜行」でも描かれている。

漫画「NARUTO」では強化改造された人間だった。「ぬらりひょんの孫」では羽衣狐に仕える幹部だった。アニメ「ゲゲゲの鬼太郎(6期)」では、「鬼童・伊吹丸」という名で登場していた。

私が子供の頃、絵本がわりに読んでいた水木しげる先生の「妖怪100物語」には、「鬼童(おにわらわ)」てして紹介されていた。

現在の「頼光橋」はコンクリートで固められ、車通りも多かった。現代に「頼光」の名前が残っていることにちょっぴり嬉しさを覚える。

「鬼童丸」の母親は、病死し小高い畑の片隅に葬られ、そこに植えられたサヤゴの木は、墓石を包むように根を張り「桜御前の墓」と呼ばれたという。

落語家の桂三扇さんは、絵本小説「『鬼』とよばれた親子」(佐々井飛矢文・中村麻美)を生かして落語「『鬼と呼ばれた親子』って?」を創作し、鬼伝説を後世に残そうとしている。