本日は、みつまめ忘れじのNBA名選手を回顧する後ろ向き企画、「みつまめNBAスーパースター列伝バスケ」 です。

 

 第62回目は、デニス・ロッドマン

 

 

 “悪童” “狂気のリバウンド王” の悪名をほしいままにし、1990年代日本でのNBA人気を盛り上げた立役者のひとりです。

 

 八村 塁選手や渡邊雄太選手の活躍で、いかにも注目されているような感じのNBAですが、当時に比べたらぜんっぜん。なんせ、1997年7月26日のフジテレビ 「FNS27時間テレビ」 では、ダウンタウン、明石家さんまと並んで、メインゲストとしてこのロッドマンが呼ばれたくらいなのですから。

 

 このとき、ロッドマンのお世話係を務めたのは秋野暢子さんのご主人(当時)のコーディネーター・田代冬彦氏(佐野史郎の冬彦さんのモデル)。ロッドマンのご機嫌を損ねないため気を遣いまくり、一日で憔悴しきったとか(笑)。

 

 この年はダンロップのCMに出るなど、かように日本のNBAファンに人気を博したロッドマン、単なる悪童ではなく、ギリギリ一線を越えなかったプライベートの破天荒さと、ひとたびコートに立てば試合に勝つため全力を尽くすところが好かれた秘訣でした。

 

 デニス・ロッドマンは1961年ニュージャージー州トレントン出身。

 父親は空軍所属の軍人でしたが、4回の結婚で27人の子を儲けるという、子が子なら親も親、という人物だったそうです。

 

 3歳のときに母は離婚、3人の子と暮らしたのはテキサス州ダラスのスラム街で、やっと高校まで出たものの、ロッドマンはホームレス同様の荒んだ生活に身を落としました。

 

 天の恵みか、6ft7in(201cm)まで身長が伸びたのをきっかけに、高校で少しかじったバスケットボールを再開。すでに21歳になっていましたが、サウスイースタン・オクラホマ州立大のコーチが才能を感じ、奨学金込みでスカウトしてくる幸運を得たのです。この奇跡がなかったら、ロッドマンは路上で人生を終えていたでしょう。

 

 サウスイースタン・オクラホマ州立大はNCAAではなくレベルが低いといわれるNAIA所属。それでもコート上では熱心なプレーを続け、1986年NBAドラフトで2巡目4位(通算27位)でデトロイト・ピストンズが指名してきました。ロッドマン25歳。遅咲きのルーキーです。

 

 

ピストンズ時代はいたってマトモ

 

 

 ピストンズのヘッドコーチ、チャック・デイリーは当時 “バッドボーイズ” のふたつ名で呼ばれた荒くれ集団を統率する名将。ロッドマンには汚れ仕事でスペシャリストになること、つまりディフェンスとリバウンドに特化し、技術を磨くことを求めました。

 

 パワーフォワードとしてスターターに定着したロッドマンは、1989年・1990年とピストンズのNBA連覇に貢献。とくに1990年はオールスターゲームに出場し、最優秀守備選手賞に選出されるなど、リーグトップクラスのディフェンダーとして認知されたのです。

 

 ついたニックネームは “ザ・ワーム”。

 毛虫のような髪型だからとか、地を這うような生活から成り上がったからだとか、ピンボール好きで体をくねる仕草をよくしたからだとか、いわれはいろいろありますが、けっこうヒドい愛称なのに本人は気に入っていたようです。

 

 ここまではロッドマンのサクセスストーリーのほんの手始め。

 選手として脂が乗ってくるとともに、その狂気も如何なく発揮しはじめます。

 

 エピソードが多く、長くなりそうなので、続きは次回の後編で。