本日は、みつまめ忘れじのNBA名選手を回顧する後ろ向き企画、「みつまめスーパースター列伝バスケ」。

 

 第125回は、ラリー・ジョンソン です。

 

 

 1969年、テキサス州の田舎町タイラー出身のサウスダラス育ち。母ドルサは未婚の母だったため、姉とともに叔母親子と6人家族。小さいころから厳しいしつけを受けました。街がギャングの巣窟だったからです。

 

 それでもラリー12歳のとき友達と万引きをやって警察の厄介に。そのとき母は迎えにいかず、懲らしめのためひと晩留置所で過ごさせたのでした。さいわいこのクスリは効き、以後フットボールやバスケットに熱中します。

 

 

みつまめ所持トレカ

 

 

 ローティーンで身長190cm越え、100キロ近い体格に育つとバスケットの逸材として街では知られた存在に。ギャングたちからも 「明日の晩は危ないから家にいな」 と声をかけられたとか。何があったんだろ(笑)。

 

 高校では <LJ> の通り名で全米最優秀選手に選ばれる活躍。プレーぶりは荒っぽかったため、ある試合のジャンプボールのさい前歯を折り、のちのトレードマークとなる金歯を入れています。

 

 学業は苦手だったので志望の地元サザンメゾジスト大(SMU)は断念し、テキサスのオデッサ短大に進学。ここでバスケットの結果を出し、ネバダ大ラスベガス高(UNLV)に転校しました。ところが手続き段階でNCAAルール違反があり、UNLVは対外試合禁止処分に。しかし転校できて感謝したラリーはおとなしく謹慎し、一年だけNCAAトーナメントに参戦してファイナル4まで勝ち進みました。

 

 1991年NBAドラフト、1巡目1位でシャーロット・ホーネッツの指名を受けます。6ft7in(201cm)の本格パワーフォワードはインサイドの支配力を期待され、デビュー戦は14得点。シーズン平均19.2得点 11.0リバウンドを挙げ1992年新人王を受賞しました。

 

 翌1992-1993シーズン、センターにアロンゾ・モーニングが入団してきたことで最強フロントラインとなり、平均22.1得点 10.5リバウンド 4.3アシストでオールスターゲームにもファン選出。リーグ最高のパワーフォワードの仲間入りを果たします。

 

 この年、コンバースはLJをイメージキャラクターに起用し、おばあちゃんに扮したLJがスラムダンクを決める ‟グランマ” CMを流して大ヒット。チームからは12年8400万ドルの巨額契約を提示されました。

 

 

コンバース ‟グランマ” CM

 

 

 ところが好事魔多し。同僚アロンゾ・モーニングとチームのエースの座を巡って反目し、せっかく強くなりかけたホーネッツに波風が立ちました。しかもLJは夏のトレーニングのさい、背中、脊髄の椎間板を痛めてしまったのです。その影響で腰とヒザの筋肉も故障し、パワフルなプレーは以後鳴りを潜めました。

 

 3年目はスタッツ急落。ダンクを怖れアウトサイドシュート主体になったLJのプレーは迫力を欠いたものの、1994年トロント開催の世界選手権代表チーム 《ドリームチームⅡ》 には選ばれ優勝。当時ビッグマウスぶりが海外のプレスには不評を買っています。

 

 コンディションがやや戻ってきた1996年、LJはニューヨーク・ニックスにトレード移籍。アロンゾ・モーニングもすでにマイアミ・ヒートに放出されており、ホーネッツはチーム再建、というか、ビルドのないスクラップを断行したのでした。

 

 ニックスでは大黒柱パトリック・ユーイングのサポートとしてインサイドワークをこなし、強豪チームの一員として充実のシーズンを送りました。チームメイトからはエゴのないプレーや練習熱心ぶりが感心されています。

 

 1998年プレーオフのヒート戦、LJはモーニングを徹底マークして苛立たせ、乱闘騒ぎに発展しました。ふたりとも出場停止処分になるも、モーニングを欠いたヒートが敗退しています。図らずもホーネッツ時代の因縁が招いたアクシデントでした。

 

 1999年には敗れたとはいえNBAファイナルの舞台を経験しています。この年のニックスは第8シード、しかもユーイングが負傷という逆風からミラクル快進撃を見せたのは、LJの大きな貢献あってこそでした。

 

 2001年、10年間の現役生活を終えます。32歳の早い引退は、ややはり痛めた腰がたたったのでした。引退後は故郷ダラスに戻り、UNLVに復学して社会科学の学位を取っています。

 

 プライベートでは4回の結婚で5人の子どもをもうけ、その慰謝料や養育費、母ドルサに豪邸を建てたり、貧しい地元の子どもたちのため活動施設を作るなど奮発しまくったため破産。とはいえ悪いことはしてないので、ニックスの事業運営フロントに入ったりテレビコメンテイターに呼ばれるなど、あまり意には介してないようです。