*11月2日付記事 の続きです。

 

 

 R大学文学部史学科の院生・あんみつ君ニコニコは、今回はしらたま教授オバケとの歴史トークで、テーマは徳川家斉の大御所時代。

 

 本日は、化政文化のおはなしです。

 

 

 

 

りんご ピザ 赤ワイン

 

 あんみつべーっだ! 「しらたま先生、家斉将軍の文化(1804~1817)・文政(1818~1829)年間は、教科書に <化政文化> と載っている江戸の町人を担い手とした庶民文化が花開きました。ボクらのイメージにある “江戸時代的なもの” は、この時期のものですよね」

 

 しらたまオバケ 「うん。文化と言っては堅苦しいし、いちいち美術がどうの、工芸がどうの、学問がどうのというものつまらないから、当時のポップカルチャーとか、現代にまで継承されている普遍的なものについて見てみよう。娯楽といえば歌舞伎、落語、相撲、小説本で、これらはどれも現代で見られる形態が整っている」

 

 あんみつにひひ 「歌舞伎は当時のザ・芸能界です。男の遊郭・女の歌舞伎という感じではしたなく思われていたから、堂々とじゃなくこっそりと見物していたそうですが。元禄のころ流行った人形浄瑠璃は廃れたんですね。女性もやっぱり、人形の芝居より生身のイイ男を愛でたいんでしょうから(笑)」

 

 しらたまオバケ 「落語はまさにこの時代、三笑亭可楽(1777~1833)という日本橋の櫛職人が寄席を開いたことで発祥した。彼の弟子から三遊亭圓生、林家正蔵など、今でも大名跡として残っている噺家が出ている」

 

 

エメ・アンベール(スイス)が書いた歌舞伎と相撲

 

 

 あんみつ得意げ 「相撲も本所回向院など江戸で年二場所、京都と大坂で一場所ずつ、晴天10日間の屋外興行として定着しました。最高位・大関からとくに英邁と認められた名人に <横綱> の尊称が贈られたのがこの時期ですね。文政十三年(1830)三月、阿武松と稲妻が将軍家斉に土俵入りを披露しています」

 

 しらたまオバケ 「相撲は神事なので女人禁制だったという巷説があるが、けっこう女性の観客もいた。ただ、相撲見物の客はケンカっぱやいうえ、暑い野外でぎゅうぎゅう詰めだったから、<男のふかし芋> と言われるムサ苦しい状態だった。とても女性が行きたい場所じゃなかったことだろう」

 

 あんみつニコニコ 「小説本は、洒落本・滑稽本・人情本など、いろんなジャンルの小説が花盛りですね。本は買うより貸本がメインで、地本問屋(出版社)は江戸だけで50軒以上あり、ベストセラーは数十万部を売り上げたといいます。江戸時代の日本人の識字率は高かったようですから、みんな読書好きだったんですね」

 

 しらたまオバケ 「う~ん、たしかに字は読めたが、現代の学力とは同列にできない。庶民の子どもが寺子屋に通う期間は2~3年で、すぐ奉公に出されたから、あとの教育は奉公先次第だった。江戸時代の義務教育のレベルは、今でいう小学3年生並みだろう。だから字が読めたとしても、せいぜい平仮名だ」

 

 

人情本 挿絵と平仮名ばっかり

 

 

 あんみつラブラブ! 「そんなもんでしたか。言われてみるとベストセラーになるのは心中や仇討ち、エログロがテーマで、挿絵がメインだったり、平仮名ばっかりの平易な文章。いちばん売れたのは吉原のガイドブック(『吉原細見』)だったというし、文学的価値はゼロの通俗的なものですねぇ。いつの世も売れるのはエロ(笑)」

 

 しらたまオバケ 「一般的な教養はともかく、学術においては大きな進展があった。封建道徳を維持するための儒教・朱子学は現代では無価値だが、進展著しい蘭学、というか洋学の影響を受けた自然科学や社会科学の分野でね。鎖国していたとはいえ、ドイツ人シーボルトに西洋医学を学んだり、コペルニクスの地動説や、ニュートンの万有引力の法則などもすでに招来している」

 

 あんみつ得意げ 「長崎の出島に来るオランダ商館が唯一の情報源だったのに、当時の学者の知識欲は素晴らしいですね。洋学の影響で儒教に疑問を持った社会学者たちは、露骨な幕政批判は避けながらも、商品経済への転換や開国、人権尊重を訴えました」

 

 しらたまオバケ 「とくに八戸の医者だった安藤昌益(1703~1762)のごときは、儒教は奴隷の道徳と両断し、身分制、私有財産さえ否定した(『自然真営道』)。あまりに近代的な思想なので、後世の捏造を疑われたほどだ。その一方で、洋学のカウンターとして国学も隆盛し、古来からの中国崇拝を脱した排外的な日本像を追及する。このナショナリズムは間違いなく幕末の尊王攘夷に繋がった」

 

 あんみつむっ 「あぁ、洋学に影響を受け、開国や海防を主張した学者も、鎖国下では情報に乏しく、非現実的な海外経略を妄想しています。佐藤信淵や本田利明、吉田松陰といったあたりですが、揃いも揃って朝鮮半島属国化を手始めに、全アジア占領を説きました。不幸にも後年の帝国時代に現実となりますが」

 

 しらたまオバケ 「学術の世界は、鎖国下におけるナショナリズムと海外の影響が、成熟することなく掻き混ぜられた時期だったと言えるだろう。その中で、受身ではなく海外にまで進出した唯一の芸術である <浮世絵> は特筆に価する」

 

 

広重 「名所江戸百景」 右はゴッホの模写

 

 

 あんみつシラー 「はい。美人画の喜多川歌麿、謎多き東洲斎写楽、『富嶽三十六景』 の葛飾北斎、『東海道五十三次』 の安藤広重の多色刷版画は、かの西洋絵画の巨匠、ゴッホやモネに影響を与え、印象派という新ジャンルの原点になりました」

 

 しらたまオバケ 「紅花や鉛丹の赤、藍の青、ウコンの黄色に金・銀・雲母を混ぜ込んだ明るい色彩は、現代の僕らが見ても浮き立つものがある。江戸時代がなにやら明るく楽しげなイメージなのは、浮世絵の印象が強いからだろうね」

 

 

 

 

 

 今回はここまでです。

 

 徳川家斉の時代の花開いた化政文化は、教科書的には退廃と無気力を享楽でごまかした、とネガティヴに評価されますが、間違いなく現代の 「和風」 を決定した時期でした。

 

 

 それではごきげんようオバケニコニコ