本日は、みつまめ忘れじのNBA名選手を回顧する後ろ向き企画 「みつまめNBAスーパースター列伝バスケ」。

 

 第63回目は、前回に引き続き “ザ・ワーム” デニス・ロッドマンの後編です。

 

 

 デトロイト・ピストンズは “バッドボーイズ” と呼ばれ、ダーティ&ラフなプレーを厭わず勝利を追い求める荒くれ集団で、若きロッドマンが地味に見えるほどアクの強い選手ばかりでした。

 

 しかし徐々に本性(?)を見せ始めたロッドマン、1991年のシカゴ・ブルズとのプレーオフでは、スコッティ・ピッペンの頭をワキに抑え込んだままゴールポストにぶつける “ブルドッキング・ヘッドロック” をかまして乱闘騒ぎを起こします。後年、ピッペンとチームメイトになるとは夢にも思わなかったことでしょう(笑)。

 

 1991-1992シーズン、ロッドマンは平均18.7リバウンドで初のリバウンド王獲得。1試合で10個取れば一流なのに、平均で19近いなど、冗談のような数字です。身長は201cmでNBAではさほど高いわけではないのに、ボールへの嗅覚としか言い様のないリバウンドセンスでした。

 

 しかし、父親とも慕うヘッドコーチのチャック・デイリーが解任されると、チームとの契約交渉がこじれ、私生活では短い結婚生活が破綻、溺愛していたひとり娘と離ればなれになるなど、公私ともにロッドマンの気持ちは荒んでいきました。

 

 1993年4月のある晩、デトロイトのホームアリーナ駐車場の愛車内で、ライフルを抱えて泥酔しているロッドマンが発見され、大騒ぎになります。チームは問題児になりそうなロッドマンの厄介払いを決断、サンアントニオ・スパーズにトレードしました。

 

 これ以来、ロッドマンは髪を染めピアスを開けタトゥーを入れ、自由人として振舞いだします。プレスにはおもしろおかしく取り上げられ、チーム批判など言動も過激に。プライベートでは、あのマドンナと付き合っていた時期があったとか。

 

 スパーズでもディフェンス/リバウンドのスペシャリストとしてチームを強豪に押し上げますが、エースのデヴィッド・ロビンソンは真面目な性格なので当然ながらロッドマンとソリが合わず、素行不良を理由に厄介払い。受け入れ先は、あろうことかマイケル・ジョーダン擁するシカゴ・ブルズでした。

 

 

ブルズではジョーダン、ピッペンと組む

 

 

 MLB挑戦のため2年のブランクを経て復帰したジョーダンは、オールラウンダーのスコッティ・ピッペンとロッドマンという最高のチームメイトを得て大復活。1995-1996シーズン、ブルズは72勝10敗という当時のシーズン史上最高勝率をマークしてNBAファイナルも制覇。1997年、1998年と3連覇(スリーピート)を達成します。

 

 この3年間、ロッドマンはリバウンド王を譲らず7年連続のタイトル獲得。メディアの寵児としてもてはやされたのがこの時期です。

 

 

WCWではハルク・ホーガンのnWo加入

 

 

 テレビのトークショーには引っ張りだこ。ジャン・クロード・ヴァンダムと共演した映画 「ダブルチーム」 公開、TNTが放映する 「WCWマンデーナイトロ」 でプロレスに挑戦するわ、女装姿でセレブパーティーに出るわ、自伝本でマドンナとの赤裸々すぎるプライベートを暴露するわ、やりたい放題。

 

 ちなみに自伝本 「BAD WAS I WANNA BE」 は日本でも訳出されベストセラーになりましたから、当時の人気ぶりがわかります。放題は 「ワルがままに」。なかなかナイスなタイトルです。

 

 

テーマは “ドラッグクイーン” らしい...

 

 

 1998年、マイケル・ジョーダンが二度目の引退をするとブルズは解体。ロッドマンも移籍しますが、トラブルメーカーの彼はリーグでの居場所を失くし、フェードアウト。それでも2006年くらいまで独立リーグや海外のクラブで現役は続けています。バスケットが好きだったのか、引退しては存在価値がないと自覚してだったのか。

 

 NBAを去ったあともワイドショーにはプライベートのトラブルでネタを提供し続け、近年は北朝鮮の金正恩第一書記に歓待されたり、友人だというドナルド・トランプの大統領選を応援したりでプレスに登場しています。

 

 破天荒、個性派というにはあまりにも強烈だったロッドマン。お騒がせなその生き方は好悪があるでしょうけど、“彼が現役だった時代のNBAはおもしろかった” とは、みんなが認めることでしょう。