本日は、みつまめ忘れじのNBA名選手を回顧する 「みつまめNBAスーパースター列伝」。
第117回は、昨日に引き続きスティーヴ・ナッシュの後編です。
フェニックス・サンズをハイパーオフェンスゲームでNBAトップチームに引き上げたナッシュは、2005-2006シーズンも平均18.8得点 10.5アシストでチームは54勝28敗、2年連続でシーズンMVPを獲得しました。
カナダ出身で初の栄誉に、ナッシュは母国のスーパースター。当時、コートでの司令塔の心得を質問され、中学までやっていたサッカーから学んだ、と公言していました。チームメイトの位置取りや移動の予測を瞬時に把握するんだ、なんて人間業とは思えない技術をサラッと語るんですからまったくすごい。
そのスキルで世界中を仰天させたのは2010年2月14日。
ナッシュは12日開幕の母国カナダで開催されたバンクーバー冬季五輪の聖火最終ランナー4人のひとりに選ばれたのです。
聖火ランナーは12日
大役を果たした2日後の14日はテキサス州アーリントンでのNBAオールスターゲーム。本戦どころか前夜祭のスキルス・チャレンジにもエントリーしていたナッシュは、チャーター飛行機で文字どおり寝る間もなくアメリカン・エアラインズアリーナ入りすると、ぶっつけ本番でなんと優勝してしまったのです。
スキルス・チャレンジとは障害物を避けながらドリブル・パス・シュートを決め、合計時間を競う余興で、トータルでのバスケットボールの技術が問われます。ナッシュのスキルはまさに神がかりでした。
13日に駆けつけ優勝
以降もアシスト王になること通算5度。NBA最高のポイントガードの名声をほしいままにするも、プレーオフでは頂点までたどり着けず。サンズのオフェンス一辺倒、ディフェンスの弱いプレースタイルの限界を指摘されると、チームは主力をひとり替えふたり替え。
これがかえってどっちつかず、オフェンス力の低下を招き、ナッシュのプレーこそ冴えわたるもののサンズの成績は右肩下がりになっていったのでした。
アマレ・スタウダマイヤー、ショーン・マリオンらコアメンバーも去り、チーム成績が5割を切るようになると、ナッシュはチャンピオンリングを求めて移籍を要求、2012年、38歳にしてロサンゼルス・レイカーズにトレードされました。レイカーズでは背番号13が欠番だったため10に。これはジダンとかメッシとか、サッカーのエースナンバーだからだそう。
コービー・ブライアントにドワイト・ハワード、ポウ・ガソル、メッタ・ワールドピースとオールスター級を揃えたレイカーズは優勝候補筆頭。シーズン全勝まであると期待と憮然を集めましたが、2012-2013シーズンの結果は45勝37敗。ケミストリーがサッパリだったうえ、ナッシュ自身も左脚骨折、右膝の腿腱と股関節損傷で長期欠場する不運もあり、さんざんなシーズンでした。
翌年も後遺症の神経障害、また脊椎分離すべり症から来る背中の痛みに悩まされるようになり、ほとんどの試合を欠場。スキルこそ衰えていなかったものの、コートに立てる健康状態ではないと契約を残しながら40歳、18年間の現役生活にピリオドを打ちました。
引退後、ゴールデンステイト・ウォリアーズに誘われ育成コンサルタントに就任。実際に練習でプレイしてステフォン・マーブリーやクレイ・トンプソンの相手を務めると、2016-2017シーズンにウォリアーズはNBA優勝。ナッシュにも現役時代に獲得できなかったチャンピオンリングを授与されたのは奇縁でした。
なぜか裸のカーHC(右)からリングを贈呈
2020年9月にはブルックリン・ネッツでヘッドコーチ就任。3シーズン務めて今年3月に退任していますが、今後も指導者として多くのチームに呼ばれることでしょう。
プライベートでは子どもの慈善活動に熱心で、スティーブ・ナッシュ財団を設け、とくにアフリカの内戦孤児に食糧物資を送ったり、中米で小児病院を建てたりワールドワイドに出資。カナダ政府から勲章を贈られ謝意と尊敬を集めています。