¡Que será, será!
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こんばんはmnr0oooopsです。

今日から新しく「tweet log」というカテゴリを作りました。
私は定期的にtweetを消去するようにしてるのですが、残しておきたいと思ったtweetはここにコピペして、ログとして残しておくようにしようと思います。

今日は、「フェミニズムをどう考えるか」について連ツイしました。


<連ツイ>

私の知っている人には男性に貢がせることによって生計を立ててる女性もいる。そのかわりに彼女は絶対に「男女平等」みたいなことを訴えない。劣位に立ち、屈服することを代償に「オンナの魅力」をフル活用して生きているからだ。

私はその生き方を否定しないし、かといって共感しないしそんな能力もないので真似しようとは思わない。男性と対等に働いて稼いで生きていこうと思ってるし、女性だけど学びたいと思ったから大学通ってる。

何が問題かって、場面場面において自分の権利ばかり主張する卑しい女性が社会に溢れてることが問題なんだろうな。そら男性の共感得られないよ。選挙行かずに政治批判する成人並に滑稽だよ。

そういう女性を見ると、同じ女性としてほんとに厭になる。あと声高に「男女平等」だけを叫ぶ女性も。後者は一見良いことをしてるようだけど、「オンナの魅力」で生きてく女性の存在を完璧に無視してるし自分の事しか考えてない。「世の女性全てが私の味方!」て信じきっちゃってる。

では「フェミ」はどうあるべきか。私の個人的な考えだけど、女性が女性であることを言い訳にしない、かつ女性が女性であることを理由にやりたいことを断念することがないようにしていくのが、本当の意味での「フェミ」だと思うのです。まる。

そういう意味では、私がRTしたフィフィさんのtweet(※1)は若干極論すぎかなぁと思ったり。でも本当に、権利ばかり主張する卑しい人は女性に多いと思う。ロジック破綻も甚だしいんだよね。そしてそれを受け入れる社会も社会だし。

女子大に通ってるとね、よくこういうこと考えるんですよ。特に私は「津田流フェミニズム」(※2)には疑問を持ってるクチなので。 ということで連ツイ失礼しました。でもこういう話題、すごく興味あるの。議論してくれる人、募集\(^o^)/(笑)


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<補足>
(※1)mnr0oooopsがRTしたフィフィさんのtweetコピー
いつの時代?最近の女性は一歩引かずに我儘放題じゃん。そりゃ男も嫌気がさすよ。RT @yugi222000: 一歩引く美しさとか、国民性の違いでもあるので、いいか悪いか別の問題とも思います RT @FIFI_Egypt 日本女性の向上心の無さはよく外国人女性の間で問われてます。

世界には選挙権の為に戦う女性達もいるのに、権利や義務を行使せず、事ある毎にジェンダーやフェミを口にするこの国の女性は単なる甘えだと世界から言われても過言ではないかと。RT @koki715 この時代に男に生まれたら 女の人からしたら性差別みたいな事を男はいつも言われてる。


(※2)mnr0oooopsが考える「津田流フェミニズム」
女性が教養を持ち学んだり、いわゆる「バリキャリ」として社会にインパクトを与えることこそが至高とする考え方。男性を仮想敵化し、男性に対して追いつけ追い越せを推奨している。
mnr0oooopsは、このようなフェミニズムには二つ問題があると考えている。
第一に、先に述べたような、自分を男性より劣位につけることによって生活することを自ら選んだ女性の存在を無視していること。第二に、男性を仮想敵化することは、要するに「女性は今男性の劣位に立たされているのだからこの状況を是正すべき」と主張していることに等しく、大きな主張の矛盾があること。
今日、2012年11月20日は私の21歳の誕生日でした。
色んな人に「おめでとう」って言ってもらえてとても幸せでした。

20歳の一年を振り返ると「原点回帰の一年」だったなって思います。
就活を控える3年生になったこともあって、自分の過去・現在・未来や、そもそも自分とは何なのか?そういうことについて内省することが増えたように思います。
高校まで自分が持っているアイデンティティの主要素であって、大学に入ってからあまり触れることがなくなってしまった「ピアノ」にも、20歳から向き合い直しました。
授業で読むべき文献とは別に、様々なジャンルの小説をたくさん読むようにしました。

