¡Que será, será! -2ページ目
こんばんは!mnr0oooopsです音譜


今日読んだ本はこちら
なぜメルケルは「転向」したのか-ドイツ原子力四〇年戦争の真実/日経BP社

¥1,680
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学校の図書館で見つけ、ファーストインプレッションで手に取り一気に読み終えた本です!
だって…表紙かわいくないですか?メルケルさん似てる…

まぁ表紙がかわいかったのも正直選んだ理由のひとつですが(笑)、
私がこの本に興味をもったのは「メルケル」「原子力」というふたつのフレーズです。

メルケルさんは言わずと知れたドイツの敏腕女性首相。私が尊敬する女性のひとりです。
米国TIME誌でも、世界で最も影響力のある人100選に選ばれています(The 100 Most Influential People in the World: Angela Merkel)。

「原子力」については、去年度履修した「環境問題と国際関係」という授業の後期でしばしばヨーロッパの原子力産業が話題になっていて、
その頃から何となく興味は持っていたけれど、何だかんだ文献にはあたれず仕舞い…という感じでした。

なので、二つの興味のある分野が重なってまさに私得!な本だったわけです。

まぁ後者の原子力というところについては、あくまでドイツにおける原子力産業のおはなしなので全般的なカバーはしきれませんが、
足がかり的なものになればいいかなーと思い、読んでみました。

ひとことで言うなら非常に読みやすかったです。ドイツ初心者にも易しい文章。
こういう文章書く方はどんな人なんだろうって思って著者の熊谷氏についてググってみました。

著者について。この本の著者は、在独ジャーナリストの熊谷徹氏。
この方の著作は今回初めて読みましたが、本当にドイツの内情をよくご存知の方なのだと感心しました。

日本に生まれドイツで働くという、氏が言うところの「マージナル・マン(境界的人間)」の立場から、
ドイツと日本の共通点・相違点を大変分かりやすく洗い出しています(後述)。


この本は、それまで原子力発電肯定派であったメルケル氏が、フクシマを機に「それまでの自分の考えは誤っていた」と潔く自分の非を認めた上で脱原発に「転向」したことについて
・ドイツ原子力四〇年戦争という背景
・ドイツ人の国民性
の(大きく分けて)二つの観点から理由を分析しています。


私が特に面白いな、と思ったのは後者の「ドイツ人の国民性」という観点について。

氏によれば、ドイツ人は(比較的)悲観的で常に最悪の事態を想定しながら生きている節があるそう。これは過去の歴史の教訓(とくにナチ時代からの反省の影響)や、寒冷な気候の影響が大きいとのこと。

さらに、私の興味を引いたのが「不安を探しながら生きている」という一節。
この本は図書館で読み切ってしまい、借りてこなかったので、今本からの正確な引用はできないのですが、
要約すると、東西統一後多くの困難を乗り越えながら、今日ドイツは政治的・経済的にヨーロッパ随一の強国になり、治安のよい国家になったのですが、
国家として不安がなくなればなくなるほど、不安を積極的に見出そうとするようになっていったのです。

……上手く説明しきれていないので例を挙げてみます。

例えば今日日本における「危機」といえば経済、政治などなど様々ありますが、どれも命にかかわる「危機」ではないですよね。
しかし紛争地域等の住民にとっての「危機」は、まさに自らの生死をかけた「危機」なわけです。

このように、人間というのは安全で豊かになればなるほど「危機」認識のレベルが高度というかシビアになっていくのです。

ドイツの脱原発についても、「日本における原発問題→我が国は安全のため即刻脱原発すべき!」という「不安」の提示は、
原子力四〇年論争も背景にあったことからドイツメディアにとって実にやり易いことだった、という訳なのです。

「不安の提示」をすれば「不安の存在」を積極的に探しているドイツ国民からの視聴率が取れるという訳です。

そして国民が動き、政府が動き…
連邦制を敷いていることにより国民から政府の風通しが良いことも、今回の意思決定の速さにおけるひとつの要因だったようです。




ちょっと長くなってしまいましたが、ハードカバーの本にもかかわらずすっと読めるのでオススメです。2時間位でササっと読めます。

ドイツに興味のある方もそうでない方も(笑)、ぜひどうぞ音譜
お久しぶりのブログ更新です。mnr0oooopsです。
本当に久々にAmebaにログインしたのですが、何も更新してなくても100pv/weekくらいいってるんですねこのブログ。びっくりです。


