*2月21日エントリー の続きです。

 

 

 R大学文学部史学科の院生・あんみつ君ニコ、今回は近現代史のしらたま教授オバケとの歴史トークで、テーマは幕末・明治の熊本神風連です。

 

 本日は、決起への蠢動 のおはなし。

 

 

 

 

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 あんみつうーん 「しらたま先生、明治九年(1876)五月、新開大神宮宮司・太田黒伴雄を首領とする原道館の敬神党、人呼んで ‟神風連” は政府に対し武力闘争を決意しました。若い信者からはかねて 『先生、いつ私どもを死なせてくださいますか』 と恐ろしい懇願を受けていましたから、みなさぞ勇躍でしょうね」

 

 しらたまオバケ 「教義は常に神意に絶対随順するものだったから、宇気比(うけひ=受日,おみくじ)による神託が出ないかぎりは主体的な行動をとらない。こういうところも実にカルトだ。信者は神明・冥助のままに死地に飛び込むことを辞さないが、太田黒はやるなら徹底的に計画を練るべきと考えたようだ」

 

 あんみつねー 「本 まず接触してきた秋月の宮崎車之助と締盟を結ぶと、七月、彼の招きに応じて同志の富永守国、阿部景器が使者として秋月を訪問しました。その足で長州萩にあった元政府要人、前原一誠に面会します。神風連の決起を明かされ、体調すぐれなかった前原はいたく喜びました」

 

 しらたまオバケ 「前原は吉田松陰の松下村塾出身。幕末は佐世(させ)八十郎の名で干城隊を率い、改名後に高杉晋作らと四境戦争(第二次長州征伐)を戦った。戊辰戦争では北越戦線で参謀を務めている。維新後、大村益次郎横死を受けて兵部大輔となるが、次第に木戸孝允と対立するようになって辞職、下野していた」

 

 あんみつおーっ! 「先に大楽源太郎の脱退騒動で長州藩内士族の動きを警戒していた政府は、前原が下野したら反乱必至、と踏んでいたようです。明治七年(1874)一月に発足した内務省東京警視庁の大警視・川路利良(薩摩)は、なんと密偵を派遣して前原に接触させ、蜂起を焚きつける陰謀を実行しました」

 

 しらたまオバケ 「川路はかのナポレオンの警察大臣として ‟カメレオン(変幻自在の冷血漢)” の異名で恐れられたジョセフ・フーシェに憧れ、自らパリに留学してスパイ政治を学び、警視庁に導入した人物だ。のちの特高警察など、帝国時代の警察が個人の政治思想にまで踏み込んだのは、川路の負の遺産といってよい」

 

 あんみつもぐもぐ 「本 萩にあった前原は、西郷隆盛の密使と称する指宿辰次、小林 寛の訪問を受けます。ふたりは政府を鋭く批判し、もし決起するなら武器弾薬を薩摩から提供すると申し出ると、前原はこれを快諾してしまいました。神風連からの訪問を受けたとき体調を崩していたのは、自分がワナにかけられたことを知り、憂悶していたからですね」

 

 しらたまオバケ 「薩摩の西郷と合力できれば勝算あり、と乗ってしまい、まんまと挑発に乗ってしまったわけだからね。すでに反乱準備罪に問われて逮捕される理由を与えてしまった。狼狽した前原は、松下村塾の同門で友人の内務少輔・品川弥二郎に手紙を送って、あれは売り言葉に買い言葉だ、と弁明してる」

 

 あんみつ真顔 「それでも腹心の奥平兼輔ら萩の同志は沸騰。もはや決起不可避のムードです。そこへ秋月、熊本からの締盟の話は渡りに舟。さらに太田黒は北九州各地の不平士族に使者を送って連帯を求めました。柳川の永松祥二郎、久留米の小河源之允、福岡の横枕覚助、鶴崎の毛利空桑などなどなど」

 

 しらたまオバケ 「だが、不平士族の精神的支柱と目された薩摩の西郷は眼中になかった。よほど信用してなかったんだね。かつて勤王党を結成した先輩の宮部鼎蔵が新撰組の手にかかり、長州藩の策謀が会津と組んだ薩摩の手で潰された過去を鑑みるに、太田黒には西郷と薩摩は権謀術数を弄する人種に見えたのだろう」

 

 あんみつにやり 「本 それでも、久留米の小河(おごう)源之允が熊本を訪れ、ぜったいに西郷と連帯すべき、と主張してきます。さっそくこの足で薩摩に赴くつもりだ、と超積極的です。締盟したとはいえどこも小勢だから、全国屈指の兵力を持つ薩摩と組まない手はないというのはわかるような」

 

 しらたまオバケ 「これを容れ、太田黒は薩摩への使者派遣に同意した。彼の新開大神宮で禰宜を務める23歳の野口満雄。若いが彼は熊本県小属・山内憲氏という水戸人が神仏分離、いわゆる廃仏毀釈にあたって、寺院仏像どころか神社の神体まで粗雑に扱ったのに激怒し、宇気比に基づいて八つ裂きに斬殺したことがある」

 

 あんみつぼけー 「野口の目的は遊説より薩摩偵察にあったようですね。小河と鹿児島入りした彼は、あいにくと西郷は不在。代わりに吉野郷で野良仕事をしていた陸軍少将/元熊本鎮台司令長官の桐野利秋と面会できました。でも桐野は幕末の熊本勤王党、敬神党の働きにぜんぜん興味を示さず、あぁ、あの神風連どもか、と一笑に付したので野口は幻滅・憤慨したと言います」

 

 しらたまオバケ 「昭和十年(1935)に出版された 『神風連血涙史』 という本がある。幹部石原運四郎の遺児・石原醜男(しこお)が40年をかけてまとめた生存者聞き取りの資料だ。そこには野口の報告を受けた太田黒は幹部一同の前で 『ホホ』 と嗤ったとある。やはり薩摩などアテにしない、という方向で彼らは一致した」

 

 

 

 

 

 今回はここまでです。

 武士の存在意義を奪う廃刀令への憤りを契機とした敬神党、人呼んで神風連の決起計画は萩・秋月など不平士族の連帯を実現しましたが、薩摩との協議は打ち切りました。

 

 次回、熊本バンドと洋学校 のおはなし。

 

 

 それではごきげんようオバケニコ