また、《卒論》という大きな山を目前にゼミがいよいよ本格化してきたこと、自分が外国語の授業をいっぱい取ったこともあり、大学に籠ることが19歳の時より増えました。
そういえば2011年の11月20日は、3年ゼミのゼミ選考エッセイを一生懸命書いていたんですよね。あれから一年かぁ。懐かしい。

「家族」という存在にも、今まで以上に向き合いました。
18歳の4月から上京した私ですが、20歳の1年間はどの1年よりもいっぱい地元にいて、家族との時間を最優先にスケジュール調整をしていました。

地元といえば、地元の友達とたくさんの再会を果たしました。まぁ成人式があったから当然なんだけど(笑)
そういう昔馴染みとたわいないおしゃべりを交わすのも、自分にとっては大切な時間です。


***

19歳、そして2011年はとにかくひたすら動いていました。

学生団体の代表もやりました。「今この人と会って話すべき」と考えた時は、東京の片田舎から2時間以上かけて、関東圏ならだいたいどこへでも飛んでいきました。
奨学金は月3万借りていますが、ほとんどが交通費と交際費に消えました。今でも「悪い使い道でなかった」と自信を持って言えます。

塾講バイトで生徒に本気で向かい合いました。全く赤の他人である中学生の人生に踏み込んで、一緒に本気で戦いました。

実際自分は19歳の一年で、たくさんの貴重な経験をし、たくさんの成長をさせてもらったと思っています。周囲からの評価も着実に上げました。

それを糧に、その栄養を基に、腰を据えて自身を熟成させる。それが私の20歳という一年の課題でした。

実際、私はそれが出来たのか?


***

結論から言うと、甘かったと思っています。
もっともっと、本気出せた。19歳の頃に比べて「頑張ってた」って胸張って言えない気がする。

周りから「あなたらしくない」と言われることも増えました。特に19歳時代に知り合った人たちに。
その度に「自分らしさ」にもやもやしていました。
反論することもあったし、実際自分が反論したいと思う自分なりの主張もあったんだけど、半分くらいは頑張れていない自分への逃げだったのかもしれませんね。


頑張りきれなかったことは事実なんだけど、でも駄目なことだけではない1年でもありました。

しっかりどっしり考える時間を増やしたことで、自分がいかに幸せな人間かということを改めて知ることが出来ました。
そして、そんな自分のささやかな幸せとか、自分の大切な人の笑顔を守りたいなと思えました。守りたいものが出来たことで、今までより強い人間になれたと思います。

すべての「やるべき」事柄に、理由づけができるようになりました。
結果、比較的モチベーションを維持して継続して物事に取り組めるようになり、
また、「今何をやるべきか、やりたいか、それはなぜなのか」考え、取捨選択のできる人間になりました。

とってもきらきらした20歳の過ごし方だったと思います。
決して刺激的な1年とは言えなかったかもしれないけど、でもほっこりとしたあたたかさと多幸感にあふれた毎日でした。


***

この1年を受けて、21歳の1年をどうしていこうか?

まず、守りたいと思える幸せを実感できたことは、20歳の最大の収穫だったと思っています。
いや、人生における収穫といっても過言じゃない。
この軸は絶対にこれからも大切にしていきたいですね。感謝を忘れない人間でありたい。

それから、内定を取ることですね。急に現実的な話題ですが。
就活で自分を成長させることができたという声もよく聞くので、そういった自己成長もちびっと期待しつつ、行く先々で出会うであろう人々との出会いに感謝しつつ、
「自分はこの企業を通じて社会貢献をしていくんだ」という企業と出会えたらと思っています。

卒論も語学も、引き続ききちんとやっていく。
やるからにはしっかりと。

ひとことで言えば、「学生生活を〆る」一年にします。
将来、交友、学び、全てにおいて後悔のない一年にします。

マニフェストみたいになっちゃったw
以上!w
カテゴリに悩むけど、とりあえず「自己分析」に入れてみた。

けど、書いてみて思うけど、これは純然たる「愚痴」ですね(笑)
それでもよければどうぞ。


















最近ね、
「あなたらしくない」
て言われることが増えたよ。

あとは
「あなたの能力ならもっと上を目指せるのに、もったいない」
とかね。


自分の言動にコメント頂けるのは有難いことだと思うし、
他人からの意見は自分で咀嚼しながら参考にして、必要に応じて吸収していきたいと思ってるんだけど、
私は上のような一言ひとことに、すんごくもわもわもわ~~~~~~っとするわけです!


