DEEP PURPLE
PURPLEの最高傑作は勿論「IN ROCK」ですが、
音楽の深みを体感しようと思ったら第1期のベスト盤が便利です。
第1期は、あの時代特有の空気感を内包していますからね。
音楽の深みを体感しようと思ったら第1期のベスト盤が便利です。
第1期は、あの時代特有の空気感を内包していますからね。
で、リッチーは根っからのロックンロール狂でして、それがリッチーの本質です。
ロード・サッチでのリッチーのプレイは凄まじく、60年代にあのギターは驚異的で、リッチーが当時、飛び抜けた傑出した超人的存在であったことがよく分かります。
ロード・サッチでのリッチーのプレイは凄まじく、60年代にあのギターは驚異的で、リッチーが当時、飛び抜けた傑出した超人的存在であったことがよく分かります。
PURPLEの何たるかは、ハード・ロック時代の幕開け“SPEED KING”が象徴しています。
ここには、哀メロ・美メロ・叙情メロはなく、ネオクラ・様式美・構築美・旋律美もなく、あるのは、強烈なロック・リフとアグレッシヴなシャウト・ヴォーカルとの絡みです。
これがPURPLEの根源的な本質ですね。
ここには、哀メロ・美メロ・叙情メロはなく、ネオクラ・様式美・構築美・旋律美もなく、あるのは、強烈なロック・リフとアグレッシヴなシャウト・ヴォーカルとの絡みです。
これがPURPLEの根源的な本質ですね。
日本人リスナーがこだわるクラシック音楽フレイヴァーはあくまでフレイヴァーでしかなく、PURPLEは紛れもない筋金入りのロックそのものですから、ネオクラとは全然違います。
PURPLEはロック、ネオクラはネオクラというこの違いは、ロック・ファンにとってはあまりに大きいですね。
ネオクラ・ファンはPURPLEを好きかもしれませんが、PURPLEファンは別にネオクラに興味が無いってケースが多いのはそのためです。
早い話、イングヴェイ・ファンはリッチーが好きで、リッチーはイングヴェイと同じタイプと思い込んでいますが、リッチー・ファンはイングヴェイが嫌いです(笑)。
PURPLEはロック、ネオクラはネオクラというこの違いは、ロック・ファンにとってはあまりに大きいですね。
ネオクラ・ファンはPURPLEを好きかもしれませんが、PURPLEファンは別にネオクラに興味が無いってケースが多いのはそのためです。
早い話、イングヴェイ・ファンはリッチーが好きで、リッチーはイングヴェイと同じタイプと思い込んでいますが、リッチー・ファンはイングヴェイが嫌いです(笑)。
つまり、PURPLEにはネオクラ・ファンが好きな部分があるため、ネオクラ・ファンはPURRPLEも好きかもしれませんが、ネオクラにはPURPLEファンが好きな部分が無いため、ネオクラに興味の無いPURPLEファンが多いわけです。
これは、同じPURPLEでも、ネオクラ・ファンとPURPLEファンとでは聴きどころが違うということです。
これは、同じPURPLEでも、ネオクラ・ファンとPURPLEファンとでは聴きどころが違うということです。
それゆえ、ネオクラ・ファンからしたら、PURPLEは仲間に見えるかもしれませんが、PURPLEファンからしたら、ネオクラはアカの他人です。
そのため、ネオクラ・ファンがPURPLEをネオクラの元祖であるかのように同類として語るのは、PURPLEファンにとっては、ちょっと違うなぁ~って感じるわけです。
PURPLEはそこやないって言う(笑)。
PURPLEをクラシック音楽うんぬんというフレイヴァーで語ってはいけないということです。
PURPLEはそこやないって言う(笑)。
PURPLEをクラシック音楽うんぬんというフレイヴァーで語ってはいけないということです。