本日は、みつまめ忘れじのNBA名選手を回顧する後ろ向き企画、「みつまめNBAスーパースター列伝
」。
第161回は、前回に引き続き ティム・ダンカン です。
ルーキーでいきなりNBAトップクラスの実力を見せたダンカン。ヘッドコーチのグレッグ・ポポビッチは、サンアントニオ・スパーズをダンカン中心のチームに作り変えることを決断します。
それは、過去10年に渡ってスパーズのエースだった ‟ジ・アドミラル(提督)” デヴィッド・ロビンソンをダンカンのサポートに配置転換するということ。
当初、それを告げられたロビンソンはいたく動揺しましたが、それが悲願の優勝を目指すうえで最善、と受け入れることにし、その心情を正直にダンカンに打ち明けたのです。
ダンカンはロビンソンの誠実さと、チーム第一に考える姿勢に感動。さらに自身への信頼を感じ、ロビンソンへの敬意は絶大なものとなりました。
2年目の1998-1999シーズン、NBAと選手会の労使交渉決裂によりロックアウト。82試合から全50試合に短縮された異例のシーズンではありましたが、ダンカン&ロビンソンのツインタワーはダンカン中心に進歩を遂げ、スパーズは37勝13敗の好成績でした。
1999年スパーズ初優勝
ダンカンは平均21.7得点 11.4リバウンド、ロビンソンは15.8得点 10.0リバウンド。スパーズはツインタワーを最大限活かすディフェンス主体のスタイルでプレーオフを勝ち上がり、NBAファイナルではニューヨーク・ニックスとのロースコア戦を制してチャンピオンになりました。MVPはシリーズ平均27.4得点 14.0リバウンドのティム・ダンカン。
ロビンソン、そして長年のチームメイトだったショーン・エリオット、エイヴリー・ジョンソンらに待望のリングをもたらしたダンカンは23歳でNBAの頂点に。それ以上にロビンソンたちの信頼に応えられたことを感じ、母親を亡くして以来忘れていた喜びを得たのです。
ダンカンのプレースタイルはあくまで基本に忠実。とくに象徴的なのはゴールポストのバックボードを使ったバンクショットでした。プロたるもの、直にネットを通す ‟スウィッシュ” が当たり前なので、バックボードの反射を利用するのは物珍しかったのです。
そんなダンカンに、‟ビッグ・ファンダメンタル” のニックネームをつけたのはNBAのあだ名名人シャキール・オニール。それまで無表情を揶揄した ‟アイスマン” と呼ばれていたので、基礎の申し子のようなこの新しいふたつ名はもってこいでした。
3年目からは、そのシャキール・オニール擁するロサンゼルス・レイカーズと激闘。シーズンでは50勝以上を挙げながら、カンファレンス決勝で敗退し、レイカーズの3連覇を許しました。
2002-2003シーズン、37歳になったロビンソンは引退を発表。勝者としてロビンソンを送り出したい、といっそう燃えたダンカンは、平均23.3得点 12.9リバウンドでシーズンMVP。スパーズは60勝22敗のウエスタン1位、プレーオフでもレイカーズを蹴散らし、NBAファイナルではニュージャージー・ネッツを圧倒。宣言どおり2回目の優勝でロビンソンの有終の美を飾ったのでした。
ファイナルMVPは平均24.2得点 17.0リバウンド 5.3アシスト 5.3ブロックショットという超人的な活躍のダンカン。ロビンソンも優勝を決めた第5戦で13得点 17リバウンドを挙げたのでした。
2003年ロビンソン(右)有終V
「優勝よりも、もうこれでデヴィッドとプレーできないのが寂しい」 とまでダンカンに引退を惜しまれたロビンソン。彼ほど幸せにキャリアを締めくくったスーパースターはいないことでしょう。
そしてダンカンは、スパーズの絶対的な柱としてキャリアの第二章に入ります。続きはまた次回(^.^)/~~~

