[4575]ワイマール時代のアインシュタインへの誹謗中傷、およびアインシュタインの応答
第一次大戦後ドイツの敗北が、すべての偏見の源であるとみなされていた将軍連と大地主たちとの支配の倒潰をもたらした時には、多くの人々はユダヤ人に対する差別待遇の時期はもはや過ぎ去ったと考えた。しかしながら実際には、権利の喪失は、これらの階級の間に根深い忿怒の感情を捲き起こした。人間というものは、破局が自分自身の弱力によると信じている限りは諦め切れないものである。結局、彼はその責を誰か他の者に負わせようと試みる。打倒された支配者たちを支持する人々は、その敗北は軍事的な劣弱さによるのではなく、ユダヤ人によって指導された国内的叛逆によるものであるという考えを拡めた。この見解が拡まったために、ドイツではユダヤ人に対する極端な憎悪の感情が起こった。このような感情は、教養ある階級のなかにさえ相当に広く拡まっていた。しかしかかる感情はまったく道理をわきまえぬものであったので、ユダヤ人にとってはますます危険であった。彼らは、どんな議論によってもこれを斥けることはできないし、その行動をどう変えてもこの憎悪から逃れることはできない。
しかしながらドイツにおけるユダヤ人の多くは、この事態を理解していなかった。そこで彼らはあらゆる種類の擬態を示して、自分たちへの注意をそらそうと努めた。最もおだやかな形では、敗戦の責任を、社会主義者たちの愛国心の欠如にあるとしてこれをそらそうと試みた。また多くのものはさらに進んで、ユダヤ人にも区分があることを強調し、その「悪い方」のグループを非難した。昔からドイツに住んでいるユダヤ人たちは、その弱点をすべて、東ヨーロッパから移民して来たユダヤ人に負わせてしまったのである。そのなかには、択り好みと一時的な必要によって、ポーランド、ロシア、ルーマニア、ハンガリア、そして時にはオーストリアからさえ来たユダヤ人も入れられた。よく知られているように、ヒットラーがオーストリアからやってきて、ユダヤ人に対する彼の迫害を始めた折に、ドイツの大学におけるユダヤ人の一教授は次のようにいっている。「われわれは、ユダヤ人に対する彼の見解に対して、ヒットラーを責めることはできない。オーストリアのユダヤ人に関する限り、彼は正しいのである。彼がもしドイツのユダヤ人をよく知っていたならば、彼はわれわれについて、かかるつまらぬ意見をもつことは決してなかったであろう」。この言葉は、一部のドイツ・ユダヤ人たちの感情を思い切ってよく表わしている。(後略)
フィリップ・フランク著 矢野健太郎訳 岩波現代文庫『評伝 アインシュタイン』より(P241からP243)
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