古代中国、軹(し,河南省)の深井里(しんせいり)に、聶政(じょう・せい)という豪勇で知られた人がいました。

 

 実は彼は人を殺めたことがあり、仇と役人から逃げるため斉(せい,山東省)に身を隠して母と姉を養いながら、牛や豚の解体をしてひっそり暮らしていました。

 

 そのころ韓(河南省)では、哀候に仕えていた厳仲子(げん・ちゅうし)が、宰相の侠累(きょう・るい)の罠にはめられ、処刑から逃れて出奔、斉にたどり着きました。そこで聶政のウワサを耳にしたのです。

 

 ある日、厳仲子は聶政を訪ね、友達付き合いを求めます。聶政の老母が元気なのを祝い、酒宴を設けて黄金を贈ったのです。

 

 さすがに訝しんだ聶政は、

 「私の家は貧しいですが、さいわい喰うには困らず母を養えております。このような贈り物をいただくいわれはありません」

 

 ここで厳仲子は本心を打ち明けます。

 「実は私には仇があり、報復を考えております。そこであなたのことを聞き、お会いしてみるとご尊母への孝心が高いのに感服しました。黄金を差し上げるのはそのしるしです」

 

 聶政はさらに言います。

 「きっとあなたは私にその仇を討ってほしいとお思いなのでしょう。でも私は母を養うことしか考えられません。他人のためになにかして差し上げることは出来ないのです」

 

 それから数年、聶政の母は天寿をまっとうしました。聶政は考えます。

 「あの方は元韓国の卿相だったな。人目を避け、動物の肉をさばいて暮らしてる俺のところにわざわざ訪ね、母を祝い黄金をくれようとした。あのときは断ったが、もう母もいない今、その恩に報いなければならぬ」

 

 濮陽(ぼくよう,河南省)に隠棲していた厳仲子は、聶政の訪問を受け狂喜します。

 「私の仇は韓の宰相侠累です。彼は今の列候の叔父にあたり、その勢力は絶大。とても勝てる見込みはないのです。もしあなたが協力してくださるなら、私も私の家来とともに戦いましょう」

 

 聶政は言います。

 「いえ、少人数で向かっても全滅するだけでしょう。さらにあなたの一族家来が罪に問われて処刑されます。ここは私ひとりにお任せください」

 

 かくして韓の都・陽翟(ようてき)にひとり赴いた聶政は、剣を引っ提げて宮殿にいた侠累まっしぐら。警護の役人を討ち倒すと侠累を刺殺したのです。

 

 聶政は自ら顔の皮を剥ぎ、眼を抉ると、首を裂いて絶命しました。どこの誰がやったかわからなくし、厳仲子に疑いがかからないようにしたのです。

 

 不祥事に激怒の列候は聶政の遺体を市にさらし、賞金を出して身元を調べます。しかし顔がわからないのではとても無理でした。

 

 そこへ、栄(えい)という女性が名乗り出ます。

 「これは、わたしの弟の聶政でございます」

 

 役人も市にいた人々もびっくり。

 「これは宰相を暗殺した憎むべき大犯罪人です。もしあなたの身内だとしたら、あなたも処刑されるのですよ。なのにどうして名乗り出られたのですか」

 

 栄が答えます。

 「弟はずっと肉をさばいて母を養い、お嫁に行く前のわたしの面倒も見てくれました。その後、母は天寿をまっとうし、わたしも夫と子どもに恵まれています。弟が顔の皮を剥いで正体を隠したのは、きっとわたしへの連坐をおそれたのでしょう。でも、そんな優しい弟の名前を埋もれさせることはわたしには出来ません。彼の名は聶政です。わたしの誇りの弟です」

 

 弟の名を絶叫すると、栄は懐中の剣を出して首を裂き、聶政の遺体のかたわらで息絶えました。

 この話は韓どころか、斉、晋、楚など他国の王や貴族、士人を感心させたのです。「聶政の義心は見事だし、その姉も立派だ」

 

 

 さて、この話は母や姉に孝養を尽くし、市井でつつましく暮らした聶政が、厳仲子の心づけに感謝して報復を引き受けた美談として 《史記》 刺客列伝を飾っています。

 

 しかし、読んでみると厳仲子ははじめっから聶政に暗殺をさせようと下心をもって近づいてるし、自分に捜索が及ばないよう細工もしてる。

 

 聶政は完全にいいように利用されたな、の観なきを得ませんけど、もしかしたらひっそり人生を終えるのではなく、なにか大仕事をしたいとの野望を持っていたのかも知れません。だとすれば、姉のおかげでその名が歴史に残ったのはせめてもでした。でも、お姉さんまで命を絶ったのは気の毒なことだと思います。