さて当方実は大学3年生です。
院に行く気も公務員他各種試験を受ける気もないので、いわゆる就活生という身分にあります。
最近はSPIの勉強とかもこっそり始めていますが、出来な過ぎて凹む日々ですはい。
Webテなのでいくらかお支払いして優秀な方に頼む人もいるそうですが、私はそういうことしたくないんで、地道にお勉強するしかない訳です。
あっ、そういう人たちを否定している訳ではありません。人脈も就活の大切な要素の一つですからね、決して否定はしませんよ。私はやりたくないという、そういうだけの話でございます。


さてそんな就活で避けてもとおれないのが「自己分析」。
そこでこのブログを利用しようという魂胆なのです。

まぁ簡単に言えば自己分析で言うネタをここに書いて、自分自身振り返ってみようっていうそういうことです。文章にすると自分の頭の中もすっきりするのでねー。

読書の秋ということで最近本もかなり読んでいるし、書評記事も更新したいのですが、余力がないというのが正直なところですあせる
明日は祝日でバイトがないので、明日にでも一冊(一記事)更新したいです。


***
記事の本編に入ります。

自己分析の最初のネタということで、何を書こうかなぁと考えたのですが、
やっぱり最初は私の人生には欠かせない、ピアノについて書こうと思います。

ピアノは私の唯一無二の恋人です。
家族でも友人でも彼氏でもない、私の大切な存在です。4歳の時からずっと一緒にいました。
誰にも絶対言えないことも、ピアノになら言えます。そういう仲です。

…と擬人化して書いていると私が怪しい人に思われそうですが、私としてはそういう感覚なんで、勘弁してください。

ピアノは私に3つのgiftをくれました。
(…「ピアノを通し私は主に3つのことを学びました」とでも言うべきところなのでしょうが、私としては以下略。)

1.音楽的素養
2.根性
3.自己表現


以下、それぞれについて書いてみたいと思います。


1.音楽的素養
言うまでもありませんが、私が音楽的素養を身に着けたのはピアノがあってこそです。
具体的には楽譜の速読や絶対音感など。

音楽で食べていく訳じゃないんだから音楽的素養はつける意味がないんじゃないかと言われるとそうでもなくて、
例えば私がすごく興味を引かれて勉強している言語なんていうのは、音やリズムに魅かれたのがきっかけですし、
音楽の楽しみを知ったことで吹奏楽部を選んで青春できましたし、
音楽を通してたくさんの人とお友達になれた訳です。

あとは高校の短期留学時に本当に英語が喋れなくて参っていた時も、
ピアノを弾けばたくさんの人が話しかけてくれたり、初対面で喋れないくせに初対面の人とピアノ連弾は出来たりして、
「音楽は国境を越える」ということをリアルに体感したりもしました。


2.根性
これはもう今更言うまでもない気がしますね。
私の座右の銘は「継続は力なり」で、もう他人にアピールできるポイントなんて「根性」しかない人間なんですけど、
そんな「根性」を叩きこんでくれたのがピアノです。

私は某ピアノレッスンの専門コースというところにおりまして、かなり厳しい(先生がスパルタとかではなくやるべきことがものすごく多い)レッスンを受けていました。
専門コースに入るには推薦状+試験通過が条件なので、周りの子は皆私の2~3倍は優秀で、そうするとのろまな私は追いつくためには周りの2~3倍練習するしかない訳です。

もう何度も何度もやっても出来ない自分が嫌になる日々でした。
パッセージひとつクリアして喜ぶのもつかの間、次のパッセージ。一曲クリアして喜ぶのもつかの間、次の曲。
もうとにかくこのコースのカリキュラムが尋常じゃない早さで、ついていくのに精一杯でした。
嫌なら辞めればいいものの、なぜか結局最後まで辞めませんでした。最早意地だったと思います(笑)

