*4月25日エントリー の続きです。

 

 

 R大学文学部史学科の院生・あんみつ君ニコと近現代史のしらたま教授オバケとの歴史トーク、今回のテーマは昭和戦時中の外交官・杉原千畝です。

 

 本日は、満州国外交部の杉原千畝 のおはなし。

 

 

 

 

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 あんみつアセアセ 「しらたま先生、柳条湖事件からわずか半年後の1932年(昭和七)3月1日、満州国の建国宣言書が公布されます。関東軍によって東北部三省を制圧し、当初は軍政を敷く予定だったのを、傀儡国家の体にしたのでした」

 

 しらたまオバケ 「国際社会の反発を予想したのに加え、独断暴走する関東軍にそこまでの度胸がなかったこともある。北京にあった東北辺防軍司令・張学良は無抵抗で撤退した。彼は90歳になった1990年、抗戦すれば占領の口実を与えてしまうのと、まさか傀儡国家を建てる発想をするとは思わなかったと回想している」

 

 あんみつイヒ 「本 国家元首は清王朝のラストエンペラー・愛新覚羅溥儀(あいしんかぐら=アンシン・ギョロ<金の一族>・ふぎ)。宣統帝として即位したのは2歳で、辛亥革命での退位は6歳。26歳のこのときは天津に住んでいました。満州国執政就任の要請は、溥儀にとっては望外の喜びだったようですね」

 

 しらたまオバケ 「それまでも軍閥に神輿として担がれ、さながら室町幕府最後の将軍・足利義昭のごとく飽くなき復活を期し流浪していたからね。2年後の1934年3月に皇帝の称号を奉られ、1935年4月には来日して、昭和天皇と貞明皇后から歓待を受けている」

 

 あんみつえー? 「しかし元首の実権はゼロ。関東軍司令官・菱刈 隆大将すらお飾りで、強硬派の将校や南満州鉄道会社が施政を主導することになります。満鉄は単なる鉄道会社じゃなく、政治外交から警察軍事まで請け負う国策機関ですね。さながら近世ヨーロッパの東インド会社のよう」

 

 しらたまオバケ 「当然ながら国際社会は反発する。中国国民政府の提訴を受けた国際連盟は、1932年10月にヴィクター・リットン伯爵を団長とする使節を満州国に派遣した。教科書でいう <リットン調査団> だ。報告書では関東軍の満州での武力行使は侵略であり、満州国は日本の傀儡国家であると断定される」

 

 あんみつショック 「本 それでも満州における権益は認めるなど、日本に一定配慮した内容ではあるんですよね。なのに首席全権の松岡洋右外相は連盟総会の採決に猛反論。1933年2月、議場退出をもって国際連盟脱退を表明します」

 

 しらたまオバケ 「満州国建国に伴い、杉原千畝はハルビン領事館職員から外交部に異動となっていた。リットン報告書に対しては、松岡が読んだ連盟への反論文をフランス語で起草することを命じられている。英語・ロシア語に加えフランス語もマスターしていたんだからすさまじい勉強量だ」

 

 あんみつぶー 「満州事変からの関東軍の暴走については、杉原は批判的ではありましたが、一介の外交官にはなんともしがたい。満州国といっても急ごしらえの国家ではろくな統治機構はなく、ハルビン領事館がそのまま外交部になりました。上司の大橋忠一次長は関東軍支持のタカ派です」

 

 しらたまオバケ 「外交上、満州のいちばんの問題は国境を接するソ連だ。国内で大粛清の嵐を吹かせていたスターリンは当初ほぼ無関心で、1921年に結成された中国共産党が、毛沢東の指導下で国民党と分離してもなんらの支援をしていなかった。日本に対してはむしろ日ソ不可侵条約を求めている」

 

 あんみつしょんぼり 「本 大橋次長は満州国安定のために乗り気だったのに、犬養 毅内閣の荒木貞夫陸相が猛反対。ソ連の申し出を ‟女郎の起請文” と吐き捨てたとか。続く斎藤 実(まこと)内閣の内田康哉外相は陸軍の言いなりなので、1932年12月、ソ連に対し正式に交渉謝絶を伝えます」

 

 しらたまオバケ 「大橋が賛成したのは、北満鉄道(東清鉄道)の買収交渉を進めていたからだ。日清戦争後にロシアが清国領内に敷設した、かのシベリア鉄道の短絡線。ロシアがソ連、清が中華民国に変わったので管理が行き届かず、採算も取れていなかったこの路線を譲渡してほしかったわけだ」

 

 あんみつガーン 「巨額の国家予算を要するインフラ設備は得難いですからね。なんとか穏便に交渉したかったのに、関東軍は満ソ国境を封鎖したり、挙句の果てには鉄道を爆破して接収してしまえとか言い出す始末です。味をしめると何度も謀略に奔りたがる」

 

 しらたまオバケ 「しかしさいわいなことに、駐ソ大使の大田為吉はマトモな外交官で、なんとか交渉のテーブルに付くことができた。1933年6月東京。杉原千畝は当初大橋忠一の随員だったが、語学力が図抜けていたので満州側の全権団書記長に抜擢された」

 

 あんみつ笑い泣き 「本 ソ連側のカウンターパートはスラヴスキー駐ハルビン総領事。交渉は随意契約というも、さながらダッチオークションの観だったようです。ソ連の希望価格は6億2500万円で、満州側の提示額は5000万円という」

 

 しらたまオバケ 「杉原は路線の経済価値や老朽化を理由に値下げを迫る。しかし関東軍が国境でのソ連の職員勾留や、線路破壊を指示した電文が新聞にスッパ抜かれたためマズいことになった。電報は暗号文だったのだが、しっかり解読されててね。日本側は ‟怪文書” としてあくまでシラをきる」

 

 あんみつガーン 「交渉は中断し、杉原はその間に地道な個人活動でユレネフ駐日大使と連絡し続けました。その甲斐あって1934年3月、1億4000万円で妥結成立をみます。外務省官邸での契約書調印の場には両国外相とともに杉原も列席。大仕事をやってのけました。陸軍からは ‟縁日商売か” と嗤われたそうですが」

 

 しらたまオバケ 「そのくせ、杉原の手腕に感心した軍内右翼の橋本欣五郎大佐から、多額の報酬で子飼いのスパイになることを求められた。ホトホト嫌になったのか、杉原は辞退して7月に満州国外交部を退職。15年暮らした満州を離れ帰国を決意する」

 

 

 

 

 

 今回はここまでです。

 日本の傀儡国家・満州国の外交部でソ連との折衝にあたった杉原千畝は北満鉄道買収交渉をまとめあげる大仕事を成し遂げ、その手腕を示したのでした。

 

 次回、フィンランドの杉原千畝 のおはなし。

 

 

 それではごきげんようオバケニコ