まずそもそもさ、あなたの定義する「わたし(=mnr0oooops)らしさ」って何だよ?

すごく綺麗なこと言ってるみたいだけどさ、
それってあなたからわたしへの「わたしらしさ」の押し付けだと思うんだけど?

他者からの評価に学ぶことは多いと思うけど、
わたしはそれを鵜呑みにして、他者の「わたしらしさ」の枠に合わせたくない。

だって絶対つかれるもん。
本来と違う枠にがんばって入ろうとすることは、自分の精神にとって不健康だと思うのね。

わたしは、そんなよくわからん「わたしらしさ」の枠に縛られずに、
わたしがわたしとして、「人間らしく」、心赴くときめくものに生きていたいの。

わたしが好きなものも、大切にしたいものも、ときめくものも、
全部「わたし」が決めるの。

そうやって意思決定した責任はぜんぶ「わたし」が取るんだから、邪魔しないでくれる?



あとはね、「もったいない」とか。笑っちゃう。

わたしはね、自分のキャパシティを拡げる鍵は、
「何をやるか」じゃなくて「どう取り組むか」だと思ってる。

「これをやったら絶対成長する」なんてもの、ないんだよ。
どんなことにも、「こんなちっぽけなこと、自分には物足りない」なんて、ないんだよ。どんなことでも、やり方次第でいくらでも自己成長はできるんだよ。


私は大学2年のとき学生団体の代表をやってて、実際自分はその経験からかなり成長できたと思うけど、
学生団体の代表やってたって言うと周りからは「すごーい」って言われるけど、
学生団体の代表やってたからすごいんじゃないんだよ。
それを通して自分がどんな「すごい自分」、今まで自分が出会ったことのない自分に近づけるか、なんだよ。

世の中に存在するあらゆること(仕事・役職・事柄etc)の価値を、世間の尺度やステータスに照合させて、
「わたしはこっからここまで。こっから下も上もやんない。ここがわたしの能力」
って決めてる人のほうがわたしは「もったいない」と思う。

ああああああああああああああああ...
大体上とか下とかなんだよ。「下」とされることを誇りを持ってやってる人にもそれ言えるの?
世の中ナメすぎだと思うんだけど。


「わたしの能力」って、誰が決めるんだよ。他でもない「わたし」でしょう?
やる前から、知る前から、一丁前に選り好みばっかして、それを他人に押し付けてばーっかみたい!












でも。でもね。

こうやって他人の言うことに反論してみても、
こうやってブログに書いて、見も知りもしないだれかさんに、この反論を聞いてほしいって思ってるんだよ。

「ばーっかみたい」って言いながらも、言われたこと気にしちゃってるあたり、
わたしはわたしの「自分軸」がまだまだ甘くて、かんたんなことで壊れうるものなんだと思う。

わたしの軸は、上にも書いたけど、自分の心のときめき。

なんでだろうね。自分が心ときめくものは、自分がいちばん自信をもっていることなのに。

こうやって他人に言われること気にしてる自分に気付くと、
自分が今わくわくしてると思ってるものは自分が心からわくわくしてるものじゃなくて、
意識的に「これがわくわくするものだよ」って押し付けられてるものなんじゃないかなって思っちゃうんだよ。
本当に惚れこんだら、周りなんか見えなくなるはずで。今までもそうだったし。

自分がわくわくすること・ときめくことに正直であること、
そこがわたしの取り柄なのに。

なんでだろ。真面目過ぎるのかな(笑)



でもこうやって揺らぐことって、多分悪いことじゃなくて、
寄り道のなかにきらきらしたものっていっぱいあって、
振り返ってみたら寄り道しなきゃゴールに着けなかったな~って、そんなもんだと思うんですよね。

だってこういうことって公式も、絶対的正解もないから。



なんだかそんな感じ~。今日は、もやもやを抱えながら、もう寝ます。
おやすみなさい。