*5月15日エントリー の続きです。

 

 

 R大学文学部史学科のぜんざい教授ねこへびと、継子の院生・あんみつ君ニコの歴史トーク、今回のテーマは戦国時代の中国地方。

 

 本日は、三日月の影 のおはなしです。

 

 

 

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 あんみつ真顔 「先生、元亀二年(1571)六月、毛利元就が75歳で逝去。出雲・高瀬城に滞陣していた吉川元春は、喪に服すよりも尼子再興軍を平定することで供養に代えると、尼子方の伯耆大山、教悟院攻撃を宣言します。このとき山中鹿之介は伯耆・末石城(大山町)に籠っており、元春勢を挟撃しようと出陣しました」

 

 ぜんざいねこへび 「これは元春の経略だった。鹿之介が城を出るや取って返し末石城に向かう。鹿之介はまたもや引っかかったんだ。ふたたび籠城するも完全に包囲され、仕寄せ(=接近用の建付け)をつけられては万事休すだ。ついに攻め手の宍戸隆家・口羽通良に降伏して軍門に下る」

 

 あんみつねー 「吉川元春は鹿之介の処刑を命じますが、宍戸と口羽は助命を願ったんですね。優れた鹿之介が毛利に鞍替えすれば、これ以上ない味方になると。ふたりは毛利家老の筆頭格なので元春は許し、鹿之介と直接対面。おりをみて伯耆大山に知行を与える約束で、とりあえず尾高城(米子市)に軟禁します」

 

 ぜんざいねこへび 「鹿之介は宍戸と口羽に深謝はしたが、元春に服従するつもりはない。赤痢を装い、ある晩便所に100回以上駆け込んだ。番の者はすっかり油断し見張りを止めると、鹿之介は厠の樋口を使って脱走に成功した。肥壺から抜けたので、体じゅうベットリと何かがついたらしい(笑)」

 

 あんみつガーン 「うひゃ~、想像したくないですけど、これまた 《史記》 に出てくる秦の宰相・范雎(はんしょ,?~ç前255)のエピソードに似てるから、創作と思いたいですねぇ。鹿之介は逃亡しましたが、八月に尼子勝久の本拠・新山城も陥落し、勝久はなんとか隠岐の島に脱出。出雲から再興軍は一掃されてしまいました」

 

 ぜんざいねこへび 「鹿之介は丹後に逃れ、さらなる再起を図るべく、軍資金集めのため海賊となった。無関係な海辺の村々を襲って略奪を繰り返したんだから、鹿之介とてまったく聖賢の人ではない。因幡の日比屋にあった古城を修理してここを新たな拠点とした」

 

 あんみつにやり 「因幡は守護大名・山名氏の領国でしたね。この当時、毛利と結んだ家臣の武田高信に国を奪われ、山名豊国は但馬に逼塞していました。鹿之介は豊国に協力を申し出て手勢を借りると、武田高信と甑山(こしきやま)で戦い勝利(鳥取の田の実崩れ)。山名旧臣が集まったので本拠の鳥取城をも奪還し、武田高信を駆逐、因幡は山名豊国の領国になりました。鹿之介の武名は西国に轟くことになります」

 

 ぜんざいねこへび 「鹿之介は山名豊国に厚遇されたが、所詮は尼子の臣。山名家臣に嫉妬されたし、鹿之介も長居するつもりはない。京都に逃れていた立原源太兵衛から上洛するよう書状が来たのをさいわい、元亀三年(1572)の冬、鹿之介が京都に上がってみると、なんと尼子勝久もおり、主従は1年半ぶりの再会を果たした」

 

 あんみつウインク 「当時の京都は、十五代将軍足利義昭を奉じた織田信長の勢威が上がっていました。すでに近畿地方をほぼ掌握、次なる矛先を西国に向かって伸ばそうとしています。立原は明智光秀に仲介してもらい、近江の大津で信長と面会。信長は鹿之介に目をかけ、四十里鹿毛という駿馬を贈ったと言います」

 

 ぜんざいねこへび 「鹿之介は中国道征伐の先鋒を信長に願い出、成就のおりには出雲を尼子勝久に賜るよう望んだ。本音かどうか信長はそれを快諾し、鹿之介を明智光秀の部将に任じる。天正元年(1573)七月に足利義昭が京都を追われ、西国に退去する情勢のなか、十二月、鹿之介は尼子勝久を主として山陰に進軍すると、鹿之介に恩がある山名豊国は尼子の味方についた」

 

 あんみつうーん 「鹿之介が放浪しているあいだ、毛利は備前・浦上宗景と対戦するかたわら、広い領国内の統治にも苦心していました。元就在世中から豪族の統合はルーズなものでしたから、元就がいなくなってはますますです。瀬戸内の海運を狙って四国から阿波・三好長治や讃岐・香西佳清が浦上と結び、能島水軍の村上武吉が離反。陸でも海でも反毛利の動きが盛んです」

 

 ぜんざいねこへび 「彼らの背後には大友宗麟がおり、将軍足利義昭の名で講和斡旋が成ったのは元亀三年(1572)十一月。この交渉をまとめたのが安国寺恵瓊だ。かつて大内義隆と毛利元就に滅ぼされた安芸武田氏は兵部大輔光広の忘れ形見で、安芸不動院・竺雲恵心の弟子として匿われると、恵心が毛利隆元の帰依を受けていた関係で、毛利の外交僧として召し出されていた」

 

 あんみつもぐもぐ 「人間の運命って不思議ですよねぇ。この人がのちに毛利の運命を左右することになるんですから。恵瓊の働きで山陽での戦いが収まり、ようやく吉川元春・小早川隆景の体が空いたので、ふたたび出現した尼子再興軍を鎮圧すべく、大軍を率いて因幡へ出陣してきました」

 

 ぜんざいねこへび 「吉川・小早川の威容に、山名豊国はまたも鞍替えして毛利に帰順。信用ならない人物だ。鹿之介は若桜鬼城(わかさ・おにがじょう,若桜町)を本拠とし、私部城(きさべじょう,八頭城)をまだ18歳の亀井新十郎に守らせた。彼は京都で出会った尼子旧臣の子で、後年は豊臣秀吉や徳川家康の信任を得て “琉求守” の官職を名乗ったという亀井茲矩(これのり)のことだ」

 

 あんみつショック 「彼もまた織豊時代から徳川の世を生き抜く奇行の人ですよね。しかし毛利軍は天正三年(1575)十月に私部城を陥として亀井は逃亡。翌年五月には鬼城も支えきれなくなり、またも鹿之介と尼子勝久は撤退し京都に逃げ戻ります。二度目の尼子再興軍も強大な毛利に敗れましたが、鹿之介はあきらめません」

 

 ぜんざいねこへび 「戦前の文部官僚にして、島根出身の井上 赳(たけし)は鹿之介の伝記を 《三日月の影》 と題して小学国語読本に載せ児童必修とした。それが忠君愛国教育であったのはもちろんだが、時勢の前に報われない努力の虚しさを感じてしまうねぇ」

 

 

 

 

 

 今回はここまでです。

 

 台頭する織田信長と毛利氏との対決が迫るなか、その間隙で山中鹿之介のあくなき尼子再興の戦いが続きます。

 

 次回、摂津木津川口海戦 のおはなし。

 

 

 それではごきげんようねこへびニコ