本日は、探偵小説もものかは、という古今東西の怪奇事件を抉じ開ける 「みつまめケースファイル銃」。

 

 今回は、尾上 縫事件 です。

 

 

 2月22日、日経平均株価がバブル絶頂期の1989年12月末以来の史上最高値を更新しました。といっても経済実態は当時と違い、ごく一部の大手企業だけという観なきを得ませんね。ここに出てくるのは、まさにバブルならではの狂奔のひとコマです。

 

 1991年(平成三)8月13日、大阪ミナミ(中央区)で料亭を経営する尾上 縫(おのうえ・ぬい,当時61)が大阪地検に逮捕されました。容疑は金融機関からの巨額詐取。

 

 尾上は1930年(昭和五)2月、奈良出身。25歳でミナミのすきやき店 《いろは》 の仲居になり、常連客である大和ハウスの創業家と親しくなりました。どう親しいのかはご想像のとおり。

 

 その援助で1965年(昭和四十)、北浜に料亭 《恵川(えがわ)》 を開店。さらに 《大黒や》 からマージャン店まで事業を拡大したのです。店舗は裏通りに風俗店が立ち並ぶ、良い立地とは言えないうえ、経営ぶりも放漫。なのに成り立っていたのは財界人の支援のおかげだったとか。

 

 

尾上 縫(1930~2014)

 

 

 バブル絶頂期の1987年(昭和六十二)4月ごろ、彼女は株式の取引きを始めます。原資は日本興業銀行(興銀)の難波支店長が売りこんだ10億円もの ‟ワリコー”。さらに大阪支店がそれを担保に25億円を融資したのでした。

 

 ワリコーとは割引興業債券の通称。興銀が発行していた長期資金獲得のための利息なし、額面より低い価格の金融債です。

 

 毎週日曜日に尾上が大きなガマガエルの置物に祈りを捧げると ‟神がかり” 状態になり、特定の銘柄を挙げて株価の見通しを訪ねると、「上がるぞよぉ」 「まだ早いぞよぉ」 などと口走ります。このカルトめいた儀式を 《行(ぎょう)》 と称し、証券マンや銀行員が参加していました。

 

 といっても、尾上はシロウト。投資の知識などなく、資産運用は思いつきでしかないので、当初は上客へのお愛想のつもりで付き合っていたと言います。当時の金融機関は、プライベート・バンキングと呼んでいた個人富裕層をターゲットにしていたのです。

 

 それがバブルの株高・土地高に狂乱するごとく、彼女のご託宣は拝聴されるようになり、カリスマ相場師のように祭り上げられます。興銀は不動産への投資を勧め、不動産管理法人の設立まで手伝いました。ワリコーの買い付けは2500億円に及び、これを担保に複数の大手銀行、ノンバンクから借り入れると、その資金を株式・不動産投資に振り分けたのでした。

 

 興銀の個人筆頭株主に踊り出た尾上 縫。常識外れの資金力と取引きぶりは金融界の話題を呼び、日銀の関係者は 「尾上 縫って繊維会社かなにか?」 と言ったそうです。

 

 1991年(平成三)五月、総会シーズンを前に尾上の保有株式は興銀300万株、第一勧銀700万株など大手都市銀を網羅していましたが、すでに株価はバブル崩壊に向かっており、金融資産の時価は最大6182億円から減少。このときすでに1兆円を超える負債となっていました。利息が一日あたり2億円という。

 

 当時、金融界は山口組系総会屋グループが上場企業の総会に出席するため株式を取得し、他人名義にする 《株付け》 に頭を悩ましており、尾上にその疑いが向けられていたのです。関係こそ見当たりませんでしたが、身辺調査は進められていきました。

 

 1991年(平成三)8月13日、三和銀行系の関西信金、東洋信用金庫が大阪で記者会見し、今里支店長が3420億円に及ぶ架空預金証書を発行したと発表。特定の取引先と共謀し、実体のない証書を担保としてノンバンクから融資を受けていたというのです。

 

 言うまでもなく特定の取引先とは尾上のこと。同日尾上は大阪地検に逮捕され、翌年6月には尾上の負債総額4300億円での破産と、3420億円の詐取が確定します。管財人は滝井繁雄弁護士。

 

 滝井氏は10年かかって被害額の一割にも満たない274億円を債権者に返し、同時に日本興業銀行の経営体質を告発。のちに最高裁判事に就任し、2006年にグレーゾーン金利規制で多重債務者を救済、過払い金返還訴訟をもって ‟サラ金を殺した男” と呼ばれることになります。

 

 尾上の破産管財をしているうち、滝井氏は尾上の詐欺というより、興銀の喰いものにされた被害者の面もあったと確信しました。興銀のワリコーを担保にすれば、逆ザヤとなって他の金融機関が大損するのを承知のうえ、2400億円もの融資をしたのです。当時、興銀からの融資は三菱商事ですら2330億、伊藤忠商事が2265億でしたから、その異常性がわかろうというもの。

 

 2002年4月、尾上の破産終結の年、事件で東洋信金に大ダメージを与え、自らも700億円もの損失を出した興銀はみずほ銀行の傘下に入りました。ワリコーの販売終了は2007年3月。

 

 バブル経済期の狂乱のひと幕とはいえ、個人で兆のケタのカネを動かした尾上 縫はやはり特異な人物といえましょう。2003年4月に懲役12年の実刑判決を受け、和歌山の刑務所では毎日、大神(おおみわ)神社をミーさん(巳=蛇神)と呼んで拝んでいたそうです。2014年ごろ、仮釈放の直後に死去しました。享年84。

 

 

 それではまた、次回の捜査会議までに資料を整理しますタバコ