イタリアのテレビドラマ「ピノキオの冒険」(1972年)全6話を観直した | 恋着、横着、漂着 遊び盛りゆるゆるのびのび60代

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2年早く退職して機能と効率のタガを外すことが出来ました。
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 アマゾンでこのDVDを買ったのは2019年の5月だった。送料込み2000円しないという安値で、音声も字幕もイタリア語のみ。しかし、物語は知っているから、会話の端々が不明でも充分観賞できる。

 買った当時、さっそく同好の士とオールナイト上映鑑賞の場で通しで観たことがあった。

 作品については、監督があの「ブーベの恋人」や「パンと恋と夢」のコメンチーニ。妖精があのロロブリジーダ。ピノキオ役の少年もゼペットじいさんもズバリ適役。その他、あれこれあるんだが、とりあえず割愛。

 

 で、日付が変わったので、昨日になるんだが、夕方から、途中休憩を入れて通しで観た。

 原作と違って、主人公のピノキオは、ほぼ全篇を通じて人間として行動する。人形に戻るのは、いたずらが過ぎて妖精からのおしおきを受ける時だけである。

 したがって、常に少年が主人公のドラマになる。

 「ピノキオ」という設定を外して観ることも可能である。事実、私はいつのまにかそう観ていた。

  

 貧しく独り身のゼペットの処へ少年が現れる。ゼペットはこの少年を我が子として愛する。

 しかし、少年は学校教育をはじめ、大人による強制が嫌いである。だから、そこから脱出し逃げる。それに、そもそも少年にとっても、世間の様々な誘惑は実に魅力的だ。もともと生命力の強い彼は、ゼペットの愛情は感じつつも、いつのまにか離れ、世間を渡り歩いてゆく。当然、彼を騙し、食い物にする大人たちもいる。その荒波も彼は乗り越える。

 やがて、彼は養父であるゼペットと再会する。

 巨大なサメの腹の中で、である。

 その頃、ゼペットは厭世観にとりつかれていた。貧しさから来る寒さ、飢えはもうごめんである。ここは違う。暖かく、サメの飲み込んだ新鮮な魚はあるし、今や、サメの腹の中の一部を書斎にして、偶然、サメが飲み込んでしまった本に熱中している。

 ここで生きてゆけばいい。世間に戻るのはウンザリである。

 しかし、少年は養父を説得するのだ。もう一度、人間の世界に戻ろうと。

 引きこもらず、いっしょに生きてゆこうと少年は言う。

 養父は少年に促され、少年と共に戻る。

 

 ネット上で、イタリア語に堪能な人が、かつて、このドラマについて論究していたのを読んだことがあった。

 ラストでの浜辺を駆ける二人の会話は

 「カネはないぞ」「いいよ、父ちゃんといっしょなら」といったやりとりらしいことを知った。

 

 このドラマのテーマは、血縁を超えた、新しい家族の絆ではないだろうか。

 尚且つ、そこには、少年と養父の人間としての成長もしっかり描かれている。

 本作の再観賞は、そうした新しい発見をさせてくれたわけである。