本日は、みつまめ忘れじのNBA名選手を回顧する後ろ向き企画、「みつまめNBAスーパースター列伝バスケ」。

 

 第114回は、ケヴィン・ガーネット です。

 

 

 1976年サウスカロライナ州はグリーンビル出身。

 バスケット選手だった実父が家出したあと美容師の母に育てられました。母の再婚相手はバスケットに興味がなく、身長が伸び才能を発揮し始めてもストリートでのプレーに止まっていたとか。

 

 地元マーディン高で本格的にバスケ部に入り注目を集めるも、校内で起きた生徒同士の乱闘事件に居合わせ、ガーネットも逮捕されてしまいました。白人と黒人のケンカだったことと、ガーネットの名が知られていたこともあり大きなバッシングにさらされます。

 

 無罪放免後、シカゴのファラガット高に転校し出直し。6ft11in(211cm)まで成長したガーネットは全米有数の高校生プレーヤーになりました。しかし学業成績が今ひとつだったため、NCAAをあきらめ1995年NBAドラフト、1巡目5位でミネソタ・ティンバーウルヴズの指名を受け、高校から直接NBA入りを果たします。

 

 ティンバーウルヴズ(森林狼の意)は1989年発足以来ずっとドアマット。高卒の10代選手が通用するかは未知数ながら、チームはガーネットに招来を託したのでした。期待料込みの年俸が破格だったので、チャールズ・バークレーからは 「ヤツがNBAで何を証明したってんだ? 19の坊やに高いカネ渡すなんてバカげてる。ロクなオトナにならねえぞ」 と皮肉がられ、いきなりの逆風。

 

 デビューの1995-1996シーズンは平均10.4得点 6.3リバウンドとまずまず。リーグの水に慣れ、体が出来てくると成績は年々上昇。4年目には平均で20得点10リバウンドを越え、NBAを代表するパワーフォワードに成長していました。

 

 

‟ビッグチケット” KG

 

 

 フォワードとしては細身の外見ながら、フィジカルの強さがあり腕が長い。スピード、クイックネス、ボールハンドリングに秀でスタミナもあり、必殺技のターンアラウンド・ジャンプシュートは守備不可能の精度でした。スーパースターに必須の ‟華” があります。

 

 なにより性格が良い。明るく社交好きで記者受けもよく、問題行動とは無縁でした。ファンにも、とくに子どもに親切だったのは、幼少時代、レイカーズの試合で選手にタオルや水を渡すアシスタント体験をしたとき、マジック・ジョンソンが優しくしてくれたのに感激し、自分もそうしようと決めていたからだとか。

 

 ガーネットの成長に合わせてT-ウルヴズのチーム成績も上がります。ホームのターゲット・センターはガーネットを観るため毎試合ソールドアウト。ついたニックネームは ‟ビッグチケット” でした。アリーナのチケットが飛ぶように売れる...プロアスリートとして、これ以上の賛辞はないでしょう。

 

 1998年オフ、チームはガーネットと6年間12600万ドル(約176億円)で契約更改。超破格の待遇はリーグ内外を震撼させます。他チームのスターが軒並み年俸に不満を持つばかりか、チームメイトもガーネットに嫉妬するようになってしまいました。悲願であるチャンピオンリング獲得に向け、皮肉にも高額年俸がキャリアに陰を落とすのです。

 

 1996-1997シーズン入団のガード、ステフォン・マーブリーとのデュオは相性抜群。チーム史上初のプレーオフ進出を果たします。まさに将来を約束されたような名コンビ誕生かと思われた。

 

 しかし、ガーネットに提示された高額年俸がマーブリーのヘソを曲げます。サラリーキャップが圧迫され、自分の取り分が減るという理由で移籍を要求し、コンビはたった2年で崩壊したのでした。NBAトップスターに成長しても、キャリアの前途は多難です...

 

 

 続きは次回、後編にて。