本日は、「MSI=みつまめスケプティック委員会」 からの活動報告です本

 

 古今東西あまた世上をにぎわせたフェイク科学系の話題を総ざらいし、信頼に足る真相に迫りますサーチ

 

 今回は、千夜一夜物語 を特集しましょうグッド!

 

 

 アラビアン・ナイト。

 アッバース朝イスラム帝国の9世紀、日本では平安時代前期に中東から西アジアの民話が編纂された説話集で、アラビア語の原題は 「アリフ・ライラ・ウィ・ライラ」。沢田研二さんのシングル曲にありましたね。

 

 ササン朝ペルシャの王シャハリヤール(架空)は、妻の不貞に激怒して処刑。その後は新しい妃を娶っては一夜で殺害する暴君になっていました。

 

 大臣の娘シェヘラザードは一計を案じ、ある夜、王の閨で物語を語っては夜明けのおもしろくなってきたところで話を止めて王の関心を惹き、殺されずに済みました。

 

 毎夜おもしろい話を続けること千一夜。物語は270に及び、その間シェヘラザードは王との間に3児を儲け、王は改心。晴れて正妻になったシェヘラザードは幸せに暮らしましたとさ、の筋立ては、本だけでなく1888年ロシア、リムスキー・コルサコフの交響組曲 「シェヘラザード」 の題材になりバレエ化もされています。

 

 民話だった 「アラビアン・ナイト」 が書物になったのは15世紀のカイロ。1704年ルイ14世時代のフランスにおいて、東洋学者アントワーヌ・ガラン(1646~1715)がフランス語に翻訳出版し貴族社会で評判になると、やがてヨーロッパ各国にも普及したのでした。

 

 イギリス版は1840年のエドワード・レーンによる訳出。ベストセラーになり各出版社が自社版を出しますが、原典の露骨な性表現を興味本位に強調するようになったため、出版禁止処分を受けた版もあったとか。

 

 さて、1704年のガランが翻訳した本が売れに売れると、出版社は続編を企画します。ガラン自身が入手したアラビア語写本を全訳して7巻まで出すと、プティ・ドラクロワという東洋学者がトルコ語の写本から別の物語を発見、8巻が出ます。ちなみに 「自由の女神」 を書いた画家のドラクロワとは別人。

 

 さらなる続編を求められたものの、すでにネタ切れになっていたガランは、1710年、パリに来ていたシリア出身のマロン派キリスト教徒ハンナ・ディヤープから、アレッポで見つけたという17の物語の提供を受けます。喜んだガランは9巻から12巻までの訳出を完成させ、これで最終巻としました。

 

 ところが、イラク出身のイスラム史学者、ハーバード大のムフシン・マハディー博士(1926~2007)の研究により、ディヤープが提供した物語の原典はなく、ガランが受け取った写本原稿の類も現存しないため、各写本の比較検討の結果、どうやらこれらはディヤープが自分で創作した物語であったと解明されています。

 

 しかも、その17編の内容がすごい。

 「アラジンと魔法のランプ」 「アリババと40人の盗賊」 「船乗りシンドバッドの冒険」 「アフマッド王子と妖精パリ・バヌー」(=魔法の絨毯) が入っているため、アラビアン・ナイト中の有名どころ、いちばんおもしろいエピソードはすべてディヤープの創作物ということになります。

 

 ガラン自身の創作はなく、あくまでアラビア語から翻訳し世界中に紹介した人なので、その功績は大きいでしょう。

 また、千夜一夜のエピソードを詐称したとはいえ、ディヤープの物語はもはや古典名作の域。彼がシリア出身であったことは、アラビアの文化文芸にとって幸いでした。

 

 

 それではまた、次回の報告会でお会いしましょうMSI