本日は、探偵小説もものかは、という古今東西の怪奇事件を抉じ開ける 「みつまめケースファイル」。
今回は、タクラマカン遭難事件 です。
《NHKみんなのうた》 の 『勇気のうた』 をご存知でしょうか。
♪熱い砂漠に風が吹き 砂塵にけむる地平線 のまずくわずに一週間 もう最後かとおもうとき 勇気がぼくにささやいた たおれちゃだめだ ガンバレと
かの 「アンパンマン」 のやなせたかし先生が作詞の励ましソング。小さいころこれを聴いたとき、およそありえないシチュエーションだな~、と可笑しかったものです。
しかし劇画の 「ゴルゴ13」 では、さすが世界を股にかけるスナイパーだけにデューク東郷は経験しています。コミック126巻 「スフィンクスの微笑」(2001年1月) で、エジプトのサハラ砂漠に放置されたのです。しかも左手と右足を撃たれているという絶体絶命。
このときゴルゴは、「もって二日...生存率は......」 と絶望的になりながらも、サソリを喰らいフェネックの生き血をすすり、気温の下がる日没に星を頼りに歩き続け生還を果たしました。まぁ、現在も作者より長生きしてますからね。もちろん、放置した村人たちにはきっちり報復。
ゴルゴ史上でもけっこうなピンチ回
ところが、現実にこんなすさまじい経験をした探検家がおります。スウェーデン人のスヴェン・ヘディン(1865~1952)。
ヘディンはドイツのアジア史研究家で ‟ザイデン・シュトラッテン(絹の道)” を提唱したリヒトホーフェン博士に学び、中央アジア探検への憧れを募らせました。英語のシルクロードです。
スウェーデン政府がペルシャに使節を派遣した1891年、同行してサマルカンドからカシュガルを探検する経験を積んだヘディンは、1895年29歳のときにタクラマカン砂漠横断の探検を実行します。タクラマカンには流砂に埋もれた古代都市があるとの伝説を知り、真偽を確かめようとしたのです。
4月10日、ウイグル人のガイド4人を雇い、100ガロンの水、8頭のラクダ、ヒツジ3頭、ニワトリ11羽、犬2匹でメルキトを出発します。ラクダ以外は途中の食用です。行程は300キロの距離を一日20キロ歩き、15日でホータン川に着く計画を立てました。
当初はオアシスのあるのどかな風景。順調な踏破で4月20日には砂漠に入ります。ここで10日分の水を補給。あまり大量に積むとラクダがバテるからです。
砂漠はやはりキツい。ピラミッド様の砂丘が行く手をはばみ、生き物の姿は消えます。予定は遅れ、暑さのため人間、動物とも疲労のピーク。
4月25日、あろうことか水が残りあと2日分しかないことがわかりました。ガイドのヨルテが、ホータン川へは4日で着くと言って、20日の日に10日分でなく4日分しか水を入れてなかったのです。
ヨルテを信じて前進の一行。ところが行けども行けども砂漠は続き、水が尽きました。ラクダも倒れ、当のヨルテは錯乱して走り出し、流砂の中に姿を消してしまいました。もしかこれが自分でも、発狂する自信があります...
他のガイド、ムハマド・シャーとイスラム・ベイも錯乱、嘔吐、けいれんで動けなくなり、ヘディンも幻覚を起こします。昼間はテントで暑さをしのぎ、夜にヨロヨロ歩くこと8日間。文字どおりもう最後かとおもうとき~。
スヴェン・ヘディン(左)と自筆のスケッチ(右)
5月5日夜、最後のガイド、カシムもついに倒れたのでただひとり歩き続けるヘディン。すると翌朝、東の地平線に黒い線が目に入りました。ホータン川岸の森林です。助かったんだ~
トラ、オオカミ、シカ、キツネ、小鳥が水を飲んでいる川辺。澄んだ水たまりを見つけたヘディンは、さっそくノドに-
する前に、なんと自分の脈拍と血圧、体温を計測したのです。これだけ体が渇ききる経験などあるもんじゃないと、体調チェックしてみるという、冷静というかアンタおかしいよ(笑)。
それからゆっくりゆっくり、15分かけて3リットルの水を飲みました。背後にトラが見ていたそうですが、ガン無視。
劇的に体調、精神力が回復したヘディンは、長靴を脱いで水で満たすと、カシムを救いに引き返しました。さいわいカシムは蘇生して歩けるようになったので、ホータン川を南に沿い、人家をみつけて助けてもらうことが出来ました。まさに奇跡の生還を遂げたのです。
なんとヘディンは、これに懲りずのちの人生でも探検の旅を続けました。楼蘭の遺跡やタリム盆地の調査で大きな功績を挙げ、中央アジア史研究に偉大な足跡を残すことになります。日本に招かれ、明治天皇に探検譚を聞かせたこともあるとか。ハガネのメンタルとはこういう人を言うんでしょうね。
それではまた、次回の捜査会議までに資料を整理します。