R大学文学部史学科の院生・あんみつ君ニコは、新年度から講座のティーチングアシスタントをかけもちする忙しさ。合間には新4年生の卒業論文スケジューリングです。

 

 本日は近現代史のしらたま教授オバケと打ち合わせの予定。さて、今回はどんな歴史トークになるのでしょうか......|д゚)

 

 

 

 

チョコカップケーキ クッキー コーヒー

 

 あんみつキラキラ 「あっ、しらたま先生こんにちは~! 先日は神風連の話、とても興味深かったです。まさかコミック 『るろうに剣心』 のモデルになった河上彦斎から、明治の熊本カルト神道に話が及ぶとは思いませんでした......あっ、そのお菓子、チョコまんじゃなくてもしかしてドゥチョンクですか~」

 

 しらたまオバケ 「お、よく知ってるねぇ。そうそう、ドバイチョコのサクサクしたクッキーを、マシュマロ生地でコーティングしてる。流行ってるらしいから取り寄せてみたら、なるほど食感が凝ってた。ひとつあげよう。生地がトロっとくるから気をつけて」

 

 あんみつゲラゲラ 「ん゛ ボクの好きな強めの甘さでおいしい~。かなりコッテリしてますね。ひとつでコーヒー何杯でもいけそう。コレお値段高いんじゃないですか、さすが教授先生だなぁ」

 

 しらたまオバケ 「しゃはは。ぜんざい先生と同じく、スイーツ系には小遣い度外視さ。ところでぜんざい先生といえば、今日は僕に用なんだって? あちらの講義のTAもあるんだろ」

 

 あんみつもぐもぐ 「あ~、はい。実は4年生の卒論テーマを考査してたら、昭和初期の外交官・杉原千畝(すぎはら・ちうね)を取り上げたいって学生がいて、フィードバックを頼まれたんです。ボクの予備知識だと、リトアニア・カウナス領事代理を務めていた人で」

 

 しらたまオバケ 「うん。昭和十五年(1940)七月、ナチス・ドイツのユダヤ人ジェノサイドから逃れてきた避難民に独断でヴィザを大量発給。6000人もの命を救った人道主義者として知られるねぇ」

 

 あんみつほっこり 「本 えーと、彼の行いは当時の政府の対外政策方針とは違っていたため、戦後ずっと注目されることはありませんでした。1985年1月に至り、エルサレム郊外にある <YAD VASHEM(ヤド・ヴァシェム=ホロコースト博物館)> の定める <RIGHTEOUS GENTILE AMONG NATIONS(諸国民の中の正義の人)> として、日本人唯一の表彰を受けます」

 

 しらたまオバケ 「自己の生命の危険をおかしてユダヤ難民を助けた外国人を顕彰する制度だ。現在まで約27000人が対象となり、アウシュビッツ収容所のあったポーランドから約7000人ともっとも多く、オランダから約5800人、フランス約4100人、ウクライナ約2600人と続く」

 

 あんみつウシシ 「かのスピルバーグ監督で映画になったオスカー・シンドラーは、オーストリア出身のナチス党員なんですね。杉原千畝は2861番目の表彰者となり、翌年に亡くなりました。この話が有名になった1991年10月、外務省が幸子(ゆきこ)夫人を省庁に招いて、政務次官だった鈴木宗男氏から ‟謝罪” を受けています」

 

 しらたまオバケ 「同年7月、日テレ 『知ってるつもり?!』 で放映され高視聴率だったこともあるだろう。1993年10月に杉原幸子さんが著書 『六千人の命のビザ』 を上梓し、ドラマやミュージカルになるなどその功績は広く知られるようになった」

 

 あんみつ笑い泣き 「はい。そこまではボクもわかるんですけど、どうやら杉原がカウナス領事代理になるまでに、大きな歴史の渦中に身を置いていたようで、そのあたりを卒論で詳細に検討したいと言うんです。そうなるとお手上げなので、しらたま先生に相談しようと」

 

 しらたまオバケ 「しゃはは、なるほどね。たしかに杉原が外務省外交官として勤務し始める昭和初年、満州事変が勃発し、日本は国際社会から孤立し始める時期にあった。杉原は傀儡政権として建国された満州国において、対ソ連の外交を担うことになる」

 

 あんみつガーン 「満州事変...まさに第二次世界大戦、アジア太平洋戦争に至る発端です。軍部が暴走するなか、外交官として活動するのは至難だったはず。カウナス着任は昭和十四年(1939)八月。その間の約8年に何があったのか、ぜひ知っておく必要がありますねメモ

 

 しらたまオバケ 「杉原千畝が岐阜県の現:美濃市に生まれたのは明治三十三年、ちょうど1900年の1月1日。父は税務署員で、ソウル赴任もしたほど転勤が多かった。学業優秀なこの次男坊を医者にしたいと思ったそうだが、千畝自身は語学に熱中し、早くから海外で働きたいと願っていたという」

 

 あんみつゲラゲラ 「本 へぇっ、無理やり受けさせられた医学校の試験では白紙提出し不合格。これがバレて、勘当同然で上京したんですか。すごいバイタリティ、というか、親不幸モンですね(笑)」

 

 しらたまオバケ 「1918年(大正七)4月、早稲田大高等師範部の英語科に入学を果たす。当然ながら学費や生活費の仕送りなど頼めないから、早朝の牛乳配達などバイトを掛け持ちしていた。ところがおりしも米騒動が起こってハイパーインフレ。とてもバイトの稼ぎじゃ足りなくなった」

 

 あんみつウインク 「そんなところに、新聞で外務省が留学生を募集しているとの官報を目にしたんですね。給料をもらったうえに海外で語学勉強ができるという夢のような待遇です」

 

 しらたまオバケ 「得意の語学だけじゃなく、国際法や経済、歴史の知識が要る。文字どおり猛勉強のすえ、1920年7月、14人の合格者の中に杉原の名があった。条件は英語のほか、ロシア語を専攻すること。これが彼の人生を決定せしめることになる」

 

 

 

 

 

 今回から始まる新シリーズは、外交官・杉原千畝。

 満州事変からソ連との外交交渉を経て、カウナスでのユダヤ難民救出に至る激動の年月を、近現代史の国際関係緊張とともに追っていきます。

 

 次回、ハルビンの杉原千畝 のおはなし。

 

 

 それではごきげんようオバケニコ