みつまめの「このレコード聴いてみた」
「招待状のないショー」
井上陽水
古今東西あまり関係なく、みつまめのお気に入りレコードを披露している「このレコ!」、今回は邦楽フォーク&ニューミュージックから、井上陽水氏のアルバムです。
陽水氏の作品に関しては、1st 「断絶」 から発売順に追っていこうと思い立ち、これが第6回目となります。
「招待状のないショー」 (1976年3月25日発売)
1.Good,Good-Bye
2.招待状のないショー
3.枕詞
4.青空、ひとりきり
5.Summer
6.曲り角
7.今年は
8.水無月の夜
9.坂道
10.口笛
11.I氏の結婚
12.もう……
13.結詞
☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚**☆*:;;;:*☆*:;;;:☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*
この作品から、いきなり陽水氏の作風が変化します。
「氷の世界」 で迎えたピーク・・・それは同時に、ごく自然の流れで、以後、下降線を辿ることを意味していました。
「もう、今までの価値観を捨てようと意図したわけでなく、ごく自然にこうなった」
と後年のインタビューで述壊していた陽水氏。
この時期、ビジネス面での大きな転機がありました。
1974年10月の “ホリプロ” からの独立。
そして1975年6月の “フォーライフ・レコード” の設立。
小室 等・吉田拓郎・泉谷しげる とともに、アーティスト主導による新しいレコード会社の立ち上げ・・・“商業主義” を何よりも敵視しながらも、次第にその枠に収斂されていったフォーク界の、最大の “行き着く先” でした。
とはいえ、当初から各々が所属するプロダクションのスタッフが参画しており、けっして 「アーティストがすべてを決定する」 というわけではありませんでしたが。
それでも、音楽業界にとって画期的な試みであったことは事実。
既存のレコード会社からの “締め出し” でレコード盤のプレス工場が確保できず、最終的に “ポニーキャニオン” の製造ラインを間借りする形で、ようやく発足に漕ぎ着けました。
「-私たちに、日本の音楽の流れを変えられるでしょうか-」
発足時のキャッチコピー、最後につけられた疑問符が、その多難な船出を象徴していました。
なお、4人が同席して開かれた発足記者会見で、設立に参加した理由を聞かれた陽水氏の回答は、
「ポリドールに不満は別になかったんですけど・・・アドベンチャーがしてみたかったんです」。
フォーライフ・レコード、第1弾レコードは泉谷しげるさんのシングル 『寒い国から来た手紙』 とアルバム 「王様たちの夜」。
続いて発売されたのが、井上陽水氏のシングル 『青空、ひとりきり』(1975年11月)。
フォーライフからの初のアルバム 「招待状のないショー」 は、1976年3月に発売され、アルバムチャート9週間連続1位に立ちました。
さらにその翌週から、吉田拓郎さんのアルバム 「明日に向かって走れ」 が3週間連続1位。フォーライフ勢が3ヶ月間、アルバムチャートのトップを独占する、上々のスタートでした。
そうした大きな節目と、作風の激変に関連があったかどうかは判然としませんが、アルバム 「招待状のないショー」 は冒頭の 『Good,Good-Bye』 から、いきなり異様な響きを感じさせます。
ごく最近、気がついたことですが、この歌の歌詞・・・ひょっとしたら “こわいこと” を歌ってるのかな、と思ったりして(笑)。
それはさておき、「氷の世界」 での莫大な額の印税で、「何でも好きなものが買える」 状態だった陽水氏、購入した最も高価な買い物は、多重録音が可能な “ティアック社” の4チャンネルのテープ・デッキだったそうです。
それを駆使し、ひとり多重コーラスに夢中になったという陽水氏、アルバムを通してセルフコーラスを多用しています。
また、この 『Good,Good-Bye』、サビのバックコーラスは矢野顕子さんです。
さらに 『招待状のないショー』、『枕詞』 と名曲が並び、極めつけが 『青空、ひとりきり』。
高中正義さんのギター、後藤次利さんのベース・・・ブラスまでが加わるファンキーなサウンドに、シニカルな歌詞が踊る、新しい作風の幕開けを飾る超名曲です。
どちらかを選びがたく、今回は二曲紹介してしまいました(笑)。
はじめの4曲で、もう大傑作という資格じゅうぶんの完成度のアルバム・・・ですが正直なところ、以降の曲はどれもそこそこです(笑)。
もう、長くなり過ぎるのでこれで終えますが、1970年代後半、セールス面では低迷期に入る陽水氏のレコード、しかし楽曲のクオリティは、おそろしいほど進化していきます。
