唐突に京都へ行きたくなって行っちゃった一泊二日の京都旅行の2日目。

初日の夜は、京都の花街にどっぷり浸かってしまい、ホテルに戻ったのは2時近かった。

それからシャワー浴びて歯を磨いて寝て、目覚ましのアラームが鳴ったのが4時半。

着替えて歯を磨いて顔を洗って荷物を整理して、ホテルをチェックアウトしたのが5時頃だった。

私は若干二日酔いの体を引きずるようにして、まだ薄暗い京都の街を歩き始めた。

なぜこんなに早朝から動き始めたのか。理由はもちろんある。

今回の旅で絶対に行く、と決めていた寺社があった。松尾大社、鹿苑寺、吉田神社、安井金比羅宮の4ヶ所である。

このうちの「安井金比羅宮」は縁切り神社として有名で、境内にある縁切り縁結び碑の穴を願いを込めてくぐり、願いを書いた形代を縁切り縁結び碑に貼り付けると、願いが叶うと言われている。

この縁切り縁結び碑くぐりが観光客に大人気で、日中に行くとめちゃくちゃ並ぶらしい。狙いは早朝だ、と人から聞いた。

こういうのを一度は試したくなっちゃう私は、まだ寝静まっている早朝に、安井金比羅宮の参拝を決行したのである。

途中、豊川稲荷にお参りをしてから、安井金比羅宮に到着。狙い通り人の姿はなかった。

しっかりお参りしてから形代に願い事を書き、たくさんの形代が貼られている縁切り碑の穴をくぐった。悪縁切り良縁結びを願い、形代を縁切り碑に貼り付けた。

「安井金比羅宮」は、もともと崇徳天皇の館があった場所だという。崇徳天皇は実在した天皇でありながら、日本三大怨霊、また日本三大悪妖怪に数えられる。

崇徳天皇に寵愛された妃の阿波内侍が、崇徳天皇の死後、崇徳天皇を祀ったのが始まりとされる。

すっきりした心で安井金比羅宮を後にし、私は謡曲「鉄輪」ゆかりの「鉄輪の井戸」をお参りした後、 清水五条駅から電車に乗った。

ちなみに五条大橋は、牛若丸と弁慶が対峙した場所として知られ、2人の像がたっていた。

椥辻駅まで行き、そこから10分ほど歩いて、私が向かったのは「坂上田村麻呂の墓」である。坂上田村麻呂は、平安時代の征夷大将軍であり、多くの妖怪を退治したことでも知られる。

私は再び椥辻駅に戻り、電車に乗って蹴上駅に向かった。蹴上駅からのんびり歩いて観光することにした。

ぶらぶら歩いて「平安神宮」「斎場所大元宮」「竹中稲荷社」をお参りして、吉田山の三角点をタッチしてから、「吉田神社」をお参りした。

今回の旅で絶対に行くと決めていた4ヶ所の最後の場所である。この「吉田神社」では節分祭が有名であるが、前夜に行われる追儺式では、3匹の鬼を四つ目の「方相氏」が追い払う。

この「方相氏」の土鈴がどうしても欲しかった。念願叶ってようやく手に入れることができた。

その後、私は「銀閣寺」で有名な「慈照寺」に向かった。途中、「子安観世音」をお参りして、「哲学の道」をてくてく歩いた。

「慈照寺」は文明14年(1482年)に足利義政が隠居後の山荘として創建されたという。観音殿こと「銀閣寺」があまりにも有名で、国宝、世界遺産に登録されている。さすがに外国人観光客も多かった。あっちこっちで外国語が聞こえた。

その後は狛鼠で有名な「大豊神社」、狛兎で有名な「岡崎神社」、上田秋成の墓がある「西福寺」をお参りした。

再び蹴上駅に戻った私は、電車で東山駅に行き、そこからまた歩いて寺社巡りに挑んだ。

承安5年(1175年)に法然上人が創建したという「知恩院」の三門は、現存する木造門としては日本最大級で、圧巻だった。

京都市最古といわれる「円山公園」で坂本龍馬と中岡慎太郎の像を観てから、「八坂神社」にお参りした。

そこから再び円山公園側に戻って、「高台寺」をお参りした。高台寺は、慶長11年(1606年)に豊臣秀吉は菩提を弔うために、正室のねねが創建したという。

その後、急な坂を上って「京都霊山護国神社」をお参りした。さらにそこら階段を上って、坂本龍馬と中岡慎太郎の墓参りをした。私は子供の頃に漫画「お〜い竜馬」を読んで以来、坂本竜馬が大好きだった。ようやく墓参りができた。

墓参りをすませた私は、先程上ってきた階段と坂を一気に降りて「建仁寺」に向かった。その途中、早朝に参拝した「安井金比羅宮」の近くを通ったので、もう一度、参拝させていただいた。

めちゃくちゃ人が溢れていたことに驚いた。特に縁切り碑には、穴をくぐるために順番待ちをする行列ができていた。

てくてく歩いて「建仁寺」に辿り着いた。建仁2年(1202年)に開かれた臨済宗建仁派の大本山で、京都最古の禅寺といわれている。俵屋宗達の「風神雷神図屏風」が有名であるが、通常は複製が展示されている。

その後、「六波羅蜜寺」と「豊国神社」を参拝した。2か所とも以前にも訪れたことがあった。

「六波羅蜜寺」は天暦5年(951年)、踊念仏で有名な空也上人は創建したという。また、平清盛が拠点としたこともあって、境内には供養塔の清盛塚が残されている。こちらの宝物館では、教科書等でよく見る空也上人立像と平清盛坐像を観ることができる。

前回、小倉軍団のNo.2と訪れた時は宝物館も拝観したが、今回は人がうじゃうじゃいたので、お参りだけにした。

豊臣秀吉を神として祀る「豊国神社」を参拝した後、時計を見たら、まだ15時をまわったところだった。時間はまだまだ余裕がある。

が、足が限界だった。足がめちゃくちゃ痛い。腹も減った。そういえば、朝から何も食べていない。

私は体に限界を感じ、この旅の寺社巡りを終了することにした。どこかでご飯を食べてゆっくり休もうと思った。

うろうろしたが、なかなかいい店が見つからない。結局、私が入ったのはマクドナルドだった。16時近くになっていたが、本日初めての食事である。

今回の旅はとにかく歩いた。朝から晩までよく歩いた。帰りの新幹線の中で、とっても気持ちよく眠れた。楽しい時間を過ごすことができた。

やっぱり京都は最高だ。