*今回の設定は、完全にフィクションです。


 

 東京都新宿区のとあるビルのいちフロアには、(株)スイーツスポーツの編集部が並んでいます。

 看板雑誌(?)のひとつ、「月刊スイーツプロレス」 では、毎号編集部員による座談会が、人気の企画です。

 それでは今回も、その収録の模様を覗いてみましょう・・・。


 

   座談会出席者:

 

   つぶあん ・・・ 編集長。WWE至上主義のアメプロマニア。

   こしあん ・・・ 記者。’80~’90年代の全日・新日好き。

   みそあん ・・・ 記者。インディー/女子担当。メジャーぎらい。


 

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                喫煙  新聞

 

 つぶあん 「さて、今回の話題は当然、5月11日に日本武道館で無事開催された、小橋建太の引退試合を中心に、小橋の現役時代の思い出を語ろうと思うんだが、それにしてもものすごい観客だったな!」

 

 こしあん 「主催者発表で17000人超満員札止め。武道館の収容人数って、いいとこ10000人のはずですが(笑)。それはともかく、立ち見も出た掛け値なしの満杯ですよ。小橋に思い入れのあるプロレスファンは多いですからねぇ(遠目)」

 

 みそあん 「興行主催者は “小橋建太&NOAH” という不思議な形態で、あぁ、やっぱり小橋はもうNOAHと切れてたんだなとは思いましたが、団体の垣根のない、小橋ゆかりの選手が大挙出場したおかげで豪華なメンバーでしたね。メインは8人タッグマッチで」

 

 こしあん 「小橋建太&秋山 準&武藤敬司&佐々木健介 vs KENTA&潮崎 豪&金丸義信&マイバッハ谷口 というマッチメイクで、小橋ゆかりのオールスター対小橋歴代付き人、といった趣きでしたね。試合は40分近いロングマッチを闘い、最後は小橋がムーンサルトプレスを決めて金丸から花道フォールを奪いました」

 

 つぶあん 「セレモニー最後の10カウントゴングから、大量の紙テープに埋もれたところは壮観だったな。福澤 朗アナや、野田佳彦前総理もプレゼンターとして来てたし、トップレスラーの引退式に相応しい花舞台だったよ」

 

 こしあん 「近年の...2006年の大病以来、身体がボロボロになって欠場がちになった小橋については、我々も、もうキビしいんじゃないか、と言ってきましたけど、いざこの日を迎えると、なんかポッカリ心に穴が開いた気分ですよ」

 

 みそあん 「先輩は2000年12月の、NOAH有明コロシアム大会が取材デビューでしたからねぇ。思い入れひとしおのレスラーでしょう。その後小橋は全日時代から壊してた両膝を手術で治すため、2001~2002年と長期休養しますが、2003年以降のNOAHでの、いやマット界での小橋の活躍はすさまじかったですねぇ」

 

 つぶあん 「2003年3月1日に三沢光晴からGHCタイトルを奪取すると、2005年3月5日まで丸2年、通算13回の防衛を果たして、“絶対王者” とまで呼ばれたな」

 

 こしあん 「その間は、NOAHが最も興行的に成功していて、日本武道館での防衛戦は楽勝でフルハウスにしてましたからね。あの時点で、NOAHは新日のはるか上をいく純利を出してました」

 

 みそあん 「2004年・2005年と、東京ドーム大会を実現させたんですよねぇ~、2005年7月のドームでは、小橋はノンタイトルでの佐々木健介戦でメインを張り、年間ベストバウト賞を獲った大激戦を制しています。あっ、その日GHCタイトル戦で、王者・力皇 猛が棚橋弘至に完勝してるゎ、内外ともにNOAHの地力を感じますねぇ(一同・爆笑)」

 

 つぶあん 「あ~、覚えてる覚えてる。ホントはNOAHは中邑真輔を “要求” したんだけど、新日がさすがに渋ったんだよな。その代わり棚橋なら “構わない” って。今の新日トップスター、棚橋からしたら信じられない扱いだったな(笑)」

 

 こしあん 「それはともかく、2006年6月に大病するまで、マット界最大の大立者は小橋建太でしたね。まさに “絶対王者” “鉄人” の異名に相応しかった」

 

 みそあん 「そういえば、小橋ほどニックネームの多いレスラーもいないですよね、“バーニング” “青春の握り拳” “オレンジ色のニクいヤツ” “吉田栄作よりイイ男”......」

 

 つぶあん 「最後のふたつ、当時日テレ実況だった若林健治アナが勝手に言ってただけだろ(一同・爆笑)。まぁ、試合だけを売りに、マイクやアングルを一切排除してた全日マットで、あれほどの存在感とキャラクターを確立したんだからそのすごさはわかるよ」

 

 みそあん 「しかしそんな小橋も、全日入門時からジャイアント馬場さんにはまったく目をかけてもらえなかったとか」

 

 こしあん 「この話、けっこう伏せられていたんですよね。実際のところ、意外なくらい馬場さんは小橋を好いてなかったらしいですねぇ...馬場さんはあれでかなりなアスリート指向で、レスラーのバックボーンを大切にしてたから、レスリングや相撲出身でもない脱サラの小橋が、この世界で続くわけないしスターにもなれないと思ってたのかも知れませんね」

 

 つぶあん 「とにかく馬場さんは三沢と田上、だったからなぁ(笑)。全日時代、2度ベストバウトを獲ったとはいえ、三冠タイトルマッチで小橋は一回も三沢に勝ってないのはそういった面からだろう。だから、2000年5月の全日大量離脱のとき、小橋が三沢と行動を共にしたのをプロレス関係者がみんな不思議がったという」

 

 みそあん 「結局、NOAHが小橋をトップに、三沢社長が後ろ盾になる二枚看板だった時期が最も成功していたというのも、めぐり合わせの妙だったんですねぇ」

 

 つぶあん 「そろそろ紙幅が尽きるが......あ~、小橋の話、ぜんぜん語り足りないなぁ。またそのうちこのテーマでの座談会を続けることにしょう。それじゃ今日のところはこれで」


 

みつまめのLITTLE DOLLS for your life
小橋選手、おつかれさまでした