仕事もしていないので、何の用事もなく一日家に篭っている日が週に3日くらいあるだろうか。

一日家にいても、本を読んだり、サッカー関係の記事やYouTubeを見たり、ピアノを練習したり、ネットサーフィンしたり、溜まったメモやスクショしていた記事やなんかをノートに写したり、ブログを書いたり、体操やストレッチをしたり、と家事以外にもやることがたくさんある。



だから、テレビを見る時間があまり取れない。

何か別の作業をしながら耳だけで聞いていて、気になったら眼鏡をかけてテレビ画面を見ることもある。ながら見。

それでも、朝ドラと再放送の朝ドラ(今なら『まんぷく』はだいたい見る。

何年かに1回はあまりにも面白くなくて離脱するが。



それ以外に、連ドラを毎シーズン2〜3本は面白そうに思って見始める。

ほとんどは録画で、暇な時間に。

今シーズンはやはりクドカンの「不適切にもほどかある」が最高かな。

他にドキュメンタリー番組や、旅番組、ブラタモリなんかも見るし、SONGSやThe Coversなどの音楽番組も。



時間が取れないと言いながらどんだけ見てんの⁇ と言われちゃうかなニヤリ



そこにBSTBSで再放送が始まった「想い出づくり」が加わったのでホントに大変。

テレビ視聴に追われている感じ💦

私と同世代の人なら記憶にある方も多いと思うが、1981年の秋にやっていた山田太一書き下ろしのドラマ。

裏番組に倉本聰の「北の国から」の最初のシリーズがあり、当時は録画できなかったのでどちらを見るか悩んだけれども、年頃の私はより身近な「想い出づくり」を見ていた。

友達もみんな見ていて、会うとその話でもちきりだった。



古手川祐子、田中裕子、森昌子の3人のいわゆる「適齢期」の女性が、結婚だけが人生なのか?とか(でも実は結婚はしたい)、結婚までの想い出が欲しいともがき悩む話だ。

原作の『ゆれる24歳』も読んだ。



当時20歳前後だった私たちは、少し年上の等身大の女性像に共感したものだった。

今では「適齢期」なんて死語だろう。

ザンフィルという名の奏者が奏でるパンフルートの音色と美しい音楽が、ドラマに哀愁を加えていた。

森昌子の相手役の加藤健一さんは、その頃私が大好きだったつかこうへい事務所の看板役者だったので、彼の役どころも面白くて本当に毎週楽しみにしていた。



先日亡くなった山田太一さんの台詞が、丁寧でリアリティがあって胸に刺さることが度々あった。



40年以上たった今、ネット配信でもやっていただろうに初めて再放送を見ている。

アラカンのおばさんになった私が、20歳の頃に戻った気分になって、「わかる〜、わかるよ〜」と思いながら見るのだ。



パンフルートの印象的なメロディを聴いただけで、当時住んでいた4畳半のアパートが鮮やかに浮かんでくる。

アパートの感じがまたね、古手川祐子が住んでいるアパートが同じ匂いがするのよ。



放映日は絶対に用事を入れずに必ず家に帰った。

最終回が放送されたのは冬休みで帰省したいた時だった。

高校時代の担任(独身男性!)と何人かで飲みに行っていて、先生に個人的に2次会にも誘われたがびっくり私は最終回を何が何でも見たかったので、無理でーす!と断ってタクシーに乗って帰った。



もしも最終回を投げ打ってあの誘いに乗っていたら、別の人生があったかも知れないしなかったかも知れない笑い泣き

そんなことを思いながら今日も見た「想い出づくり」

振り返ってみれば、私も結婚前にそんなにたいした想い出もできなかったが、それを不幸に思ったこともないな。

それ以降の人生、想い出だらけだよ。





ネットよりお借りしました🙇‍♀️