本日は、探偵小説もものかは、という古今東西の怪奇事件を抉じ開ける 「みつまめケースファイル銃」。

 

 今回は、泥棒大家族村 です。

 

 

 1971年(昭和四十六)、福岡県は筑豊炭田のとある村。

 ここに福岡県警のみならず警視庁も加わる空前の手入れが行われ、村人の成人男女約200人が検挙されました。容疑は窃盗。前科余罪合わせ309犯、金額にして年間2億円並と驚くべきもの。

 

 村長、というか窃盗団頭目たる猪狩時之介(仮名)総親分がこの村に住んだのは明治末。竹細工や簑、縄などを作っては近郷の農家に売って生計とする貧しい地域でした。

 

 10代にしてワルいオトナからスリの手ほどきを受けて犯罪に手を染めると、東京大阪はおろか、海外の台湾・上海まで行っては盗みを重ねる常習犯になりました。

 

 なぜかひとり裕福になる時之介にあやかり、もともと貧しい村人はわれもわれもと窃盗を生業にするようになると、気づけば村全体が泥棒の巣窟に。

 

 しかし戦時中、ひとりふたりと逮捕者が出るに及び、一斉取り調べで村の一党は多数御用になりました。すると困ったのは残された女房子どもたち。

 戦後の混乱期、生活のため、今度は女たちが盗みに手を染めるようになり、福岡から神戸、大阪まで足を延ばしていきます。こうして村全体が窃盗団化。こうした暮らしは数十年に及びました。

 

 1971年(昭和四十六)4月、猪狩時之介率いる村人12人が8日間をかけ、金沢・長野・高崎・八王子・水戸・宇都宮・盛岡・八戸と北日本縦断の窃盗ツアーに出ます。土地土地のデパートで、各階の売り場を漁り高価品をたんまり盗んでいきました。それぞれの被害金額は約1000万円。

 

 しかし八戸のマルマツデパートにおいて、現場を店員に目撃されると、通報により非常線を張ったパトカーに逃走中のところを止められたのです。車のトランクから山ほどの盗品が発見されては言い訳の余地なし。

 

 64歳になっていた頭目、猪狩時之介を取り調べた警察は、その犯歴以上に驚愕の事実を目の当たりにします。

 閉ざされた貧村では古来より村内部で婚姻を繰り返しており、血縁関係が複雑怪奇。しかも婚姻自体がルーズの極みだったのです。つまり村の男女はみなきょうだい、みたいな。

 

 逮捕されたある夫婦、猪狩徳二・京子(仮名)はお互い 「姉」 「弟」 と呼び合っていたので、警察が戸籍を調べたところ、なんとほんとに姉弟だった、という次第。

 「村人みな家族にして、みな泥棒」 というこの村は、200人もの検挙により住む人もなくなり、今では文字どおり 「地図からも消えた村」 となりました。

 

 村には 「収入」 を管理する事業部があり、経理部長が専任、いざというときの弁護士まで雇っていました。盗品は村内部でも現金決済を原則とし、マネーロンダリングまでが行われていたというから徹底したもの。

 

 鉄のオキテもあったとか。たとえばこんな具合。

 「地元では盗むべからず」 「行動は迅速かつ大胆、虫が知らせたらその日は休め」 「つかまったらシラをきり、泣け」 「個人商店は気の毒だから、デパートを狙うべし」

 

 なお、彼らの存在は1971年1月、東京新聞の加藤延之記者が潜入取材して 「こちら特報部・泥棒村潜入記」 とのルポにまとめ、1972年10月公開の植木 等主演 「喜劇 泥棒大家族天下を盗る」 として東宝が映画化しました。

 

 

 それではまた、次回の捜査会議までに資料を整理しますタバコ