ここまでピアノを頑張るとはいえど、私だって学生。しかも音大生とかではないのでピアノ以外にやることもいっぱいあります。
ええ、ピアノ以外も頑張りましたよ。勉強も部活も。運動部じゃなかったんで運動はからきし出来ないですが。

さっきから言っているピアノからのgiftの「根性」のすごいところは、
ピアノを頑張る「根性」とか、ピアノ以外のことを頑張る「根性」だけじゃなくて、
あらゆることを両立する「根性」と、忙しいことを言い訳にしないという「根性」もくれたってところです。

「根性」って打ち過ぎてゲシュタルト崩壊してきた(笑)
「負けん気」と言い換えてもいいかもしれません。

とにかく、言い訳しない。
努力を怠ることを多忙のせいにしないし、多忙で出来ないことはヒマになってもやらない。
やりたいことやるべきことの取捨選択を、すべて自分の責任において自分で意思決定する。そして決めたことは何が何でもやり通す。
自分に負けない。自分との約束を破らない。

こういう姿勢って、ピアノやってなければ絶対になかったなーと思います。

ちなみに余談ですが、私のピアノ生活において、私本人より根気強くやっていたのが私の母です。
当時の私にとってはスパルタママだけど、母側にしてもスパルタママ演じるのって本当に大変なことなんですよね。もともと温厚な人ですし(ピアノの時以外は本当に優しかった)。

そりゃあ愛する娘(笑)に、泣かれたり不貞腐れられたりして心地いい気持ちのする母親はいないってもんです。
母曰く、「ここで辞めさせたら将来超えるべき壁が来た時にすぐ諦める子になってしまうと思った。ピアノでも何でもいいけど、何かをやり通せる子になってほしかった。私自身真剣だった。」だそうです。

身内をあんまり褒めるのも如何なもんかとは思うのですが、私は自分の母親を堂々と褒めたいですね。

この母すごい。

すごすぎて思わず改行までして強調して褒めちゃいました。私もこんな母親になりたいものです。
母は、「母」としてもひとりの一個人としても私がとても尊敬する人で、憧れの女性像のひとつなので、また別の記事でしっかり書けたらなぁと思います。


3.自己表現
私は人に何か自分を表現して伝えるのが大好きです。

人前でのプレゼンとかだいすき。そりゃあ緊張するけど、自分の話を時間を割いて聞いてくれる人がいるってとっても嬉しいしわくわくしますね。
こんな性格なのでバイトは集団の塾講師です。大変だけど実に楽しいです。生徒の「分かった!」て顔がだいすきですね。

何を言いたいかというと、自分のことを相手に表現する、またその反応を味わう
この楽しさを教えてくれたのがピアノな訳です。

へたくそでも何でも、自分の演奏に拍手をくれる人がいる。
あと毎年同じコンサートに出てるとリピーターが出てきて、3年目以降くらいから「mnr0oooopsちゃんの演奏本当に良かったよ」ってわざわざ言ってくれる人もいたりする。

自分の意見を言ったり、自分を表現したりっていうのが割と憚られる日本社会、それも女性という立場にあっても
「あっ言いたいこと言っていいんだ。弾きたいように弾いていいんだ。それを認めてくれる人がいるんだ」
ていう感覚を教えてくれたのがピアノです。

それが分かった具体的な節目とか言うのは特にないですし、あったとしても覚えていません。
ですが、自己表現の楽しさとか自分の発信に対するレスポンスの嬉しさとか、そういうコミュニケーションの根幹を知れたのはピアノのおかげです。

昨今いじめ問題とかが問題になっているけど、私は音楽教育をもっと積極的に行っていけばいじめは減るんじゃないかなぁと思っています。
健全なコミュニケーションとか、切磋琢磨できる競争とか、そういうことを学べると思うんですよね。

ちなみにこのことに関して、
スポーツをやっていた人は「スポーツマンシップを学ぶことでいじめはなくなる」といい、
ペットを飼っている人は「ペットを飼うことで命の大切さを知りいじめはなくなる」というそうです。
…私含め、皆好きなことの主張したいだけなんですかね(笑)


