本日は、みつまめ忘れじのNBA名選手を回顧する後ろ向き企画、「みつまめNBAスーパースター列伝バスケ」。

 

 第120回は、ダーク・ノウィツキー です。

 

 

 1978年ドイツ・バイエルン出身。父親の影響でハンドボールに熱中するも、身長が伸びたのでバスケットボールに転向しました。母親がバスケット選手だったのです。

 

 16歳にしてドイツのプロリーグ 《DJKヴュルツブルグ》 に入団。高校と両立しながらレギュラーに定着しました。卒業後は義務兵役に就きますが、ドイツは入営しながら学校や仕事も自由だったそうで、ノウィツキ―はプレーと訓練を両立させます。体力的にはツラそうですけども。なおドイツの徴兵制は2011年に廃止。

 

 7ft0in(213cm)のビッグマンにしてロングシュートも得意な逸材はアメリカにも知られ、1998年NBAドラフト、1巡目9位でミルウォーキー・バックスの指名を受けると、直後のトレードでダラス・マーベリックスに入団しました。以後のキャリアをダラスひと筋で過ごすことになります。

 

 

ドイツ語では ‟デュルク”

 

 

 当時のマブスはドアマット。その体格からセンター、パワーフォワードを任されたノウィツキ―は、NBAのフィジカルコンタクトに苦労します。インサイドで弾き飛ばされ、ファウルじゃないかと抗議したら、レフリーに 「NBAにようこそ」 と冷笑されたのは有名なエピソード。

 

 しかもシュート一辺倒、ディフェンスが苦手だったため、地元ファンから ‟アーク(IRK)” と陰口されます。D(ディフェンス)がない、という意味です。長身なのにゴール下で弱く、ディフェンス下手のシュートだけでは、NBAではキビしいものがあります。じっさい通用しないんじゃないかと悲観したノウィツキ―は、ドイツに帰ろうと思ったとか。

 

 しかし徹底して体を作り、パワー強化の努力を続けるおり、マブスのオーナーがマーク・キューバンに交代。IT長者でバスケ好きなキューバンはチーム補強に大枚を投下し、マイケル・フィンリーやスティーヴ・ナッシュなどメンバーが揃います。ドン・ネルソンHCはハイパーオフェンスが信条で、ディフェンスを重視しないのがノウィツキ―には幸いしました。

 

 代名詞はトップ・オブ・ザ・キー(真正面)からのロングシュートと、片足フェイドアウェイジャンパー。シュートの軌道も高い弧を描くので、守備絶対不可能の文字どおり一発必中でした。

 

 3年目の2000-2001シーズン、平均21.8得点 9.2リバウンドの個人成績でマブスのエースに成長。以後毎年20得点以上とふたケタ近いリバウンドアベレージをマークします。

 翌年にはオールスター初選出。ドイツ人プレーヤーでもっとも成功した選手になり、 ‟グレートジャーマン” の異名を受けるようになりました。チーム成績も年々上昇し、優勝をうかがうまでに。

 

 残念ながら盟友スティーヴ・ナッシュは2004年オフに移籍してしまい、HCもエイブリー・ジョンソンに交代しますが、ジョシュ・ハワード、エリック・ダンピアー、ジェイソン・テリーなどサポートキャストが充実した2005-2006シーズン、マブスは60勝22敗の好成績でNBAファイナルに進出します。ノウィツキ―は平均26.6得点 9.0リバウンドのオールNBAファーストチーム。

 

 マイアミ・ヒートとのNBAファイナルでは連勝スタートするも、シャキール・オニール、ドゥエイン・ウエイドが執念を見せ、4連敗を喫して敗退となりました。ノウィツキーも 「毛布でくるまれた」 と形容する徹底マークで本領発揮できず。

 

 今度こそと意気込む2006-2007シーズン、ノウィツキ―は平均24.6得点 8.9リバウンド。マブスも67勝15敗の最高勝率で、意気揚々のプレーオフを迎えました。

 

 ところが、ファーストラウンドでゴールデンステイト・ウォリアーズ相手にまさかの敗退。バロン・デービスの狂い咲き大活躍は見事だったとはいえ、優勝候補筆頭チームの初戦敗退は、地元ダラスだけでなくNBAファンを失望・唖然呆然させます。

 

 エースのノウィツキ―に向けられる厳しい目。勝負弱いとのレッテルは、シリーズ終了後のリーグMVP受賞という晴れ舞台を針のムシロにしてしまったのです。NBAトップスターになったのに、ノウィツキーにはキャリアでもっとも辛い日々でした。

 

 

 続きはまた次回です。