本日は、探偵小説もものかは、という古今東西の怪奇事件を抉じ開ける 「みつまめケースファイル銃」。

 

 今回は、三原山観光狂騒 です。

 

 

 伊豆大島の三原山。自分の小さいころ噴火があり(1986年11月)、1万人もの住民が全島避難したニュース映像はとてもショックだったものです。

 映画 「ゴジラ」 では、都心から三原山にゴジラを誘導する作戦がクライマックス。噴火に影響を受けたのかと思ったら、こちらの方が先でした(1984年12月)。

 

 さて、戦前の三原山はあまり有名な火山ではありませんでした。

 昭和8年(1933)1月、上流階級が通う実践女学校専門部国文科の女子学生ふたりが三原山を登ります。24歳の真許三枝子は21歳の富田昌子に見届け人を頼み、火口に身を投げたのでした。

 

 悲嘆に暮れ、親友松本貴代子に事の次第を打ち明けた昌子。すると、貴代子も三原の門をくぐって天国に行きたい、と言うのです。

 2月、「三原の煙を見たら私の位牌と思ってください」 と家族に書置きして貴代子と昌子は大島に向かいました。

 

 思い直すよう昌子の説得も空しく、貴代子は火口に消えました。動機は年老いていくのがイヤだったとのことで、結婚を怖れ、同居の87歳の祖母の姿を見るのも嫌っていたと言います(三島由紀夫や沖 雅也にも、極度に老いを怖れてたという話がありました)。

 

 昌子は放心、錯乱状態で火口周辺をさまよっているところを島民に保護されました。ここで、彼女が二度に渡り友人の自殺に立ち会っていたことが世に知られ、「猟奇事件」 として報道されたのです。つまり、プレス的には ‟女同士で心中を図り生き残った” というトーン。昌子は ‟変人” ‟狂人” ‟死神” と世人に罵倒されながら、4月に実家で命を絶ちました。

 

 

1933年2月15日東京朝日新聞 写真は貴代子さん

 

 

 女学生3人の死は、実は序曲。事件の報道により、三原山を訪れる観光客、また世をはかなんだ人々が爆増したのです。本土と往来の蒸気船では足りず、大型船がチャーターされたほど。

 

 4月、6人が投身し、25人が見張りの島民に阻止されました。週に5、6人の割合で起こる投身を観ようと、見物人が押しかける事態。「誰か飛び降りるヤツはいないのか!?」 との野次に、「よし、俺が飛び降りる」 と衝動的に投身した若者もいました。

 

 同年末までの犠牲者は944人(男性804,女性140)。

 昭和9年(1934)は160人、阻止1200人。昭和10年(1935)1月には、わずか10分のあいだに3人の若者が投身するなど、三原山火口はありがたくない ‟名所” となってしまいました。警察は24時間体制で見張り、高い鉄条網のフェンスを張って防護。

 

 それでも昭和11年(1936)も600人を超える自殺者が出ました。こうした異常事態に拍車をかける現象も見られるようになります。

 なんと、島に移住する人が激増し、このあいだ14のホテルと20のレストランが新規に開業したのです。観光客をあてこんだビジネスで、地元経済はバブルに酔いました。

 

 タクシー会社は5社を数え、火口に観光客を運ぶための乗馬サービスから、家族に ‟遺書” を送るための郵便局も麓に開業。

 ‟疑似投身” を楽しんでもらおうと、山の斜面に全長360メートルの急勾配ジェットコースター式シュートが作られるにいたっては、悪ノリ、悪趣味、卑俗と言うべきでしょう。

 

 それでも事業を主導した東京湾汽船会社は年100万円(現:約20億円)の純利を計上。株主配当率は6%に及びました。

 

 さらに三原山火口周辺1.6キロの表砂漠を砂丘に見立て、3頭のラクダを輸入して新サービスを導入するや、大評判になったのです。1934年4月、1935年4月には山頂でマグマ小噴火があり、‟山の怒り” とも言われましたが、まったく客足に影響なし。

 

 さすがに死者を売り物にするのか、と非難が起きたので、東京湾汽船は ‟片道切符” の販売を拒否。船には私服警官がパトロールし、‟怪しい乗客” の予防拘禁が認められました。最終的に火口への進入路を封鎖。ここまでに1500人以上の犠牲者を出していました。火口に飛び込まれるとあとが残らないため、おそらく実態はもっと多かったのでしょう。

 

 三原山投身ならずとも、当時は昭和恐慌と戦争への足音で国民のムードは暗く、‟紀元二千六百年奉祝” で空騒ぎした昭和15年(1940)は実に13611人が命を絶っています(人口約7200万人)。もっとも多い手段は服毒だったそうです。

 

 世相も人口も違うとはいえ、2023年の本邦自死者は21837人。なんだか遠い昔の異常な社会心理、で済ませられない気もします。

 

 

 それではまた、次回の捜査会議までに資料を整理しますタバコ