それは次回 「white」 編で。
「招待状のないショー」
井上陽水
古今東西あまり関係なく、みつまめのお気に入りレコードを披露している「このレコ!」、今回は邦楽フォーク&ニューミュージックから、井上陽水氏のアルバムです。
陽水氏の作品に関しては、1st 「断絶」 から発売順に追っていこうと思い立ち、これが第6回目となります。
「招待状のないショー」 (1976年3月25日発売)
1.Good,Good-Bye
2.招待状のないショー
3.枕詞
4.青空、ひとりきり
5.Summer
6.曲り角
7.今年は
8.水無月の夜
9.坂道
10.口笛
11.I氏の結婚
12.もう……
13.結詞
☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚**☆*:;;;:*☆*:;;;:☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*
この作品から、いきなり陽水氏の作風が変化します。
「氷の世界」 で迎えたピーク・・・それは同時に、ごく自然の流れで、以後、下降線を辿ることを意味していました。
「もう、今までの価値観を捨てようと意図したわけでなく、ごく自然にこうなった」
と後年のインタビューで述壊していた陽水氏。
この時期、ビジネス面での大きな転機がありました。
1974年10月の “ホリプロ” からの独立。
そして1975年6月の “フォーライフ・レコード” の設立。
小室 等・吉田拓郎・泉谷しげる とともに、アーティスト主導による新しいレコード会社の立ち上げ・・・“商業主義” を何よりも敵視しながらも、次第にその枠に収斂されていったフォーク界の、最大の “行き着く先” でした。
とはいえ、当初から各々が所属するプロダクションのスタッフが参画しており、けっして 「アーティストがすべてを決定する」 というわけではありませんでしたが。
それでも、音楽業界にとって画期的な試みであったことは事実。
既存のレコード会社からの “締め出し” でレコード盤のプレス工場が確保できず、最終的に “ポニーキャニオン” の製造ラインを間借りする形で、ようやく発足に漕ぎ着けました。
「-私たちに、日本の音楽の流れを変えられるでしょうか-」
発足時のキャッチコピー、最後につけられた疑問符が、その多難な船出を象徴していました。
なお、4人が同席して開かれた発足記者会見で、設立に参加した理由を聞かれた陽水氏の回答は、
「ポリドールに不満は別になかったんですけど・・・アドベンチャーがしてみたかったんです」。
フォーライフ・レコード、第1弾レコードは泉谷しげるさんのシングル 『寒い国から来た手紙』 とアルバム 「王様たちの夜」。
続いて発売されたのが、井上陽水氏のシングル 『青空、ひとりきり』(1975年11月)。
フォーライフからの初のアルバム 「招待状のないショー」 は、1976年3月に発売され、アルバムチャート9週間連続1位に立ちました。
さらにその翌週から、吉田拓郎さんのアルバム 「明日に向かって走れ」 が3週間連続1位。フォーライフ勢が3ヶ月間、アルバムチャートのトップを独占する、上々のスタートでした。
そうした大きな節目と、作風の激変に関連があったかどうかは判然としませんが、アルバム 「招待状のないショー」 は冒頭の 『Good,Good-Bye』 から、いきなり異様な響きを感じさせます。
ごく最近、気がついたことですが、この歌の歌詞・・・ひょっとしたら “こわいこと” を歌ってるのかな、と思ったりして(笑)。
それはさておき、「氷の世界」 での莫大な額の印税で、「何でも好きなものが買える」 状態だった陽水氏、購入した最も高価な買い物は、多重録音が可能な “ティアック社” の4チャンネルのテープ・デッキだったそうです。
それを駆使し、ひとり多重コーラスに夢中になったという陽水氏、アルバムを通してセルフコーラスを多用しています。
また、この 『Good,Good-Bye』、サビのバックコーラスは矢野顕子さんです。
さらに 『招待状のないショー』、『枕詞』 と名曲が並び、極めつけが 『青空、ひとりきり』。
高中正義さんのギター、後藤次利さんのベース・・・ブラスまでが加わるファンキーなサウンドに、シニカルな歌詞が踊る、新しい作風の幕開けを飾る超名曲です。
どちらかを選びがたく、今回は二曲紹介してしまいました(笑)。
はじめの4曲で、もう大傑作という資格じゅうぶんの完成度のアルバム・・・ですが正直なところ、以降の曲はどれもそこそこです(笑)。
もう、長くなり過ぎるのでこれで終えますが、1970年代後半、セールス面では低迷期に入る陽水氏のレコード、しかし楽曲のクオリティは、おそろしいほど進化していきます。
それは次回 「white」 編で。