本日は、みつまめ忘れじのNBA名選手を回顧する後ろ向き企画、「みつまめNBAスーパースター列伝バスケ」 です。

 

 第160回は、ティム・ダンカン

 

 

 2016年の引退からもう10年、NBA史を飾る偉大なフォワード/センターのレジェンド。わたくし みつまめもルーキーから引退まで観続けた思い出深いスターです。満を持してのご紹介。

 

 1976年、アメリカ領ヴァージン諸島出身。

 姉ふたりの影響で水泳に打ち込み、オリンピック選手になるのが夢でした。派手なタトゥーは好まない人ですが、両手首にイカリの入墨。カリブの海を泳ぐさいのカサゴ除けだったらしい。

 

 しかし14歳のとき、母イオンが病死。悲しみに沈んだダンカンは水泳の情熱を失くしました。身長が伸びてきたこともあり、親戚や教師はバスケットボールを薦め、これに熱中して気持ちを紛らわせます。

 

 喪失感はずっと続き、バスケットボールでいくら成功しても、この姿を母に見せられないと思うと心から喜べずに、感情を表に出すことの少ない性格になりました。

 

 高校で有望なフォワードとしてリストに載ったダンカンを、ノースカロライナ州ウエイクフォレスト大のコーチ、デイヴ・オドム氏がリクルート。NCAAで強豪とは言えない大学でしたが、ダンカン入学とともにエリート校に躍り出ます。

 

 バスケットと同時に人類学・心理学・外国語の勉強にも熱心で、成績も優秀。「バスケットで成功できなくてもいろんな人生の選択肢が広がるように」 がんばったらしい。なんのために勉強するのかわからない、という中高生に聞かせてあげたい(笑)

 

 6ft11in(211cm)のセンター/フォワード。フィジカルが強く、クイックネスがあり、シュートのバリエーション豊富、ディフェンスにも熱心という、NBAでよだれが出るほど欲しいタレント。1年生時から、アーリーエントリーすればトップ指名間違いなしとの評判でした。

 

 ところがダンカンはそんな評判に目もくれず、きっちり4年間通って卒業。「学位があればNBAで成功できなくても人生の選択肢が広がる」 からでした。なんのために勉強(中略)

 

 NBAチームが待ちに待った1997年NBAドラフト、1巡目1位で指名したのはサンアントニオ・スパーズ。

 

 スパーズは強豪チームであり、本来なら上位指名権などないはずでした。ところがこの前年、エースであり大スターの ‟ジ・アドミラル(提督)” デヴィッド・ロビンソンが背中を痛めたうえ左脛を骨折し、シーズンをほぼ全休。スパーズは20勝62敗と、NBA29チーム中27位に沈んでいたのです。

 

 実はロビンソンは試合に出られたのに、ダンカンが欲しくてわざと負け続けたのではないか― との風聞が流れたほど、スパーズのダンカン獲得は他チームを嫉妬させました。来季、優勝候補の筆頭に躍り出ること請け合いだったからです。

 

 なお、NBAドラフトは ‟上位指名権のためにわざと負ける(=タンク)” ことがないよう、プレーオフ進出を逃したチームによるロッタリー(予備抽選)が行われるので、このときスパーズが1位指名権を得る確率は14%だったことを付記します。

 

 

1998年新人王

 

 

 待望の超大物ルーキーを迎えたスパーズ。とはいえ当のダンカンは無口で感情を出さない人。大学時代は ‟(スタートレックの)スポック船長” と陰口されていました。そんなダンカンをエースのロビンソンが温かく受け入れます。

 

 夏季キャンプインすると、仲良くなるためになにか共通の趣味を、と、ダンカンがビデオゲーム好きと知るや、彼のホテルの部屋に押しかけ一緒に対戦ゲームに興じました。「大男ふたりが背中を丸めてゲームしてる姿は想像したくない」 とは当時の本邦NBA専門誌の記事。

 

 ルーキーシーズンの1997-1998シーズン、ダンカンはもちろん開幕からスターター起用。全82試合に出て平均21.1得点 11.9リバウンド 2.5ブロックショットと申し分のない成績。新人王はもちろん、オールスターゲーム、オールNBAファーストチーム選出といきなりNBAのトッププレーヤーとして認められたのでした。

 

 

 まだルーキーなのに長くなりました。続きは次回です(^^)/~~~