神社仏閣巡りには美しい彫刻を見るという楽しみ方もある。龍や獏、鳳凰、麒麟といった幻獣の彫刻をよく見かける。

中には少し変わった幻獣を見かけることがある。見た目は麒麟に似ているが、背中に亀のような甲羅を背負っている。

この幻獣は「水犀(すいさい)」と呼ばれる。

その姿は、体は馬、牛の四肢、蹄、尻尾を持ち、背中には亀の甲羅があり、額には一本の角を持っている。角の大きさは一尺以上(約24センチ以上)だという。

もともとは古代中国の「山海経」のひとつ「海内南経」に記載される幻獣「犀牛」で、その角を水の張った容器に入れたら水が真っ二つに分かれた、その角で火を起こせば数千里離れた場所からでも見えるほど輝く炎がたつ、その角で杯を作れば毒酒でも毒を浄化できるなどの言い伝えがある。

実在するインドサイが、誤った知識を元に美術的に装飾されてできた幻獣、ともいわれている。

この幻獣が日本に伝わると「通天犀」と呼ばれるようになった。

江戸時代に書かれた「和漢三才図会」「本草綱目」では、山林に棲息する「山犀」、水中に出入りする「水犀」、雌の犀を「兕犀(じさい)」の3つに分類し、これらを「通天犀」と呼ぶ、と記されている。

千年をこえた通天犀の角は長く鋭くなり、薬としても効果があるとされたという。

特に「水犀」は、水辺にすむことから、火難を退ける霊獣と考えられ、神社仏閣の彫刻に用いられた。

新潟県佐渡の両津市両尾、相川町小川、大倉には「牛と犀の突き合い」の話が伝わっている。

弥七郎が飼っている牡牛が毎晩、小屋を抜けて「いしが尻」という海辺で犀と戦っていた。毎度勝負はつかなかったが、ある晩、戦いの様子を目撃した弥七郎は、牡牛の尻尾が戦うの邪魔そうに見え、良かれと思い、牡牛の尻尾を切り落としつしまう。尻尾を切られた牡牛は力を出せなくなってしまい、最終的に犀との戦いに破れ死んでしまう。

この話は「怪談藻塩草」に記されている。

滋賀県東近江市の春日神社には、犀と戦った「鯰餌源四郎貞平」の話が伝わっている。

平安時代、醍醐天皇が竹生島に参詣するため航行したとき、暴風が襲った。船頭は、これは犀という悪獣の仕業だ、と言い、餌を与えて手懐けるか、退治するかしてくれ、とお願いした。

そこで天皇は鯰餌源四郎貞平に名剣「篁重国(たかむらしげくに)」を与え、犀退治を命じた。

見事、犀を退治した鯰餌源四郎貞平は、天皇より「鯰江犀之助」の名を賜って、後に仏門に入り、天照皇大神、春日大明神、八幡大菩薩の御託宣を受け、社を建てたのが東近江市の春日神社の始まりとされる。

名前と間違った情報が伝わり、実際は見たことのない生き物が、幻獣扱いを受けることは珍しいことではない。

先に記した通り、霊獣の犀は、その角に妖力を持っているとされた。そのため、実在するインドサイが角目的で乱獲されたという。ひどい話である。

動物園のサイはつぶらな瞳でのんびりしていたよ。