本日は、みつまめ忘れじのNBA名選手を回顧する後ろ向き企画、「みつまめNBAスーパースター列伝バスケ」 です。

 

 第123回は、ニック・ヴァン・エクセル

 

 

 1971年ウィスコンシン州出身。

 地元高校で才能を認められ、NCAAでのプレーを希望しますが、あいにく学業がイマイチでした。テキサスのTVCCで短大に入り、それからオハイオのシンシナティ大に奨学編入しています。10代にしてなかなかな渡り鳥ライフ。

 

 NCAAではファイナル4までチームを導き、1993年NBAドラフト2巡目10位(37位)でロサンゼルス・レイカーズの指名を受けます。

 

 6ft1in(185cm)の攻撃型ポイントガード。NBA選手としては小柄なのと、自分でシュートするガードプレイヤーはありふれたタイプ。37位ではたいていロースター入りすら覚束ない評価でしたが、ヴァン・エクセルは期待以上に成長しました。

 

 当時のレイカーズはマジック・ジョンソン引退後の再建期。ヴァン・エクセルはエディ・ジョーンズやブラデ・ディバッツとともに中心選手と位置付けられ、そのスピードとボールハンドリングの正確さで ‟ニック・ザ・クイック” の愛称をもらいました。目が大きくクリクリとしたルックスも印象的。

 

 

レイカーズでは司令塔(左)  当時のトレカ(右)

 

 

 ルーキーからスターターで平均13.6得点 5.8アシスト。翌年は平均16.9得点 8.3アシストでレイカーズをプレーオフ進出チームに戻す立役者に。

 しかしレイカーズがシャキール・オニール、コービー・ブライアントを中心にしたチームになると、ヴァン・エクセルはデンバー・ナゲッツに放出されます。当時のナゲッツは11勝71敗というNBA史に刻むさんざんな成績のドアマットだったので、ヴァン・エクセルは大きく失望しました。

 

 エースとしてナゲッツでは井の中の蛙的奮闘を見せるも、チームは弱いまんま。もともとムラッ気のある性格というか、セルフィッシュな面があったのが、この時期鮮明になりました。レフリーに暴行して罰金を喰らうなど素行にも問題があり、コーチからも持て余されます。

 

 マブス、ウォリアーズ、ブレイザーズとトレードを繰り返され、34歳になり両ひざを悪くした2005-2006シーズンの所属は、サンアントニオ・スパーズ。

 

 コーチのグレッグ・ポポビッチは厳格で、チームメイトは大人揃い。前年のNBA王者だったこともあり、ヴァン・エクセルにも優勝のチャンスが訪れましたが、プレーオフでマブスに敗退。その試合でヴァン・エクセルはレフリーに暴言して退場となり、それが最後のコートとなりました。当たり散らしながら控室に戻る後ろ姿を覚えてます。彼らしいと言えば言えますが。

 

 

現在はアシスタントコーチ業

 

 

 引退後はテキサスのサザン大バスケ部に招かれ、アシスタントコーチとして指導者に転身。ダラスの下部組織テキサス・レジェンズでのスカウト業務やアシスタントなどで経験を積むと、メンフィス・グリズリーズなどNBAチームから誘われ、アシスタントコーチを務めるまで評価を上げました。現在は2021年からアトランタ・ホークスのアシスタント。

 

 現役時代の短気からはずいぶんな変わりようで、選手には冷静沈着なメンタルを求めるんだとか。プレーの才能を性格が損なった観のある選手だったので、その実体験を反面教師にしているのはなかなか出来ることではありませんね。しかも2023年になって母校シンシナティ大にふたたび通って学位を取得し、かつてイマイチだったという学業も見事に取り戻しました。