R大学文学部史学科のぜんざい教授は、学食のスイーツメニューと、学生相手の歴史トークがなによりの楽しみ。
今日も教え子の院生・あんみつ君と、新しいテーマの話題に興じているようですよ・・・。
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あんみつ 「先生、こんにちは~。あっ、新作のボンブケーキ召し上がってるんですかぁ、ボクもそれを食べに来たんですよ」
ぜんざい 「おお、そうかい。カスタードクリームの苺ケーキなんだけど、甘さ控えめで低カロリーなのに、なかなか食べ応えがある。今はこういうケーキもあるんだねぇ」
あんみつ 「あはは。先生が学生のころのカスタードって、バターどっさりでベタッと甘かったんでしょ(笑)」
ぜんざい 「ふふ。ところで君は最近、なにを勉強してるんだい。バッグには図書館の本がいっぱい入ってるみたいだが」
あんみつ 「ああ、そうですねぇ、今は戦国時代後期、武田勝頼(1546~1582) という人にすごく興味を持ってます。戦国の巨獣とか、合戦の神様とか畏れられた 武田信玄 のあとを継ぎ、甲斐信濃を中心に広大な領土を持つ大大名だったのに、わずか十年で滅んでしまいました」
武田勝頼(1546~1582)
左:高野山持明院蔵 右:JR甲斐大和駅前銅像
ぜんざい 「ほぅ。信玄の死は元亀四年(1573)四月。有名な長篠の合戦は天正三年(1575)五月で、懸命に挽回を図ったのも実らず、滅亡したのは天正十年(1582)三月十一日だった(新暦4月3日)。だから勝頼時代はちょうど10年間ということになるね。彼の28歳から37歳だ」
あんみつ 「現在ではさすがに 偉大な父信玄に遠く及ばない凡将 というのじゃなくて、相当有能な人物だったと評価されてますけど、それだけに、どうして滅んでしまったのか気になります。しかも武田の滅亡って、これ以上ない悲惨さですよね」
ぜんざい 「たしかに武田の最期は、人間雪崩現象と言われるほど裏切り・脱走が相次ぎ、大した抗戦のないまま、あっという間に一大帝国が瓦解した。天下布武を押し進めた風雲児・織田信長に敵さなかったと言ってしまうのは簡単だが、勝頼の視点でよく検討してみるのは意義があると思うよ」
あんみつ 「信玄は最晩年、病を抱えながら一大西上作戦を実行しました。甲斐・信濃に加え駿河全土を併合し、西上野・飛騨も領土化しています。京都の将軍・足利義昭の要請に応じ、石山本願寺・伊勢長島願証寺・松永久秀・浅井長政・朝倉義景 らも呼応する、信長完全包囲網でした」
武田信玄最大版図
ぜんざい 「信玄軍は東美濃・北遠江・北三河を制圧し、有名な <三方ヶ原の合戦> で徳川家康を粉砕したが、信玄の病重く、そこまでで終わった。信長・家康にとっては幸運の極みだね」
あんみつ 「そして、勝頼の苦闘はまさに信玄の偉業を受け継ぐところから始まります」
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今回のテーマは、武田勝頼の興亡。
戦国最強の父を持つ二代目の悲劇だけではなく、戦国時代終盤の、大大名たちの壮絶な生き残り戦という面でも追っていきます。
それではごきげんよう(^-^)ノ~~。