***
さてー、長くなってしまいましたが今日はこの辺にしますかねぇ。
長くなってしまいましたが、全くもって語り足りません(笑)

…ピアノについて一記事で語ろうと試みるほうがバカでした……(゜д゜;)
どうもこんばんは!mnr0oooopsです。

先日のブログ記事で、プレゼン担当に当たった回ではプレゼン内容をここにまとめるという宣言をした私ですが、
実は今日のSmily勉強会で1分間スピーチで一位(221/225点満点)をとってしまいまして(てへぺろ☆)
すごくメンバーからの評判が良かったので、今日は私がスピーチで話したことについてここに書きたいと思います音譜
(とは言っても二位以下をとったことはありません☆てへぺろ)


えー自慢はさておきですね、今日の私のスピーチのテーマは「気付いた時に直す」でした。
「自分の悪い癖は、気付いた時に直したほうがいいよ!」ということを伝えたのですが、その際に用いたエピソードが、今日の記事のタイトルである靴底修理という私の実体験です。
(この記事に書く際には1分という時間制限がないので、実際にしたスピーチより詳しく描写しようと思います。)



先日私は靴底がすり減ってきていた靴を修理に出しました。
その靴というのが、普段からバイトで愛用していた黒のパンプスです。私はこの日試験監督バイトの帰りで、その靴で10時間弱立ちっぱなしだったのでへとへとになっていました。

「あのー、すみません。こちら、出来上がりました。」
すごく申し訳なさそうに声をかけてきたのは、修理屋さんの店員さんでした。私はあろうことか、修理に出した後お店の前のソファで待ってる間、眠りこけてしまっていたのです。

(そりゃあ、今日一日立ちっぱなしだったもんなぁ…)
などと、言い訳にならない言い訳をひとり考え、お勘定をし、お借りしていたスリッパをお返しして、修理後のパンプスに足を通しました。

なんということでしょう!(※某有名ナレーションをイメージしていただければと思います(笑))
さっきまでの脚の疲れが嘘のように消えていきます。見える景色も違っていました。
背筋もしゃんとして、先ほど前の疲労感もどこかへ消えてしまっていました。
まさに、一足の靴底修理が私の世界観を変えたのです。

たかが靴底でこんなに変わるものなのかと気になった私は、帰りの電車の中で早速靴底のすり減り方についてググってみました。

すると、私は
・自分がいままでがに股歩きをしていたこと、
・そのために腰やひざに負担をかけるような歩き方になってしまっていたこと、
・ずっとそのような歩き方をしていたために、靴底ががに股歩きをますます助長させるようなすり減り方をしていたこと
がわかりました。

がに股歩きは見た目も美しくありません。
私は早速がに股を直そうと日々の生活の中で心がけました。

最初の二週間ほどは本当に難しかったですが、次第に意識せずともつま先を真っ直ぐに向けて、立ったり歩いたり座ったり出来るようになりました。
すると、疲れにくくなるばかりか、背筋が自然とまっすぐになることで、以前に比べ心なしか自信を持って行動することが出来るようになりました。

しかし私ががに股だという意識を持つのは、実はこれが初めてではありません。
実は私は幼少期から、母親に口を酸っぱくしてがに股を直すよう言われてきていたのです。
しかし、その度に「面倒くさい」などの理由で直してきませんでした。

もし私が当時素直にがに股を矯正していたら、子供の頃から正しい姿勢でいられたのにな…
と今になって少し後悔します。

なのでこれからは、他人に指摘されたり自分で気付いた悪い癖は、その都度直すようにしたいし、皆さんにもそういう心掛けでいてもらえると嬉しいです。


…ということを話しました。
多くのメンバーが「自分も今後、悪い癖はすぐ直すようにしたいと思った」と言ってくれました。
「私の発言が、聴いている人の意識を変えた」ということはすごく嬉しかったです。


今日の嬉しさを糧に、これからも発信力を鍛える勉強をしていきたいと思った一日でした\(^o^)/ドキドキ