帰宅して日常生活に戻ってしまうと、あれやこれやと雑事に追われて、うっかり旅のブログを書き忘れてしまいそうだ。
需要があるとも思えないが、記録だからね、きちんと最終日まで記しておこう。
さて、木曽路の旅も最終日。
お手製の旅の栞には、AプランとBプランがあった(いや、書いたのは私だ)。
Aプランは、最後まで木曽路の旅を全うし、木曽路の宿場町の中でも一番大きな奈良井宿、ついでに近くのかんてんぱぱガーデンに寄って中央道で帰るコース。
ひっそりと「かんてんぱぱ」のファンなのだ。
Bプランは、そろそろ宿場町にも飽きてしまい江戸情緒はもういいかなということで北アルプスの山々でも眺めて長野道から上信越道で帰るコース。
朝、奥飛騨福地温泉の宿で、貸切露天風呂に入りながらゆっくり考える。
チェックアウトは11時なので、部屋の露天風呂にもまた入る。
贅沢や〜〜〜
朝ご飯。
朝から多いってえ
しかし、瓦の上で焼いた朴葉味噌だけでご飯何杯もいける美味さ!
いや、何杯もはいけないけど。
奥飛騨温泉郷福地温泉「隠れ庵ひだ路」
大変良きお宿でした。
スタッフさんも!
で、チェックアウトぎりぎりまで温泉を楽しんだ我々は、宿場町はもういいかってことで、前にも訪ねている上高地や松本はスルーして安曇野に向かった。
天気も相変わらず良いし、最後に北アルプスの景色でもゆっくりと眺めて帰ろうと。
安曇野にも来たことがある。
夫とは14年前に、天皇杯で松本山雅と対戦した試合を観にきた。
試合の前に安曇野の大王わさび園を見学し、池田町立美術館の素晴らしい眺めのカフェでお茶した記憶があった。
もう一度あそこへ行きたい。
池田町立美術館は北アルプス展望美術館という名前に変わっていた。
コロナ禍にカフェもなくなったらしい。
ただし美術館に入館しなくてもロビーは自由に利用させてもらえるので、しばらく休憩させてもらった。
北アルプスの景色
写真には収まらないのだが、少し雪をたたえた山波が本当に綺麗で、いつまでも眺めていられた。
それから別荘地にあるカフェで軽食をとり碌山美術館へ。
安曇野のシンボルだそうだが、前から行ってみたいなと思っていたのだ。
とてもフォトジェニックな建物だ。
ここは「碌山」という号を名乗る荻原守衛という彫刻家の美術館である。
正直、建物が有名で、どういう美術館かは知らなかった(ごめんなさい)。
明治時代に安曇野の農家の五男に生まれた碌山さんは22歳でニューヨークに渡り、それからパリへ、絵画を学んでいたがロダンの「考える人」に衝撃を受け彫刻に転向したそうだ。
28歳でロダンに教えを受ける。
高村光太郎などの仲間と出会い、欧州各国を美術を見てまわりながら帰国。
新宿にアトリエを開き、芸術家のサロンになりつつあった中村屋に出入りした。
前途洋々かと思われたが、なんと30歳で亡くなってしまう。
中村屋で大量の吐血後、急死したそうだ。
中村屋というのはパンとカレーのあの中村屋だ。
創設者の相馬愛蔵さんが安曇野出身で、そもそも碌山さんが美術の道に入ったのは、その新妻の相馬黒光さんが安曇野に持ち込んだ油絵に啓発されたからということだ。そして、その黒光さんへの叶わぬ恋心が名作を産んだ。
なかなかドラマティック!
と、思ったらテレビドラマにもなっていたみたい。
私は美術には全く造詣がないが美術館に行くのは好きな方だ。
美術品を観るのは、あまりわからなくても楽しい。
でも、実は芸術家の年表を見るのが一番好きかも知れない。
芸術家の一生を知るのはとても面白い。
碌山さん、なんてはかない。
もっと長生きしていたら、もっともっとたくさんのすごい作品を産み出していたことだろう。
中村屋のあんぱん大好き。
あの中村屋にそんな歴史があるのもとても興味深い新知識だ。
そんなとても面白かった碌山美術館を後に家路に着いた。
帰ってから自分らへのお土産に買ったものを並べる恒例行事。
煎餅各種、乾燥菜の花、柚きのこ味噌、朴葉味噌、諏訪湖名物「くるみやまびこ」
諏訪出身の同僚によくいただいた「くるみやまびこ」大変お久しぶり〜
おしまい
長々と読んで頂いた方には、誠にありがとうございました🙇♀️
さ〜て、これから試合だー。